高市早苗氏の“鹿発言”が、物議を醸している。東京科学大学医学部臨床教授の木村知医師は「排外主義にむかう世相をよく表している。人命を扱う医療現場も例外ではない」という――。

■高市氏「外国人が鹿を蹴り上げた」

自民党総裁選に出馬の意向を示した高市早苗前経済安全保障大臣から飛び出した“鹿発言”が物議を醸している。

「奈良の鹿を足で蹴り上げるとんでもない人がいます。殴って怖がらせる人がいます。外国から観光に来て、日本人が大切にしているものをわざと痛めつけようとする人がいるとすれば、なにかが行き過ぎている、そう思われませんか。SNSでも目にしますよね」

22日におこなわれた演説会でのことだ。

写真=共同通信社
自民党総裁選に向け、陣営の会合であいさつする高市前経済安保相=2025年9月21日午後、東京都千代田区 - 写真=共同通信社

あたかも外国人観光客が奈良公園の鹿に暴行を加えている事実がたびたび発生しているかのような発言だ。

しかし、当の奈良公園の担当者は、そのような暴力行為は日常的に確認されておらず、通報もないと新聞の取材に回答しているという。(2025年9月22日、東京新聞)

かくして野党やネットからは批判の声が相次ぐこととなった。

外国人の日本での行為について、事実にもとづかないでっち上げで国民の排外感情を煽ろうとしたものであれば、公党である自民党総裁候補として資質に欠けるとの批判はあって当然だろう。

■X投稿「優先座席に中国人の男児が…」

そういえば、もうひと月以上も前のことだが、Xで以下ポスト(投稿)をみつけた。

「昨日、電車の中で、優先座席に座る中国人の男児にそこに座ってはいけないと言い、近くにいた家族に注意しました。
すると、近くにいた白人男性が『俺たちも立たないといけないか?』というので、違う、優先座席に座ってはいけないと言っていると説明を加え、車両全体に聞こえる声で英語で言いました。
『いいですか。みなさん、日本に来たら、日本のルールに従ってください。日本のルールに従ってください』と言いました。
こんな事を言いたいと思ってやっていないのですが、性分でもあるのでしょう。
しかし、誰も言わないともっと酷くなります。今は非常事態です。」

さて、この投稿を見て、あなたはどのような感想を抱くだろうか。

この投稿をした人物が、どのような意図でこうしたエピソードを開陳したのか、その真意はもちろん私にはわからない。

しかし、最後の「誰も言わないともっと酷くなります。今は非常事態です」という文章から、ただたんに優先席をめぐる日本人と外国人の認識の相違を訴えたかったものではない、と私は感じた。

■そもそも“優先席ルール”は存在するのか

「優先席」といえば、公共交通機関における歴史は古い。

日本の鉄道に優先席の前身となる「シルバーシート」がお目見えしたのは、1973年9月15日の敬老の日。当初は高齢者と体の不自由な人のための席だったが、1990年代にはいると、妊婦や乳幼児を連れた人、けが人といった幅広い人を対象とすべく「優先席」という名称が用いられるようになったという。

また2012年には東京都で「ヘルプマーク」が制定され、外見ではわかりにくい援助や配慮を要する人への理解を呼びかける取り組みも始まり、現在、首都圏の「優先席」にはマタニティマークとともにヘルプマークも掲示されている。

このような人たちへの援助や配慮を呼びかける「優先席」だが、冒頭の投稿者が述べているように、この席にはこれらに該当しない人は座ってならないのだろうか。

そもそも、そのような「日本のルール」など存在するのだろうか。

いや、そんなものは最初から存在しない。

この席はあくまでも「必要としている人に譲る」というものであって、車内でもそのようにアナウンスされている。援助や配慮を必要とする人以外が座ってはならない席ではないのだ。もし座ってならないならば、「健常者の利用はご遠慮ください」などとのアナウンスがされるはずである。

つまり投稿者は、事実に反する「日本のルール」を持ち出して、中国人の家族を非難したということになる。

■「外国人のせいで…」はどこから来るのか

先の参院選では「日本人ファースト」というキャッチフレーズを掲げて、議席を大幅に増やした政党がある。

ほかにも、議席を獲得した“保守を名乗る政党”があるが、これらを支持する人たちのポストを見てみると、日本にいる外国人、しかも中国人をはじめとした“白人ではない外国人”の日本国内における行為について、非難する文脈のものが多いことに気づく。

この投稿者の他のポストをみると、やはり「日本人ファースト」を掲げる政党の支持者であった。

外国人(白人ではない)による、地域でのゴミ出しのルール違反や、酔っぱらっての大騒ぎ、犯罪ニュースを取り上げ、外国人のせいで日本人は大迷惑している、治安が悪化しているという言説を振りまくポストは、ひっきりなしにSNSに流されてくる。

