5年間も棚上げされていたリニア工事の手続きの一つにようやく見通しが立った。ジャーナリストの小林一哉さんは「表向きは進んでいるように見えるが、静岡県は川勝知事時代の反省を何一つ行っていない。このまま進めば、JR東海との間にいずれ大きな禍根を残す」という――。
山梨県立リニア見学センター(写真=くろふね/CC-BY-3.0/Wikimedia Commons)

■5年越しにリニアトンネルの準備工事に進捗

リニア南アルプストンネル静岡工区(8.9キロ)工事の早期着工を踏まえ、JR東海の水野孝則・副社長が8月1日、静岡県の平木省・副知事を訪問し、トンネル本体工事の準備段階とするヤード(工事の作業基地)用地の拡張を要請する文書を手渡した。

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平木副知事(右)に要請書を手渡す水野JR東海副社長 - 筆者撮影

ヤードの準備工事といえば、5年前、当時の金子慎JR東海社長と川勝平太知事との面談をきっかけに、JR東海静岡県の間で激しいやり取りが続いた因縁のテーマだ。

川勝知事が準備工事を認めなかったことで、JR東海は「2027年開業は延期せざるを得ない」と表明し、新聞、テレビは「静岡県がリニア開業を遅らせた」と大騒ぎした。

この準備工事を認めなかったことがさらなる「静岡悪者論」を生んでしまった。

しかし、今回静岡県JR東海の「5年越しの再提出」をあっさり認める方針だ。

まず当時、いったい、何があったのかを振り返る。

■川勝知事時代に前言を翻した

2020年6月26日、金子社長が静岡県庁を訪れ、川勝知事にトンネル本体工事以外のヤードの準備工事を認めてもらうよう要請した。準備工事には「トンネル掘削は含まない」と明記されていた。

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2020年6月の川勝知事と金子社長の対談を取材した多数のメディア - 筆者撮影

川勝知事は「自然環境保全条例は5ヘクタール以上の開発であれば協定を結ぶ。県の権限はそれだけである。条例に基づいて協定を結べばよい。活動拠点を整備するならばそれでよいと思う」などと述べ、いったんはヤードの準備工事を認めた。

ところが、その約1時間後に再び囲み取材を行い、「自然環境保全条例に基づいて準備工事を認めない」と前言を翻してしまった。

理由として、準備工事に斜坑、導水路、工事用道路の坑口整備(樹木伐採や斜面補強)、濁水処理等設備の設置などを含めていたことを問題にした。

静岡県は、樹木伐採や斜面補強などをトンネル本体工事の一部とみなして、準備工事に「ノー」を突きつけたのである。

■川勝知事の「いやがらせ」にJRが反発

トンネル本体は大井川の直下約400メートルを通過する。その建設には、いくら大深度の地下であっても河川法の占用許可が必要となる。川勝知事は頑なに占用許可を認めてこなかった。

だから、JR東海がトンネル掘削を想定して樹木伐採や斜面補強、濁水処理等の設置などを行っても、勝手にトンネル掘削できるはずもないのだ。

つまり、準備工事を「トンネル本体工事の一部」とみなしたのは単なるいやがらせでしかない。

このため、JR東海は、川勝知事の「自然環境保全条例に基づいてヤード工事を認めない」という表明に強く反発した。

トップ会談のあと、JR東海は「知事は5ヘクタール以上であれば協定締結の可否によって判断すると述べた。速やかに協定締結の準備を整え、ヤード整備に入りたい。もし、それが困難であるならばその理由をうかがいたい」と毅然とした書面を静岡県に提出した。

これに対して、静岡県は「ヤードの準備工事はトンネル工事の一部であるという行政判断をした」と一方的な解釈を示しただけで逃げてしまった。

この回答に納得できないJR東海は「条例の目的に照らして(静岡県の行政判断は)正当なものではなく、これまで担当課から説明を受けて準備を進めていたこととは違う」と、あえて事務レベル段階での進捗を明かした上で、「変更した経緯と理由を明らかにしてほしい」とする書面を再度送った。

JR東海は水面下で県担当者と条例に基づいた「協定書案」をまとめる方向で進めていた。だから、県がそれまでの姿勢を180度変えてしまったことに強い不満を抱き、納得できなかったのだ。

■史上初の「拡大解釈」でJRの要請を拒否

そもそも、自然環境保全条例にそれほど強い権限がないことはJR東海だけでなく関係者すべてが承知していた。

環境省は自然環境保全法に基づいて、全国に原生自然環境保全地域、自然環境保全地域を指定している。都道府県は、国の2つの地域に準ずる地域を指定するために、条例を制定している。この地域は地域内の特に貴重な動植物の保全などを求めているが、開発の可能な地域でもある。

ただ条例は強制力を持たず、開発業者が協定締結を怠った場合に業者名を公表する程度の罰則規定しかない。

自然環境保全条例の規制は緩く、協定締結のハードルは非常に低い。

それなのに、静岡県は南アルプスのリニアの準備工事に限って、自然環境保全条例の解釈、運用を拡大して、樹木伐採や斜面補強、濁水処理等の設置などをトンネル本体工事の一部とみなして、準備工事を認めないというのだ。

