保育園に1年通ったら全然違う…バービーの夫が1歳半の娘の言葉にハッとさせられ気づいたこと

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フォーリンラブのバービーさんと2021年4月に結婚し、2024年8月に第一子が誕生した夫・つーたんさんの連載「#nofilter」第32回。今回は、出会いと別れの季節とよく言われる春を迎えて、つーたんさんが考えたことをお伝えします。今年の春は、例年とは違う環境で、これまで経験したことのない感情も芽生えたといいます。そのきっかけは、1歳半になる娘さんの一言だったそう。詳細を綴っていただきました。

今年の年度末は今までと違った

今年も花粉症がひどい。天気の良い日は、愛犬の散歩が心地よい気温になってきたわけだが、外に出ればたちまち目と鼻がかゆくてそれどころじゃない。そろそろあのゴーグルのようなメガネを買う時がきたのか。まだそこまでしなくても大丈夫だと思っていたけれど、そんなことを言っていられそうもない。

春は出会いと別れの季節なんて、大人が勝手に感傷に浸るための解釈だと思っていた。しかし、父親になって迎えた今年の「年度末」「新年度」は、これまでの人生では味わったことのない異質の感情を連れてきた。

0歳児クラスから保育園にお世話になっている娘。いよいよ入園から1年が経とうとしている。年度の最終登園日を翌日に控えた3月末の夜。妻がちょうど仕事に出ていたので、娘と2人きりで寝室へ。部屋を暗くしてそろそろ寝かしつけようと、小さな背中をトントンと一定のリズムでなでる。

「今日も保育園楽しかった?」

最近言葉が少しずつ理解できるようになってきたようで、コミュニケーションが格段に面白くなってきた。たまにこうして、1日の振り返りをベッドでするのだ。

「しぇんしぇい(先生)、しぇんしぇい(先生)」

それまで、家ではあまり先生を呼ぶことはなかったのだが、その少し舌足らずながらもしっかりとした発声に、僕はハッとさせられた。

保育園の年度末は、お世話になった先生たちの異動や退職が重なるタイミングでもある。もちろん、小さな娘に「異動」なんて概念は理解できないだろう。でも、園内に漂う心なしか寂しそうな雰囲気や先生方のあたたかな表情から、子どもながらに「お別れの気配」を察知しているようだ。暗闇での呟きは、娘なりの心の準備だったのかもしれない。

初めての保育園生活は怒涛だった

思い返せば、怒涛の保育園1年目だった。ここで1つの節目として、この1年間の「我が家の戦いの記録」を振り返ってみたい。

元気に登園できた日数: 204日

お休みした日数: 18日(体調不良のみカウント)

仕事中の「お迎え要請」着信回数: 12回

おそらく、保育園に子どもを預けている同志の皆さんの中には、この数字を見ると胃のあたりがキリキリする方もいらっしゃるのではないだろうか。いやお迎え要請少ないよ、という方もいらっしゃるかもしれない。

それでも保育園からお迎え要請の連絡をもらうたび、娘の体調を心配していち早く迎えにいきたいと思う父親の人格が最前にいる一方で、「今日の午後の打ち合わせ、どうやってリスケしよう」「明日までにこれは終わらせないといけないんだよな」という会社員としての焦りもぐちゃぐちゃに混ざり合う。

要請を受けた時は妻と速やかに連絡を取り合った。生放送などもう連絡がつかない仕事が入っていれば、有無を言わず僕が迎えにいく。しかし、「ちょうど今、仕事の合間で迎えに行けそう!」なんて妻が対応してくれることが運よくある時は本当に助かった。そうやってギリギリの連携プレーで乗り切ってきた。こういう時の阿吽の呼吸と、決断の早さを感じられたことは、どこか夫婦の自信にもつながった。

「今週は半分しか保育園に行けなかったね」「有給がもうなくなっていく」。そんなふうに日々のやり繰りに追われていると、どうしても視野が狭くなってしまう。

もちろん先生方には日々心から感謝しているが、仕事の忙しさにかまけて、無意識のうちに保育園の存在を「僕らが働くためのサポートをしてくれる場所」と捉えてしまっていた節があるのかもしれない。自分がどれだけスケジュール通りに仕事をこなせるか、という社会人人格の大人の都合ばかりで、この1年はあたふたしてしまっていた気がする。

保育園は娘にとって初めての“社会”

でも、ベッドで「しぇんしぇい」と呟く娘の声を聞いて、そんな自分の浅はかさに気づかされた。

彼女にとって保育園は、ただ両親の代わりにお世話をしてくれるだけの場所なんかではなかったのだ。保育園は、娘が人生で初めて足を踏み入れた「親のいない社会」だった。

最近では、登園中に友達を見つけると、ベビーカーの中から「おーい」と呼びかけながら小さな手をあげるようになった。お預けする時もぐずることもなく、安心しきって先生のもとへ歩いていくようになった。その無邪気な後ろ姿を見るたびに、この1年、いかにたくさんの愛情を先生方から受けてきたのかが伝わってくる。

この1年を振り返ってみると、本当に凄まじい成長だった。ハイハイができるようになり、いつの間にか自分の足でしっかりと歩き走れるようになり、ドロドロの離乳食から固形物が食べられるようになった。言葉もポツポツと出始めて、今では歌や踊りも大好きだ。その成長のどれもが、家庭の中だけではなく、保育園という娘の社会で先生たちと一緒に育まれたものばかりなのだ。

親が育児と仕事の両立を嘆いている間も、子どもは自分の社会の中で、夢中で遊び、友達とおもちゃを取り合い、時には涙を流しながら様々な初めてと向き合ってきたのだろう。

そして、親以外の大人から無条件に愛情を受け、見守られる経験を積んでいた。娘はこの1年、僕らの知らないところで、彼女自身の力で確かな人間関係を築き上げていたのだ。その結晶が、あの「しぇんしぇい」という愛おしい響きだったのだと思う。

マンションのエレベーターで初めて会う人や、道行く人たちに「バイバイッ」と声をかけるようになったのも、きっと先生方の愛情が人への信頼感を育ませてくれたからだと思う。

娘が懐いていた先生が異動に…

そして、この年度末。娘のクラスの先生の多くが、他園への異動や他の学年にうつられると聞いた。保育をメインで見てくださっていたであろう、娘がひときわ懐いていた先生も、異動で園を去ることになった。

年度最終日を翌日に控え、娘を迎えに行くと、他の保護者の方々が涙ながらに先生とご挨拶をされていた。それを横目に、僕は持ち前の遠慮と気恥ずかしさが邪魔をして、自分の100%の思いを言葉にして伝えることはできなかった。気の利いた感謝の言葉も、感動的な涙も見せられなかった。

でも、心の中では本当に、深く感謝している。先生が日々注いでくれた底抜けの優しさと愛情は、間違いなく娘の人生において、かけがえのない影響を与えてくれた。それはきっと、これからの娘の人格の一部として、静かに、確実に残っていくんだろうなと思う。

僕ら大人は、つい子育てを「自分たちがコントロールしている」と錯覚してしまう。でも本当は、子どもは親の管理下を軽々と抜け出して、自分の足で自分の世界を広げているのだ。

新しい環境に飛び込むのは大人だって少し怖い。でも、あの小さな体で「初めての社会」を1年間、立派に生き抜いた娘の姿を思うと、不思議と背筋が伸びる気がする。

この愛おしい日常と、娘の小さな社会を支えてくれるすべての人に感謝を込めて。新年度も手洗いうがいをしっかりと意識して、毎日元気に過ごしていきたいものである。

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