現代のシェアリング経済の特徴のひとつは、モノやサーヴィスをシェアする基盤が近隣住民の枠組みを超えて、デジタル的に身分証明された見知らぬ人々へと拡大する「ストレンジャーシェアリング」にある。逆に言えば、近隣住民や顔の見える関係の間でのシェアは新しいものではないということだ。

「「ついでの互助」と変容のエコシステム:人類学者・小川さやかによる、古くて新しい「ネイバーフッドエコノミー」論」の写真・リンク付きの記事はこちら

実際、近隣住民の間でシェアリング経済が機能している地域は多々ある。例えば、わたしが長年調査するタンザニアの零細商人は、次のように語った。「(1980年代半ばまでの社会主義体制の理念である)ウジャマー(家族的連帯)に基づく経済は、資本主義経済が浸透しても、オレたちの間では残っている。オレたちは近隣住民や仲間と日々『鍋を貸してくれ』『少し融通してくれ』と言い合って生計を立てているのだから」と。

「ネイバーフッドエコノミー」の創出を担うとして注目される融通のソリューションは、意外にも古くさい「伝統」から出発することが多い。ただ、いかなる「伝統」をアップデートするかでその形態は大きく異なる。

近年、プラットフォーム資本主義の問題が盛んに議論されるようになった。自由な働き方として脚光を浴びたギグエコノミーだが、現在では正規の雇用者とは違って保障がなく、アルゴリズムによって指示・評価される働き方であり、実のところ巨大テック企業による巧妙な労働者の搾取であるとする議論が優勢だ。

これに対して注目されつつあるのが、プラットフォーム協同組合主義だ。代表的な論者のネイサン・シュナイダーは『ネクスト・シェア』にて「自分たちが働き、買い物をし、お金を預け、あるいは集まる場となるビジネスを人々がリスクと報酬を分かち合いながら所有し、統治する経済の伝統」をリヴァイヴァルする必要があると主張する。

シュナイダー自身も述べるように、既存の協同組合は、自発的参加、自治と自助、民主主義、平等、公正、連帯、コミュニティへの関与といった理念が薄れ、個々の組合員は便宜性だけに関心をもち、時にはあからさまな汚職がはびこる閉鎖的な体質がしばしば問題化してきた。こうした協同組合をネット時代に合わせた「開放性」「透明性」を備えたプラットフォームへとつくり変え、さらには組合員の周辺にあるコミュニティや地域経済、地球規模の課題にも取り組もうとするのが、プラットフォーム協同組合主義だ。

その創設は、西欧や先進諸国だけで生じているわけではない。例えば、ケニアのスタートアップであるクワラ(Kwara)は、同国の伝統的な相互扶助の仕組みである貯蓄信用組合SACCOが管理する金融情報を可視化するサーヴィスを展開している。SACCOは、酪農家や茶生産農家など職種ごとに組織されており、十数人の組合から数百人の組合まで規模はさまざまだが、各人が資金を預金し、他の組合員の預金を元手に借り入れを行なう仕組みは共通する。クワラはSACCOの預金額や借入、返済等の状況を可視化し、相互扶助を促進すると同時にビジネス等の情報共有や人材育成にも取り組む。

同じくケニアを拠点とする非営利団体グラスルーツ・エコノミクスはインフォーマル居住区(スラム)のコミュニティ経済の発展を目指し、ブロックチェーン技術を応用した自前のベーシックインカムとコミュニティ包摂通貨のシステムを構築・支援している。地域コミュニティ内の資源やサーヴィスを「預金」としてコミュニティ包括通貨を発行し、交換と融通を促進することで、現金がなくても資源やサーヴィスにアクセスできるセーフティネットを構築する仕掛けだ。この通貨とプラットフォームを基盤にコミュニティ農園などの事業も運営する。

ほかにもテック系スタートアップの新天地となったアフリカ諸国では、さまざまな形態のプラットフォーム協同組合主義が胚胎しつつある。ただし、「協同組合の最先端が目指すのは一種の逆説」とシュナイダーも述べるように、「協同組合という所有権の手法」と「所有権を消し去ろうとするプラットフォーム資本主義の運動」は相克する故に、時としてプラットフォーム協同組合主義は、ギルド的な閉鎖性と独占、開放性とシェアの理念の間で揺れ動く。

