サッカーは運動なんです。センスだけで勝てるはずがない。やっぱり動かないと、足を使わないと。これは、卓球、バスケットボール、それに野球などにも当てはまります」

──サッカーの場合、ボールに食らいつく動作がなければ試合に勝てません。上手さと泥臭さ、これらが合わさって初めてチームは出来上がるということでしょうか?

「戦う姿勢ですよね。例えば、守備の局面ではボールを奪うという圧を相手にかけるのが大事。いざ競り合いになったらグッとボールを刈り取る球際の強さも必要です。それらを身に付けるうえで結果的に役立ったのが、3対3や4対4の練習でした。選手たちは、狭いエリアの中で常に1対1になるような状況を強いられるわけですから、自然と戦う姿勢を養うことができました。

狭いと言えば、帝京の練習グラウンドはシュート練習にも適していました。狭いからシュートを外しても、塀なんかに当たってボールが戻ってくる。反復練習にはもってこいの環境で、帝京の強さの秘訣は?合理的なグラウンド“にあったのかもしれません」
 
──帝京の球際の強さが光ったのが、三羽烏(長谷川健太、大榎克己、堀池巧)擁する最強・清水東(静岡)との一戦。前田治選手の決勝弾で制した第62回の選手権決勝(1984年1月8日)でした。

「当時は清水東に限らず、静岡の高校には技量で敵わない。実際、その大会の準々決勝で清水東は浦和市立に9‐0と圧勝している。向こうの土俵で戦ったら勝てないわけですから、とにかく球際の勝負に持ち込もうと選手たちに話しました。試合内容を振り返れば若干ながら押し込まれましたが、守りは崩されなかった。ディフェンダーの岩井(厚裕)がフィジカルを利して1年生ストライカーの武田(修宏)を止めてくれたのもあって、1‐0で勝てた。

日頃から身体も心も鍛えていた成果が出た試合でしたね。サッカーに判定勝ちはないですから、ボールを意図的に持つ必要はないですし、上手く見せる義務もない。1点取って、ゼロに抑えれば勝ちなんです。あの試合には私のサッカー哲学が凝縮されていましたよ」

──次の大会で帝京は連覇の偉業を達成。思い出深いシーンが、武南(埼玉)との準決勝で室崎公平選手が決めたオーバーヘッドシュートです。

「室崎は、自主練になるとトランポリンをよくやっていましてね。飛び跳ねながらボールを蹴るわけですよ、楽しそうに(笑)。その遊び心を、国立の舞台、しかもオーバーヘッドという形で表現しちゃうんだから、たいしたものでした」
 
──帝京ブランドの象徴のひとつが、第66回大会(87年度)の選手権に出場したチーム。礒貝洋光選手、森山泰行選手、本田泰人選手らスーパースターがズラリと揃っていました。

「当時の帝京にはアンダーカテゴリーの代表候補が13人もいましたから、『選手権で優勝するだろう』と言われるわけです。ところが、現実は違う。その代表候補の大半が膝や腰などに持病があって、森山なんてグラウンドで練習したのは3年間のうち10か月くらいだったと記憶しています。礒貝もしばしば膝が抜ける症状に悩まされていてフル稼働できない。そんな様子だから、いつしかチームは計算しながらプレーするようになってしまうんですよ。

ある学校の文化祭に呼ばれて試合をしても、最後の最後に追いつくような帳尻合わせをする。それでは選手権で勝てるはずがありません。東海大一(静岡)との準々決勝は負けるべくして負けました(結果は0‐0でPK負け)。基本的に余裕をこいていて、PKの練習なんてしたこともないわけですから。もちろん、そんな状態にしてしまった私の責任は重いですよ」

──敗北の歴史も経て、帝京は第70回大会(91年度)の選手権で再び頂点に立ちます。市立船橋(千葉)との準決勝では、残り3分で1‐1に追いついたあと、古沼監督は「もう1点取りに行かないとダメじゃないか」と檄を飛ばしました。その時の心境を改めて教えてください。