インバウンドでの訪日外国人急増にともなって、「日本のルール」やマナー、安全や文化まで危機にさらされていると思ってしまう人も増えているのが、その理由だろう。

冒頭の投稿者が「誰も言わないともっと酷くなります。今は非常事態です」と書いたのも、「いいですか、みなさん。日本に来たら、日本のルールに従ってください」と車内で声を張り上げたのも、事実にもとづいた冷静な分析というよりは、むしろ漠然とした不安や恐怖といった個人的な感情からもたらされたものといえる。

■20年間で検挙件数は大幅に減っている

すでに多くの人は気づいていることと思うが、SNSからは自分の興味と関連するポストが“自動的に”流れてくる。そういったエコーチェンバー、フィルターバブル現象によって「世の中、そうなっているんだ。こわいよね」という気持ちにどんどん染まっていってしまう。

そういった気持ちにいったん染まってしまうと、じっさいに自分が体験していないことでさえ、真実であるかのように思えてきてしまい、それが事実か否かさえも自力で確かめようとしなくなる。

さらに進めば、それがかりに真実でなくとも大した問題ではない、かまわないという気持ちにもなってくる。

自分にとって「スカッとする心地いい情報」、「同じ怒りを共有できる人たちの流している情報」であれば、それらは必ずしも真実である必要はなく、真実であると自分で思うことさえできればいいのだ。

当然のことながら、じっさいに発生した犯罪や違法行為を非難すること自体は間違いではない。

だが、かりにそれが事実であっても、そうした犯罪や違法行為をおこなうのは外国人にかぎったことではない。外国人の方が日本人より犯罪率が高いという実態があるわけでもない。

むしろ長期的にみれば、外国人による犯罪の検挙件数は大幅に減っている。(法務省「令和6年版犯罪白書」)

外国人による刑法犯の検挙件数を示したグラフ。令和5年(2023年)は前年より2594件増加(前年比20.0%増)している。しかし、長期的に見ると、平成17年(2005年)をピークに減少傾向にある。(法務省「令和6年版犯罪白書」第4編/第9章/第2節)

■「郷に入れば郷に従え」正論のように聞こえるが…

マナー違反も同じだ。

日本人が外国人以上にマナーを守る“優れた民族である”などというデータやエビデンスなど存在しない。

街場の公共交通機関を利用したことのある人なら、歩きスマホや駆け込み乗車、エスカレーター歩行などのマナー違反や危険行為をおこなっているのが外国人ばかりでないことは、よく知っているはずだ。

この投稿者の声に「郷に入ったら郷に従え」という格言を引用して賛意を示す人もいるかもしれない。だが、それはこの格言の「誤解釈」である。そもそもこの格言は地元の人が外来者にたいして「こちらに来るなら、こちらのルールに従え」と警告するものではない。

本来この格言が言わんとしているのは、「新しい環境や文化の異なるコミュニティに入っていく場合には、その地のルールや習慣・しきたり、価値観を知り、それらに合わせるほうが摩擦を避けられ、スムーズに馴染んでいけるぞ」という、外来者が自らに向けた心構えであるとの理解が正しい。

いわば「外来者側の処世訓」だ。

■こうして「排外主義」は広がっていく

「アカルチュレーション(acculturation)」という言葉を聞いたことがある方はいるだろうか。

まだあまり馴染みのない言葉かもしれないが、多くの外国人が日本にやってくるようになった今こそ、日本人か外国人かの違いにかかわらず、この国に住まうすべての人が知っておくべき言葉であり、概念でもあると私は考えている。

これは、異なる文化を持つ人々の集団が継続的に直接接触した結果、一方さらに両方の文化が変化する現象、その相互的プロセス全体のことだ。

この変化は、言語、服装、食事、価値観、行動様式など、さまざまな側面に現れる。

アカルチュレーションの結果は以下の4つに大別される。

(1)同化(Assimilation)
:外来者が自分の文化を捨てて、新しいホスト文化に完全に適応する
(2)統合(Integration)
:自分の元の文化を維持しつつ、新しい文化にも積極的に関与、双方を維持しようとする
(3)分離(Separation)
:新しい文化との接触を避けて、自分の文化だけを維持する
(4)周辺化(Marginalization)
:元の文化も新しい文化も受け入れられず、いずれの文化にも所属意識が持てず、疎外感を抱く

つまり「郷に入ったら郷に従え」を誤解釈して、地元民が外来者にたいして言うものだという考え方は、外来者を強制的かつ一方的に「同化」させようとするものであって、この思考は「従わない者は出ていけ」という排外思想ときわめて親和性が高いといえる。

今の日本には、SNSを中心に、根拠の希薄な情報や発言がねずみ算式に増幅することが生み出した「排外思想」が急速にまん延しつつある。

そういった意味では、奇しくも冒頭の投稿者が述べるように、今の日本の現状はまさに「誰も言わないともっと酷くなります。今は非常事態です」といえるだろう。

写真=iStock.com/bradleyhebdon
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/bradleyhebdon

