在りし日の土井さん(C)日刊ゲンダイ

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【大人気連載プレイバック】#70

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■「仁志敏久の真実」(第6回=2010年)を再公開

 日刊ゲンダイではこれまで、多くの球界OB、関係者による回顧録や交遊録を連載してきた。

当事者として直接接してきたからこそ語れる、あの大物選手、有名選手の知られざる素顔や人となり。当時の空気感や人間関係が、ありありと浮かび上がる。

 今回はあの故・土井正三さんについて触れられた、「仁志敏久の真実」(第6回=2010年)を再公開。年齢、肩書などは当時のまま。 

  ◇  ◇  ◇

「コーチにも恵まれたと思います」

 入団2年目にまさかの左翼起用。打球処理を誤り、その試合の“戦犯”になった。不本意な起用に「ふざけんな! 二度とやるか!」と荒れに荒れたが、本人以上に怒りをあらわにしたのが、内野守備走塁コーチの土井正三だった。

「オレの育てた選手が信用できねえのか!」

 軽快なフットワークと的確な打球判断、抜群のポジショニングで球界を代表する二塁手として名前の挙がる仁志だが、

「プロ入り当初はもう、ホントにヘタクソ。特に二塁の守備なんて、素人に毛が生えた程度のレベルでした。打球に対してやみくもに前に出るだけで、フットワークも何もあったもんじゃない。今、思い出しても恥ずかしい」

 と、苦笑いする。

 そんな仁志に基本から叩き込み、根気強く、親身になって指導してくれたのが、自らも名二塁手として巨人のV9に貢献した土井だった。

「三塁が本職だった自分に、『三塁は補強で長距離打者の大砲が入ってきたときに、真っ先にどかされるから』と二塁への転向を進言してくれたのも土井さんだった。素人同然の自分にゴロの捕り方からダブルプレーのベースの入り方、スローイングまで情熱を持って教えてくれた。基本の基からだから、大変だったはず。教わるこっちが『二塁なんかできねえよ』と音を上げかけても、『まあまあ、そういうなよ』と根気強く面倒を見てくれた。今の自分があるのは、土井さんの情熱と指導があったからだと心底感謝している」

 バウンドを合わせられない仁志に「ピョンピョン弾むように捕れ」と言い、「セカンドは後ろに下がって捕ったっていいんだ」と教えた。すべての言葉がその後の仁志の肥やしになった。「二塁手・仁志」の代名詞でもある状況、場面、バッテリーの配球によって守備位置を変えるという発想も、土井のアドバイスをヒントにしたものだ。

「『オレが育てた選手を信用できねえのか!』なんて言ってくれるコーチは後にも先にもいなかった。それだけ、選手に愛情を持ち、コーチとしての仕事に誇りを持っていたからだと思う。その土井さんが昨年9月に亡くなった。引退したら、温泉にでも招待して、ゆっくり野球のことを話しながら、お礼をしたいと思ってた。武上さんもそう。孝行したいときに親はなし、という言葉が本当に胸に染みる」

 武上四郎にもまた、仁志には感謝してもしきれない恩義がある。(この項つづく)

▽にし・としひさ 1971年10月4日、茨城県生まれ。1年生からレギュラーを張った常総学院では3年連続で夏の甲子園に出場。早大、日本生命を経て95年のドラフト2位(逆指名)で巨人に入団。強打好守の二塁手として新人王、4度のゴールデングラブ賞を獲得するなど活躍した。06年オフに横浜に移籍し、09年限りで退団。米独立リーグでプレーしていた2010年6月に現役を引退した。日本での通算成績は14年で1587試合に出場して1591安打(打率.268)、541打点、154本塁打。