人間は冬眠能力を持っている?…「六甲山の遭難事例」と生理現象から見える医療の可能性

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冬眠はクマやリスなど、一部の動物に限られた能力なのか。前編に引き続き、理化学研究所生命機能科学研究センターの砂川玄志郎氏に話を聞いた。

前編『【世界初】冬眠中の体内で動く栄養素を可視化…人工冬眠マウスの体内で起きていた「衝撃の変化」』

「冬眠機能を持っている人とそうでない人がいる」

人の体にも冬眠に似た力が眠っているかもしれない──そう思わせる症例が、実はいくつも報告されている。

砂川氏のチームが拠点を置く研究所の隣にある神戸中央市民病院では、六甲山で遭難し低体温状態で搬送されながらも生還したケースがある。

朝日新聞などで報じられた2006年10月の事故だ。35歳の男性が山中で遭難し、20日間以上飲まず食わずの状態で発見された。体温は22度近くまで低下していたが、救助後に回復し、一命をとりとめたのだ。

同様の事例は海外でも数多く報告されている。ヨーロッパ北部では、雪山で遭難して車内に閉じ込められ、体温がほぼ外気温まで下がっていたにもかかわらず、救出後に回復した例もある。

「こうした事例は1人や2人ではありません。"奇跡的に"という枕詞は付きますが、一定数いらっしゃる。そしてどの人も、心拍や呼吸が極端に落ちた状態で見つかっている。まるで人が冬眠を起こしているかのようなんです。

にわかに信じがたいことのように思えますが、もう一つ臨床で知られていることがあります。水に溺れて心肺停止になった場合、水温が冷たいほど蘇生率が上がるという知見です。

そのため救命のガイドラインでも、冷水での溺水で心肺停止が見つかった場合には、通常よりも長く蘇生を続けることになっています。ただ、ここが重要なんですが、全員が助かるわけではない。蘇生率が上がるというのは、あくまで平均の話です。

このことから、私は一つの仮説を持っています。苦しくなったときに自分で代謝を下げて、その場をしのげる能力を持っている人と、持っていない人がいる。雪山の遭難も溺水も、その両方の平均が統計上の数字として表れているだけなんじゃないかというわけです」

人の冬眠の可能性を示す「矛盾脱衣」

冬眠に近い機能を一部保持している人間が一定数いるかもしれない。この仮説を裏付けるように思える、もう一つの現象が「矛盾脱衣」だ。

「低体温で亡くなる患者のおよそ半数が、体が冷えていく過程で暑さを感じ、自ら服を脱ぐという現象があります。錯乱や意識障害で脱いでいるわけではなく、本人は本当に暑いと感じているんです。

実は、これとよく似たことが冬眠動物でも起きています。冬眠中は体温が大幅に下がりますが、もし普段と同じ感覚のままだったら困ってしまう。寒いと感じれば、体は震えたり脂肪細胞を燃やしたりして熱を作ろうとするので、省エネモードが台無しになってしまうのです。だから冬眠動物は、寒さの感じ方そのものを切り替え、普段なら寒いと感じる温度を、暑いと感じるように変えてしまうんです。メカニズムはまだわかっていませんが、事実としてそうなることは知られています。

そう考えると、矛盾脱衣をしている人たちは、冬眠動物と同じ感覚に入りかけているように見える。興味深いのは、全員ではなく一部の人だけに起きるという点です。つまり人間にも、冬眠動物が持っている神経回路や機能が、完全かどうかはともかく、少なくとも一部は残っているのではないかと考えています」

この仮説は、進化の視点からも裏付けられるかもしれない。哺乳類の系統樹を見ると、冬眠する種は特定のグループに偏るのではなく、リス類やクマ類、なかには霊長類などさまざまな分類群に入り交じって存在している。

もし冬眠が進化のある時点で一部の種だけが獲得した機能であれば、系統ごとにきれいに分かれるはずだが、実際にはそうなっていない。つまり、冬眠はもともと哺乳類の共通祖先が広く持っていた機能だった可能性があるのだ。

厳しい寒さを乗り越えるために冬眠が不可欠だった種はその機能を維持し続けた一方、温暖な環境に移ったり、体が大きくなって寒さに強くなったりした種では、世代を重ねるうちに少しずつ失われていった──砂川氏はそう推測する。

「それぞれの種が独立に冬眠の能力を獲得した、いわゆる収斂進化の可能性もあるでしょう。ただ、人類の祖先も約1万5000年前の最後の氷期までは極寒の環境を生き抜いてきたわけです。その後の温暖な時代の中で、冬眠に関わる遺伝子が世代を重ねるうちに少しずつ劣化していったとしても、すべての人で完全に失われているとは考えにくい。

たとえば、冬眠に関する遺伝子が30個くらいあったとして、人によってはいくつか残っているのではないでしょうか」

人工冬眠研究を医療へ応用する

冬眠の機能がどれだけ残っているかに個人差があるとすれば、医療にとって見過ごせない意味を持つという。先ほどの溺水の例のように、冷えた環境で生き延びられる人とそうでない人がいるのであれば、患者の体質に応じて治療の方針を変えるべきかもしれないからだ。

砂川氏が一つの具体例として挙げるのが、「低体温療法」をめぐる議論だ。

心肺停止から蘇生した後、脳へのダメージを抑えるために体温を33度くらいまで下げ、数十時間そのまま維持する治療法がかつては広く行われていた。

しかし、体を冷やすこと自体にも組織を傷つけるリスクはある。冷やすのと冷やさないのとでは、結局どちらが良いのか――2000年代に入って大規模な比較研究が行われ、33度まで冷やしたグループと36度で維持したグループを比べたところ、予後に有意な差は見られなかった。この結果を受けて、ガイドラインは積極的には冷やさない方向へ改められている。

「ただ、現場の救急の先生に聞くと、『いや、やっぱり冷やしたほうが助かる気がする』という声は根強くあります。平均して差がなかったとしても、さっきの話のように、その中に冬眠の機能を多く残している人が含まれているかもしれないのです」

砂川氏は今後の人工冬眠研究と医療への応用について、展望を語る。

「もちろん、我々は人工冬眠そのものの実現を目指して基礎研究を続けています。ただ、完全な人工冬眠が実現する前の段階でも、冬眠のメカニズムがわかってくれば医療に貢献できることはあると思っているんです。

たとえば冬眠に関わる遺伝子や代謝の経路が特定できれば、血液検査などで『この患者さんは冷やしたほうが予後が良い』と判別できるようになるかもしれない。今の医療でも、同じ薬が効く人と効かない人がいて、それに応じて治療を変えるということは当たり前にやっていますよね。それと同じように、部分的に冬眠の機能を使えるようになるかもしれない。それによって、救える命は確実に増えると思っています」

はじめから読む『【世界初】冬眠中の体内で動く栄養素を可視化…人工冬眠マウスの体内で起きていた「衝撃の変化」』

【はじめから読む】冬眠中の体内で動く栄養素を可視化…人工冬眠マウスの体内で起きていた「衝撃の変化」