時政も義盛も愛した運慶の仏像が【力強い】理由とは?流されたはずの頼朝がなぜ挙兵できたのか…本郷和人先生と<武士の時代の始まり>を伊豆・三浦半島でたどる
なぜ、運慶の仏像はあれほどまでに“力強い”のか――。そのヒントは、大河ドラマ『鎌倉殿の13人』でも描かれた「武士の時代の始まり」にありました。「婦人公論.jp」は、国宝指定作を含めて近年あらためて評価が高まる<運慶仏>をカギとして、三浦半島から伊豆へと向かう日本史ツアーに同行。源頼朝の原点をたどって現地で見えてきたのは、時代の価値観が“かたち”になる瞬間でした。「婦人公論.jp」で大河ドラマの解説記事を連載頂いている本郷和人先生の解説と共に、その魅力を臨場感たっぷりにお届けします。
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運慶仏をたどって浄楽寺へ
2日目は鎌倉を離れ、三浦半島から伊豆へ。頼朝の原点と、運慶仏の魅力に迫る行程です。
最初に訪れたのは横須賀の浄楽寺。副住職のお話を伺いながら、運慶作とされる仏像5体を拝観します。
実際に対面してまず感じるのは、その圧倒的な存在感。

(写真:婦人公論.jp編集部)
筋肉や骨格の表現が非常にリアルで、「そこにいる人間」のような迫力が。前編でも語られましたが、先生のご解説によれば、その力強さは<武士の時代>の感性と深く結びついているといいます。
また、これらの仏像が運慶個人の作品というより、息子の湛慶らも含めた“工房”によって制作されている点も興味深いところ。個人の天才だけでなく、組織としての制作体制があったことが、鎌倉彫刻の特徴の背景にあるのだそう。

(写真:婦人公論.jp編集部)
さらに、阿弥陀・不動明王・毘沙門天という組み合わせもポイント。
来世、現世、戦いと、武士にとって必要な加護をすべてカバーしてくれる構成になっており、信仰の実用性が強く感じられました。
北条ゆかりの地・願成就院へ
昼食は小田原市・鈴廣かまぼこの里で。
ここは箱根駅伝の中継地点としてもよく知られていますよね。鈴廣さんの美味しい”練り物”が彩る昼食を和気あいあいと楽しみました。

(写真:婦人公論.jp編集部)
午後は伊豆まで移動して、願成就院へ。
ここもまた運慶仏を所蔵する寺であり、背景には北条時政という存在があります。つまりこの寺は、鎌倉政権成立という“政治的な節目”と深く結びついた場所です。

(写真:婦人公論.jp編集部)
なお本尊の阿弥陀如来坐像は過去の事故により、顔と指が傷ついたお姿となっています。しかし残るその傷が、そもそも重厚で写実的な仏像に、より力強さを加えるようでもありました。
また「運慶作」といっても、ご住職のお話によれば、まだ運慶が若い頃、それこそ3番目に手掛けた仏像ということで、まだ運慶らしさが開花しきっていないからこその不思議な魅力をたたえていました。
ご住職、そして先生というお二方からの解説をいただくことで、目の前の作品の見方が格段に深まっていきます。
流されたこの地で、頼朝はなぜ挙兵できたのか?
そして最後に訪れたのが蛭ヶ島公園。源頼朝が14歳で配流され、約20年を過ごしたとされる場所です。

(写真:婦人公論.jp編集部)
今でこそ普通の公園になっていますが、実際にその場に立つと、「ここからすべてが始まったのか」という実感がじわり。
この地で長い時間を過ごし、やがて挙兵に至った頼朝。平家によって流されたこの地で、なぜ挙兵できたのか?
実は孤立無援だったわけではなく、この地を拠点とする北条や、頼朝と関係の深い比企などの武士に支えられ続けたことで、頼朝は力を蓄えていった…といった背景を、地図を前にしながら解説いただくことで、ロマンだけではない、リアルな情景が目の前に浮かび上がってきます。
その後は三島駅で一部の参加者と別れて東京駅へ。こうして2日間の旅が幕を閉じました。

(写真:婦人公論.jp編集部)
今回のツアーを通して感じたのは、「現地で体感することで、歴史が一つにつながる」ということ。都市、寺院、仏像、人物――それぞれが点ではなく、一本の線として理解できるようになります。
鎌倉から伊豆へ。運慶仏をカギに時代をたどったこの旅は、歴史を“知る”から“感じる”へと変えてくれる時間となりました。
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