明治時代の日本の信仰の実際とは――最相葉月さんと読む『ニコライの日記』【別冊NHK100分de名著 宗教とは何か】
最相葉月さんによる名著『ニコライの日記』紹介
世界中で吹き荒れる自国第一主義、大国間の対立の深刻化……。日々のニュースを見て不安を抱えがちな昨今で、「宗教」を考えるとは、私たちから決して遠い営みではありません。
2024年初にNHK Eテレで放送され話題となった「100分de宗教論」。その出版化である『別冊NHK100分de名著 宗教とは何か』では、釈徹宗さん・最相葉月さん・片山杜秀さん・中島岳志さんという4人の論者が、4冊の本を起点に、多角的な視点で宗教をとらえ、「信じること」について解明していきます。
※2026年1月~3月にNHK出版ECサイトで開催の「2時間で学べるシリーズ」キャンペーンを記念して、本記事を再公開いたします(記事内の日付けや肩書は当時まま)。
ニコライとの出会い
『ニコライの日記』は、江戸時代の末期に来日し、明治時代の最後の年に日本で亡くなったロシア正教会の宣教師ニコライ(一八三六~一九一二)の日記です。本名は、イワン・ドミートリエヴィチ・カサートキン。
「正教」は、古代教会の流れを継ぐキリスト教の一派で、現在の日本で比較的その名を知られているカトリックやプロテスタントとは異なる教義を持っています。ローマ教皇のような中心的権威はいない、「奉神礼(ほうしんれい)」 と呼ばれる儀礼など霊的な体験を重んじる、「イコン(聖像)」という絵を媒介にして祈りを拝(ささ)げる、などの特徴があります。
ニコライが初めて日本の地に降り立ったのは一八六一(文久元)年、二十五歳のとき。函館(当時の表記は「箱館」)のロシア領事館付属教会の主任司祭としてやってきました。資金集めなどのために本国ロシアに一時帰国したことはありますが、その間(かん)も含めて、約五十年もの年月を日本での宣教に捧げました。日本においては、東京神田駿河台の「ニコライ堂(東京復活大聖堂)」によって、その名前は広く知られています。
ニコライによる日記は、一九七九年、モスクワおよびレニングラード(現サンクト・ペテルブルグ)へ留学していたロシア文学者・中村健之介氏によって、ソ連邦国立中央歴史文書館に眠っていたところを発見されました。
本稿で底本としたのは、その中村氏が編集・翻訳した抄訳版の『ニコライの日記』です。ニコライがロシアに最初に一時帰国した年である一八七〇(明治三)年から始まり、没する約二か月前の一九一一(明治四十四)年末まで、日記は実に四十年もの長きにわたっており、ほぼ明治時代をカバーしています。それ以前の日記――一八六〇(万延元)年に彼が初めて日本へと旅立った際の旅行日誌――も存在したようですが、残念ながら、領事館の火事によって消失してしまったそうです。
ニコライは、布教活動のために日本全国をあまねく訪ねて回りました。日記には、そこでの見聞と彼の心のありようが仔細に記されています。一人の外国人の聖職者が、明治時代の日本、および日本人について、またその信仰の実際を記述したものとして、歴史的に価値あるテキストだと言えます。
私が『ニコライの日記』と出会ったのは、二〇二三年に刊行した『証し 日本のキリスト者』 の執筆のために、取材の旅を重ねていたときのことでした。北海道から沖縄、 五島列島、奄美大島、小笠原まで全国の教会を訪ね、そこに暮らすキリスト者百三十五人に話を聞き、神とともに生きる人々の半生を通して「信仰とは何か」を考えました。
岩手県沿岸中部にある山田町を訪ねたときのことです。同地は、東日本大震災の津波と、その後に起こった火災によって町全体が大きな被害を受けました。町にあったハリストス正教会も焼けてしまったため、私は仮設の教会に集う信者さんたちから話をうかがうことになりました(同教会はその後、二〇一八年末に「主の復活会堂」の名で再建)。彼らは、現在の自身の信仰の話とともに、祖父母や曾祖父母世代の話も聞かせてくれたのですが、そこで、ニコライの名前が出てきたのです。ニコライが山田町に宣教の旅で立ち寄ったことや、明治三陸地震とその津波によって生まれた孤児たちの養育や経済的な支援に尽力してくれたことを、まるで昨日の出来事であるかのように語りました。
北海道の上武佐(かみむさ)ハリストス正教会を訪ねた際などにも、同じようにニコライの名が語られました。特に印象的だったのは、どの信者さんも、まるで自分自身の経験であるかのように「ニコライさんがな……」と親しみを込めた呼び方をしていたことです。「先生」でも「神父」でもなく、「ニコライさん」。時代を経ても変わることのない、この親愛の情は何なのだろうか――。
そうしてニコライに大きな興味を抱いた私は、彼の日記が書籍化されていることを知り、手に取りました。そこには、まさに「信仰に生きるとはどういうことか」に肉薄する生々しい言葉の数々が刻まれていました。
神に向けて書かれた日記
ロシア西部のスモレンスク県に生まれたニコライは、現地の教会の輔祭(ほさい)をしていた父親が、仲間の信徒たちの世話をしたり、新たに信仰を持った者たちを地区の神父へと繫げたりする様子を見て育ちました。幼い頃から教会が身近にあったニコライが信仰の道を歩むようになったのは、ごく自然な流れだったのでしょう。やがて聖職者の道を志すようになります。
