ストーカーや性暴力の被害者の「消されるNOの声」…小児精神科医が指摘、日本の「NOを言っていい、言われていい教育の不足」
大声で何かを叫び泣きながら何度も刺していた……。
そんな犯行状況が伝えられた3月26日に池袋・サンシャインのポケモンセンターで起こったストーカー殺人事件。亡くなった21歳の女性は、警察に報告をし、居場所を変えるなど、できる限りのアクションを行っていた。容疑者はストーカー規制法違反容疑で逮捕されたが、その後釈放。その後、しつこいつきまといがあったものの落ち着いたと思われた矢先の犯行だった。
唯一大好きなポケモンセンターの職場だけは変えたくないという、彼女が当たり前に持っていい思いであり、そこにつけ込んでの犯行だった。そして、自らもその場で自害……。あまりに身勝手すぎる犯行であり、どんなに「ノー」を言い続けても理解されないストーカー犯罪の根深さを感じた。
3月19日警察庁が2025年のストーカー事案に対するデータを発表した(※1)。それによると、ストーカー相談の件数は2万2881件で前年比3314件増。禁止命令は過去最多の3037件、摘発件数は前年比205件増えて1546件になったという。
「ストーキング加害者がなぜそういった行動を起こすのかは、精神疾患や認知のゆがみなど含めて理由はひとつではありません。日本人はよくノーと言えない国民性が指摘されますが、それ以上にノーと言われたときにうまく対応できない人が多いように感じています。ストーカー事案は日本に限ったことではありませんが、日本で被害が拡大している原因のひとつにはそういった背景もあるのではないと思います」
と指摘するのは、ハーバード大学医学部准教授で小児精神科医の内田舞さんだ。内田さんは、FRaUwebでも性加害問題や性被害が心に与えるPTSDの解説など、たびたび寄稿いただいている。そんな内田さんが、日本に蔓延る性加害問題から社会を考える新刊『ジェンダー・ジャスティス』(幻冬舎)を出版した。
全4回で新刊から一部抜粋でお届けする第4回は、この「ノー」を受け止める力についてお伝えする。
※1:令和7年におけるストーカー事案、配偶者からの暴力事案等、児童虐待事案等への対応 状況について
「ノー」を受け入れる練習の必要性
日本では「積極的に意見を言えるようにならなければならない」「もっとディベートの授業が必要だ」「日本人はノーと言えるようにならなければならない」ということがよく語られています。それは間違いではないと思いますが、自分の意見を積極的に言い、また「ノー」と言えるようになるには、「ノー」が受け入れられる土壌がなければ難しいのではないでしょうか。
「ノー」と返答したのに、「いや、でも、一緒に遊んであげなさいよ」「そんなこと言わないで貸してあげなさいよ」と、「ノー」を「イエス」に変えさせられることばかり幼い頃から経験していたら、自分の「ノー」という言葉の効力に自信が持てなくなってしまいます。これでは「ノー」と言えるようになるわけがありません。自分の思いや答えは意味を持たないのだから、意思を表明しようという気持ちすら湧かなくなってしまうかもしれません。
また、「ノー」と言われてそれを消化する経験も少なくなるため、一つひとつの「ノー」という返答のインパクトが不必要に大きくなり、実際には「今は一緒に遊びたくない」という言葉でさえも、まるで人格を否定されたように感じてしまうかもしれません。そういった感情が相手のノーを受け入れずに、無理やりイエスと言わせたいという支配欲につながる場合もあるでしょう。
だから、「意見を言いなさい」「ディベートをしなさい」と言う前に、まずは「ノー」を受け入れる練習が必要ではないかと思うのです。そして、子どもたちに限らず大人たちにも、自分を尊重する発言をしてもいいということを学んでほしい。また、他者が自身を尊重する判断をした場合には、それが自分の希望と違っても仕方がない、と自分の希望を手放せる考え方を身につけてほしいと思います。
もちろん、自分の意見がいつでもすべて受け入れられるわけではありません。「ノー」と言うことが許されない場面もあるでしょう。しかし、「ノー」が受け入れられる場もある。その可能性を信じられる。それだけでも十分な変化だと思うのです。
「自分の心と身体は自分のもの」という考え方
「イエス」「ノー」をはっきりと伝えるためには、バウンダリー(境界線)という概念を持つことも大切です。人にはそれぞれ「ここまではいいけれど、ここから先は不快に感じる」という、身体的にも精神的にも守りたい境界線が存在します。
バウンダリーはどのような人間関係にも存在します。友人関係にも恋人・夫婦関係にも、親子関係にもバウンダリーは存在します。親や教師など大人は、つい子どもたちの言動を制して、自分が正しいと思うことを押し付けてしまいがちですが、子どもの人生は子どものもの、子どもの意見も身体も子どものもの。大人として子どもが引いたバウンダリーを越えてはいけない場面もあるのです。
バウンダリーを他人が越えてきてもいいか、あるいはダメなのか。それを決めるのは身体の持ち主であるその人自身です。自分の境界線も、他人の境界線も目には見えませんから、「越えてもいいですか?」と、その都度確認し合うことが大切。そして、「越えてもいい」といったん同意をしても、「やっぱり違った」「やっぱり嫌になった」と、途中で取り消して断ってもいいのです。これは身体的な関係に限られたものではありません。
そこには「自己決定権(オートノミー)」という考え方が存在します。オートノミーとは他人に自分の運命が決められたりすることなく、「自分のことは自分で決める」「する/しないを自分で決めていい」「他人と異なる意見であっても自分の意見を持ってもいい」ということです。
恐怖や圧力、他人のコントロールから自由になり、自分の人生や自分の身体に関することを、自分自身で選択していい、「自分の意思には力がある」と認識することでもあります。大人でも子どもでも、他人に自分の決定権を尊重される感覚は、安心感を生み、うれしいものです。どんなに親しい相手でも、愛している相手であっても、心と身体のボスはあくまでもその人自身なのです。
身体の自己決定権について、「世界人口白書2021(国連人口基金発表)」では、次の3点が守られているかどうかという問いが投げかけられました。
・ 性交渉を断ることができる
・ 避妊するかを自ら決められる
・ 健康管理を自ら決定できる
その結果、世界的に多くの女性の身体の自己決定権が侵害されていることが明らかになりました。性別にかかわらず、ちょっとした性的なからかいや、いたずらのつもりで身体に触れることが日常的に繰り返されると、バウンダリーがどこにあるかが曖昧になることがあります。そのうちにバウンダリーが少しずつ侵されていき、最悪の場合はそれが性加害につながってしまう。その頻度は想像を遥かに上回るものとなっています。
【第3回】2歳息子がお友だちに「ノー」のリアクション。その後の先生の対応に小児精神科医が驚きと共感をした子どもへの「同意」教育
