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マーベル・テレビジョン「デアデビル:ボーン・アゲイン」は毎話しっかりと見応えを備えているが、中でもシーズン2第5話「大いなる計画」は抜群の出来だった。Netflix時代の空気感を再現しながら、それを単なる懐古に終わらせず、いまの物語の核心へと接続してみせたからだ。

「ボーン・アゲイン」に感じていた数少ない物足りなさのひとつは、Netflix時代に比べて柔らかくなった映像トーンだった。旧「デアデビル」のカラーパレットは、より冷たく鮮明で、コントラストもくっきりとしていた。同時進行していた『アベンジャーズ』などの華やかな世界観とは対照的に、あのシリーズは裏社会の恐ろしさや、自警活動の代償として生じる“影”の部分を硬派な映像で浮かび上がらせていたのである。

一方、「ボーン・アゲイン」では静的な会話劇にも意図的な手ブレが取り入れられ、全体としてはスモッグのかかったようなソフトなライティングが基調となっていた。こうした変化に物足りなさを覚え、Netflix時代のよりヴィヴィッドな質感を懐かしむファンの声が上がっていたのも無理はない。

それだけに、マーベル・テレビジョンには、もはやかつてのシリーズのトーンを復刻するつもりはないのかもしれない、と感じていた。実際、これまでのエピソードでもNetflix時代の映像素材は再利用されていたが、マットの幼少期を映したインサートなどは、どうしても現在の映像の中で浮いて見えた。

この記事には、「デアデビル:ボーン・アゲイン」シーズン2第5話「大いなる計画」のネタバレが含まれています。

この記事には、「デアデビル:ボーン・アゲイン」シーズン2第5話「大いなる計画」のネタバレが含まれています。

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ところが、「デアデビル:ボーン・アゲイン」シーズン2第5話「大いなる計画」はその印象を鮮やかに覆した。このエピソードでは、弁護士として駆け出しだった頃のマット・マードックとフォギー・ネルソンが振り返られ、当時の鋭利なカラーパレットまで見事に再現されている。チャーリー・コックスやエルデン・ヘンソンの外見にはさりげないデジタル若返りも施され、まるでNetflix時代の未公開エピソードを観ているかのような感覚すらある。マーベル・テレビジョンは、旧シリーズの精神を決して忘れていなかったのだ。

物語の面でも、この回にはファンへの誠実なまなざしが宿っていた。前シーズン第1話で突然命を落としたフォギー・ネルソンというキャラクターに対し、このエピソードはようやく十分な弔いと意味づけを与えている。フラッシュバックの中のフォギーは、まさにあの頃の姿のまま現れ、追い詰められた旧友に再起の機会を与えながら、弱き者を助ける弁護士としての精神をマットに思い出させる。

その一方で現代パートでは、フォギーを殺した張本人であるブルズアイ/ベンジャミン・“デックス”・ポインデクスターの、彼なりの懺悔が描かれる。マットはパニッシャー/フランク・キャッスルと対峙した時と同じように、今度はブルズアイを前にして、異なる倫理観と向き合わされる。

2人がかつて死闘を繰り広げた教会を再訪すると、ポインデクスターはフォギーを躊躇なく殺害した自らの罪深さを認め、そのまま死を受け入れようとする。だが、フォギーが大切にしていた慈悲の心を思い出したマットは、彼のもとへ舞い戻り、宿敵を救い出す。ポインデクスターが“フォギー”の名を口にすることすら許せなかったマットにとって、それは相手を救う行為であると同時に、かつて我を忘れて彼を殺そうとした自分自身への償いでもあったのだろう。

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さらに本エピソードには、旧シリーズの象徴的な出来事を補完する要素も巧みに織り込まれている。ウィルソン・フィスクとヴァネッサが出会うきっかけとなった「吹雪の中のウサギ」の由来が明かされ、フィスクの右腕だったウェスリーと、現在の側近バックが旧知の間柄だったことも示される。加えて、旧シリーズでフォギーが口にした「アボカド」のジョークが再び言及され、2人が設立した法律事務所が「マードック&ネルソン」ではなく「ネルソン&マードック」となった経緯まで描かれた。単なるファンサービスではなく、過去の記憶を現在のドラマへきちんと編み直すための仕掛けとして機能しているのが嬉しい。

本エピソードは、シーズン2の折り返し地点にして、初めて真にNetflix時代の精神を蘇らせ、そして“ボーン・アゲイン”させた最重要エピソードだったと思う。知られているように、前シーズンはソフトリブートを志向したのち、やはり原点回帰へと急遽の舵を切ったことで、新旧の方針が混在するシリーズとなった。製作・脚本のダリオ・スカルダパンが、シーズン1を「ツギハギのフランケンシュタインのように作らなくてはならなかった」とのも印象的である。そうした事情を踏まえると、この第5話はようやくシリーズ全体の魂がひとつに結び直された瞬間でもあった。

フォギーの死を経て、マットは一度は殺意に呑まれ、再びフィスクと対立せざるを得なくなった。シリーズにはそこから、罪の意識や贖罪という重い主題が流れ込んでいる。シーズン1におけるフォギーの死が単なるマクガフィンだったとまでは言わないが、配信当時、多くのファンに動揺と喪失感をもたらしたのは確かだ。

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だが今回のエピソードで、フォギーはついにマットに「慈悲」の精神を取り戻させる存在として機能し、その死は初めて物語の中で十分な意味を与えられた。それをNetflix時代の質感をほとんど完璧に呼び戻した上で描いたことも含めて、本話は考えうる限り最も誠実で、心のこもったトリビュートだったと思う。

さらに重要なのは、フォギーの存在がマットだけでなく、結果としてフィスクの物語をも決定的に動かしてしまったことだ。ヴァネッサ役のアイェレット・ゾラーは、キングピンを爆発させるには「最大の引き金」が必要であり、「私こそがその引き金だった」と。

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唯一の愛を失ったウィルソン・フィスクの立ち位置は、いまや『スター・ウォーズ』のダース・ベイダーを思わせる。最愛の人を喪った男が、悲しみと喪失を抱えたまま、より冷酷で不可逆な支配者へと変貌していくからだ。ついに心の最後の均衡さえ失ったフィスクは、ここからニューヨークの“帝国化”をさらに加速させていくのかもしれない。アナキン・スカイウォーカーもフィスクも共に「砂」を嫌ったというのも、興味深い共通点ではないか。

「デアデビル:ボーン・アゲイン」はディズニープラスで独占配信中。