ニコライが日本に関心を抱くようになったのには、サンクト・ペテルブルグの神学大学在学中に、『日本幽囚(ゆうしゅう)記』(一八一六)という本を読んだことが大きく関わっています。著者のゴロヴニンは、一八一一年にロシア軍艦の艦長として千島列島を測量中に、国後(くなしり)島で松前奉行配下の役人に捕縛され、約二年三か月のあいだ、日本に抑留されました。同書には、その拘留中に彼が日本でどのような経験をしたのかが克明に記録されています。
ヨーロッパでは、江戸時代の初期に起こった幕府によるキリシタン弾圧の記憶から、日本人は、異教徒を見つけたら容赦なく迫害する野蛮な民族だという印象を持たれていました。しかしゴロヴニンは、自由を奪われた身でありながら、日本人に対して悪い感情を抱くことなく、非常に勤勉で聡明な素晴らしい民族であると記しました。この『日本幽囚記』に強い感銘を受けたニコライは、日本という国に大いに関心を抱いたのです。
ニコライが訪日することになった直接的なきっかけは、一八五五(安政二)年に日露和親条約が結ばれ、函館にロシア領事館が設置されたことでした。領事館付き司祭の役職の募集があり、これに手を挙げ採用されたのです。他にも何人かの候補者がいましたが、ニコライは唯一の独身者だったため、身軽に伝道活動ができると考えられたようです。また、二十五歳の若者でありながら、すでに人格者として周囲からの評価も高かったことが、採用を強く後押ししたのではないでしょうか。
ニコライはたいへんな人格者であった。――残された日記や文献、そして彼の残した業績の数々から考えて、それは間違いないでしょう。しかし、彼の日記から伝わってくるのは、高潔な聖人の姿“だけ”ではありません。時には愚痴も漏らせば、怒りの感情も抱く一人の人間でもありました。
たとえば、一八七一(明治四)年、二年間のロシアへの帰国を終えて、当時の任地である函館に戻る道中に書かれた日記にこんな一節があります。
しかし、神よ、あなたはなんというつらい十字架をわたしにお与えになったのですか。こんな男を見つけるためにわたしはロシアへ行ってきたのか。人生の最良の二年間をこんなことのために浪費してしまったのか。
こんな男とは、ロシア正教会から派遣されることになったグリゴリイという宣教師のことです。ともに旅をして三か月半近く、ニコライは彼に対するうんざりした気持ちを吐き出します。曰く、グリゴリイ師はひどい怠け者で、長い船旅のあいだ、旅や布教で必要となる日本語や英語を学ぶこともなく、酒ばかり飲んで一向にやる気がない――ついには「ご立派な宣教師でいらっしゃるよ!」と吐き捨てました。
地方の伝教者や司祭たちから資金援助を求める手紙を、宣教団の書記に音読してもらっていた際の、こんな一幕も記録されています。
狂ったような大声で「オー、ボージェ・モイ、ボージェ!〔おお、わが神よ、神さま!〕」と叫んでしまった。さらに、日本語で(書記のセルギイ沼辺の前で)不平不満をぶちまけてしまった。「だれもかれもが金、金だ、そればかりだ!」
(一八八九年三月二三日、木曜)
当時の日本は、西洋文化が入ってきたことでインフレが進み、物価が高騰していました。伝教者たちも、布教に際してお金が必要だという切実な事情があったのでしょう。給料を上げる要望が頻繁に寄せられていたことも、別の日の日記に記されています。
しかし、ニコライの側にも、お金がかかるわりに成果はそれほどでもないという実情に焦りがあったに違いありません。苦労してロシアで寄付金を集めてきても、これではただ浪費するだけで、宣教団の事業は実を結ばないのではないか――。そうした不安と苛立ちから、ヒステリーを起こしかけている様子が伝わってきます。
聖職者とは思えない言葉の数々に驚きを覚えつつも、正直で、人間味あふれるところが、この日記の大きな魅力にもなっています。現在、私たちがSNSなどで日記のような身辺雑記を記す場合、それは「人に読まれる」ことが前提になっています。すると、意識的にせよそうでないにせよ、読まれても問題のないように、内容や体裁を整えてしまうことがあります。しかしニコライの日記には、そのように取り繕った感じがほとんどありません。それは、人に読ませることを前提としていないのと同時に、「神に向けて」書かれているからなのではないでしょうか。日本という異国の地で、現実的にも精神的にも孤独や苦悩を感じていたからこそ、日記を通じて、神と向き合わざるをえなかったのではないでしょうか。
本書『別冊NHK100分de名著 宗教とは何か』では、最相葉月さんによる『ニコライの日記』の読み解きから、「信仰に生きること」について学んでいきます。
また本書他章では、『予言がはずれるとき』『大義』『深い河』を、釈徹宗さん・片山杜秀さん・中島岳志さんという豪華執筆陣とともに読み解き、多角的な視点で宗教をとらえていきます。
◆『別冊NHK100分de名著 宗教とは何か』より
◆脚注、図版、写真、ルビ、凡例などは記事から割愛している場合があります。
◆本書における引用は、特に断りのない限り、『ニコライの日記 ロシア人宣教師が生きた明治日本』)(全三冊、中村健之介編訳、岩波文庫)に拠ります。
※本書は、2024年1月2日にNHK Eテレで放送された「100分de宗教論」の内容をもとに、新規取材などを加えて構成したものです。