1971年の条例制定以来初めての措置であり、リニアの準備工事という理由だけで、JR東海の要請を蹴ってしまったことは誰の目にも明らかだった。

あまりにも理不尽であり、こんな無理筋を強行すれば、静岡県への批判が高まるのは当然だった。

■国も静岡県の対応は変えさせられなかった

これにいち早く反応したのが、隣の山梨県議会だった。県議会は「国が前面に立って課題を解決すべき」との意見書を可決した。

国交省は水面下で法律の趣旨に反する対応だと翻意を促したが、静岡県は耳を傾けなかった。

官邸からの指示があり、静岡県の常識外れといえる対応を国は放っておくわけにはいかなくなった。

金子社長の面談から2週間後に、国交省の事務方トップ、藤田耕三事務次官、水嶋智鉄道局長(現・事務次官)が川勝知事と面談するために静岡県庁をわざわざ訪れるという異例の事態となった。

国交省の藤田事務官らが静岡県庁を訪れた(筆者撮影)

藤田次官らは川勝知事に法律の趣旨を説明して懇願したが、川勝知事に軽くいなされ、面談は終わってしまった。

当時、大井川流域の首長たちが川勝知事を強く支援していたのだ。

彼らは「準備工事を認めれば、なし崩しに本体工事につながる可能性がある」「2027年開業にこだわるヤード整備は住民の不信感を増す」などと主張したため、静岡県は「本体工事につながる準備工事を認めない」との方針を決めたという。

たとえ法律の趣旨、解釈に背いていても、現在では国と地方は対等の関係であり、国が条例に基づいた地方の対応を変えさせることなどできるはずもない。

藤田次官は「静岡県の解釈、運用に問題はない」と述べるだけで、どうすることもできなかった。

この結果、国の威信は地に落ちてしまった。

■「5年前の反省」なしに進めようとしている

それから5年がたち、川勝知事の退場で対応は一変した。

8月1日に水野副社長から要請書を受け取った平木副知事は「本体工事に直接関わるような設備や施設を置くことは原理原則として行えない。今回はわれわれの原理原則に反するものではない。庁内で協議していく」と準備工事を認める方針を示した。

筆者撮影
「準備工事」を説明する平木副知事(左)、水野副社長 - 筆者撮影

今回は、準備工事はヤード用地の拡張にとどめさせ、「(準備工事には)坑口整備や濁水処理等設備の設置などの本体工事(トンネル工事)については含まない」と5年前の行政判断を尊重する断り書きをわざわざ入れさせた。

坑口整備(樹木伐採や斜面補強)、濁水処理等の設置などを行ってもトンネル掘削をするわけではない。それなのに、いまでも静岡県は「トンネル本体工事の一部」とみなしているのだ。

だから、静岡県の「原理原則」とは、「準備工事はトンネル本体工事の一部である」とした5年前の行政判断が正しかったことを指すのである。

5年前の行政判断が正しかったと強弁することで、過去から現在まで静岡県に何ひとつ間違いなどなかったことにしたいのだろう。

■「静岡悪者論」を放置したままでいいのか

これまで、「山梨県の調査ボーリングで静岡県の湧水が引っ張られる。静岡県の水一滴すべてを戻せ」など、リニア問題に関して、静岡県はさまざまな独自の主張を繰り返してきた。川勝知事の退場後も、過去の総括をしないで、すべて正しいとして、リニア問題の対応に当たっている。

だから、リニア開業を遅らせたとする「静岡悪者」論はいまだに根強い。

「準備工事を認めれば、なし崩しに本体工事につながる」ことなどあり得ないとわかっていたのに、静岡県は準備工事にストップを掛けた。

そんな行政判断が正しいはずはないのに、いまでも「原理原則」だと固執する。この結果、JR東海静岡県の意向に従い、準備工事の定義を変えざるを得なくなった。

「静岡悪者論」を払拭させる対応とは、平木副知事が泥をかぶる覚悟で、過去の間違いを認めた上で、静岡工区の着工に舵を切るという姿勢を見せることである。過去のおかしな対応をそのままにしておいては、信頼回復につながるはずもない。

■ごまかしはいずれ禍根を残す

底の割れた茶番のごまかしをやっていれば、将来に禍根を残すだろう。これまで静岡県のやってきたことがすべて正しいとして「原理原則」を唱え続ければ、どこかでつじつまが合わなくなるのだ。

いま問題になっているトンネル工事で発生する要対策土の処理について、静岡県は国に法律の解釈を求めた。もし、国の都合のよい解釈をそのまま「錦の御旗」にでもすれば、静岡県の「原理原則」が、底の浅いものであることを満天下に知らしめるだけである。

「正直」こそが最善の戦略である。静岡県は過去の過ちは過ちだと正直に認めるところから始めるべきである。JR東海の描く「リニアのある未来」を多くの国民が待望するのであれば、1日も早い静岡工区の着工が待たれる。

JR東海の計画にもずさんで見通しの甘い部分があったことも大きな原因のひとつではある。しかし、静岡県は、静岡県で「真実」を正直に伝えるべきである。

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小林 一哉(こばやし・かずや)
ジャーナリスト
ウェブ静岡経済新聞、雑誌静岡人編集長。リニアなど主に静岡県の問題を追っている。著書に『食考 浜名湖の恵み』『静岡県で大往生しよう』『ふじの国の修行僧』(いずれも静岡新聞社)、『世界でいちばん良い医者で出会う「患者学」』(河出書房新社)、『家康、真骨頂 狸おやじのすすめ』(平凡社)、『知事失格 リニアを遅らせた川勝平太「命の水」の嘘』(飛鳥新社)などがある。
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(ジャーナリスト 小林 一哉)