「疲れているのは分かります。でも、公共の場であの態度は火に油でしたね。周囲の人たちも、最初は子供のいたずらだと分かって少し和らぐかと思いきや、母親の開き直った態度に一斉に矛先を向けたんです」

◆ようやく戻ってきたいつもの静寂

「謝るのが先だろう!」

 一人の声を皮切りに、それまで沈黙を守っていた乗客たちからも厳しい言葉が相次ぎました。もはや子供のいたずら云々ではなく、親としてのモラルや態度を問う糾弾の場と化してしまったのです。

「さすがにマズいと思ったのか、それとも居心地が悪くなったのか、その母親は次の停留所で子供を抱えるようにして逃げるように降りていきました。降り際も何かをぶつぶつ言っていましたけど、もう誰の耳にも届いていませんでしたね」

 母子が去った後、バスの車内には再び静寂が戻りました。それ以降、不必要な降車ボタンが鳴ることは一度もなく、バスは遅れを取り戻すかのように駅へ向かって加速していったといいます。

「ようやく自分の世界に戻れましたけど、なんだか後味の悪い展開でした。僕も親ですから、子供を連れての移動の大変さは分かります。でも、一言『すみません』があれば、こんな騒ぎにはならなかったはずなんです」

 吉村さんはそう言い残し、再び大切な「自分時間」へと戻っていきました。窓の外にはいつもの平穏な風景が流れていましたが、あの日の車内の熱気だけは、今も忘れられないといいます。

<TEXT/八木正規>

【八木正規】
愛犬と暮らすアラサー派遣社員兼業ライターです。趣味は絵を描くことと、愛犬と行く温泉旅行。将来の夢はペットホテル経営