■医療の現場も例外ではない

さらに由々しきことは、こうした思想が、じつは医師や医療従事者のなかにもかなり前から「まん延」していることだ。

外国人のみならず、日本人の生活保護利用者など患者さんの属性によって認識や対応を異にしかねない言動をする人も、医療現場には残念ながら珍しいとはいえない。大学で指導的立場にある人までも、そのような思想をSNSで肯定している事例さえ目にする。

医療従事者といえば、その「プロフェッショナリズム」として、高度の倫理、ヒューマニズム、公平性、社会正義が求められる職業だ。彼らのみならず、その彼らを指導する立場にある人までも、排外思想に汚染されてしまっているとするなら、わが国の医療の将来が非常に不安だ。

私が医療現場で医学生や研修医の指導にあたる際には、臨床技能よりもむしろ「プロフェッショナリズム」に重きをおいて指導することとしているが、こうした「属性」によって患者さんへの認識や対応を変える「色眼鏡」をついかけてしまいがちな思考に陥らないよう、とくに気をつけて指導している。

この「色眼鏡」は、他者を自己の価値観に一方的に「同化」させるものに他ならないだけでなく、「色眼鏡」で見ることが日常となって、なんら違和感を覚えなくなり無自覚となってしまうと、かりに意図したものでなくても該当者に差別的処遇を与えかねない。

しかもそれを周囲の誰も異常とは思わなくなる状況を考えたとき、不安にならない人はいるだろうか。

■対象は「外国人」にとどまらない

しかもそのターゲットは、今は外国人や生活保護利用者だけかもしれないが、ゆくゆくは高齢者や障がい者などに広がっていきかねない状況が訪れる危険性も考える必要があるだろう。

そのような事態となれば、患者さんと医療者とのあいだにもっとも重要な信頼関係の構築は不可能となる。たがいに疑心暗鬼の関係となってしまうからだ。

つまり、こうしたプロフェッショナリズム教育には、さきに紹介したアカルチュレーションの認識も、じつは非常に重要なのである。

医師が接する患者さんには、疾患の多様性のみならず、じつにさまざまな生活様式や背景、習慣、性格、取り巻く環境、価値観があって、ひとりとして同じステータスなどありえない。

よって、診療やケアをおこなうにあたっては、患者さんと医師をはじめとした医療スタッフとのあいだに存在する、文化や価値観の違いをたがいに尊重しつつ、相互のコミュニケーションを通じて、いかに「統合」して協力関係を築くかが重要になってくるのだ。

医療者が患者さんに一方的に「同化」を迫ってはならないし、かといって、すべての希望や要求に「迎合」してしまっても、適切な診療やケアはおこなえず、結果として患者さんにとって不利益をもたらすことになってしまう。

写真=iStock.com/EvgeniyShkolenko
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/EvgeniyShkolenko

■排外思想にとりつかれた国の末路

私は医師であり教育者だからアカルチュレーションの重要性について、医学教育の現場での例を挙げたが、医療従事者や教職者という職業にかぎらず、あらゆる職業において、また、すべての人が社会生活を営んでいくうえにおいて、このアカルチュレーションという言葉と概念が広く知られ、意識されていくべきだと思っている。

いったん「排外思想」に取り憑かれてしまった人たちの意識を変えていくことは、困難なことかもしれない。だが、彼らが「外来者に侵されないよう守るべき」とする現在の「日本文化」は、そもそもいかなる外来者からの影響も受けずに、純粋に日本だけで発展してきたものではない。

「排外的主張」を声高に叫ぶことで鬱憤を晴らし、一時的には感情的に「快楽」を得ることができるかもしれない。そういった人たちを支持者として取り込むべく競うように排外的政策を叫ぶ政治家も増えている。しかし、じっさいに「排外主義」を政策として実践してしまえば、その先に待っているのは、自国外の文化や価値観に接しなくなることによる、衰退と孤立だ。

すべての人に知ってもらいたい言葉と概念だと述べたが、このアカルチュレーションは、わが国の政治を語る者、日本の政治にかかわろうとする者にこそ、まず真っ先に知ってもらわなければならない。

彼らが「日本の文化」を大切に思う“真の保守”であれば、なおさらだ。

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木村 知(きむら・とも)
医師/東京科学大学医学部臨床教授
1968年生まれ。医師。東京科学大学医学部臨床教授。在宅医療を中心に、多くの患者の診療、看取りをおこないつつ、医学部生・研修医の臨床教育指導にも従事、後進の育成も手掛けている。医療者ならではの視点で、時事問題、政治問題についても積極的に発信。新聞・週刊誌にも多数のコメントを提供している。著書に『大往生の作法 在宅医だからわかった人生最終コーナーの歩き方』『病気は社会が引き起こす インフルエンザ大流行のワケ』(いずれも角川新書)など。
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(医師/東京科学大学医学部臨床教授 木村 知)