「ネイバーフッド」の結節点としてのSNS

近年、新興国でリープフロッグ型の発展が生じていることがよく指摘される。道路敷設に先駆けてドローンによる医薬品輸送が開始されたり、銀行口座の普及なしに携帯電話の口座を介した電子マネーの送金システムが浸透したりと、先進諸国が経験した段階を経ずに一気に社会経済が発展するリープフロッグ型発展、あるいは新しいネイバーフッドエコノミーの創出は、ヴェンチャー企業や非営利団体だけが進めているわけではない。

アフリカ諸国の都市社会は、ネットワーク社会でもある。民族や同郷者、隣人関係などを基盤とする共同体や組合は数多く存在するが、日々の生計を成り立たせているのはより個人的な関係性の束である。アフリカの都市経済の重要な割合を占めるインフォーマル経済従事者は不安定な環境に適応するために生計手段を多様化し、少しでも実入りが良い仕事を見つければ、転職を繰り返すジェネラリスト的な生き方をしている。

その多くは、職場から職場、長屋から長屋、都市から都市へと渡り歩く人生を歩む。そのため、特定の「ネイバーフッド」への参加は永続的なものではない。例えば、わたしの調査助手は知り合ってから20年でバスの添乗員や古着商売、建築現場の日雇い労働など30種類以上の仕事に従事した。職場あたり30人と互助をしたと仮定すると、30回の転職で900人の仲間ができる。16回の引っ越しで得た隣人関係を含めると、彼自身の仲間は1,500人を超える。

実際、タンザニアではAirbnbやUber Eats、クラウドファンディングと同等のサーヴィスは、昔から個人のネットワークに存在してきた。携帯電話が浸透していなかった2000年代初頭、わたしが見知らぬ都市へ行くためにホテルを予約していると、友人たちはいつも「ホテル代をわざわざ払うなんてかわいそうに。オレたちはどの都市へ行ってもひとりくらいは知人を見つけ、無料で泊めてもらえる」と笑った。FacebookやWhatsAppなどのソーシャルメディアは、各地に移住した元隣人や元仕事仲間と現在の隣人、仕事仲間をつなぐ結節点となり、その結節点が仲間を介して拡大した。結果として、現在ではソーシャルメディアで「明日〇〇市に行く」とつぶやくだけでホームステイ先を見つけられるようになった。

行商人たちは、以前から仕入れた商品を買ってくれる客探しと並行して、得意客から「デニムシャツが欲しいから届けてくれ」といった御用聞きをしていた。彼らはソーシャルメディアで注文を受け、顧客の注文品を商店街や市場で探し出し、客の自宅や職場へと届けるギグワーカーに変貌した。商店街や市場で見つけた商品にヴィデオ通話にした携帯をかざし、客が購入を決断すれば、手付金を電子マネーで送金してもらい、配達後に残りの代金を受け取る。行商人同士でグループページを開設し、その日の配達ルートから外れた注文を交換したり、ニッチを調整したりもする。髪結い師などのサーヴィス業から家具職人などの零細製造業に至るまで、独立自営業であればインフォーマル経済は何でもギグエコノミー化する。

また、隣人や職場の仲間で葬式講や頼母子講、貯蓄講など多様な目的の講をし、葬儀の経費や学費からビジネスの資本まで捻出していた。個人が過去と現在に属した居住上と仕事上の「ネイバーフッド」の結節点であるソーシャルメディアは各種の講、いま風に言えば、クラウドファンディングの一覧が掲示されるプラットフォームとしても機能する。

ソーシャルメディア上の個人ページとそれとリンクする職種や居住単位ごとのグループページは、協同組合とは異なる論理で動いている。路上商人たちは路上をオープンスペースと見なし、同業種の集積による客寄せ効果と分散によるニッチの分かち合いを各自の裁量で調整することで路上空間の秩序をオートポイエーシスしてきた。彼らは、いつも利用している路上に規模の大きい商人が参入すると、別の路上へ移動したり取り扱い商品を変更したりし、商売敵が路上から退出すれば、また以前の路上へと舞い戻ったり以前の商品を扱ったりした。柔軟な離合集散と商売替えがそれぞれの経済的なニッチを分かち合う暗黙の作法となってきたのだ。

また路上で営業する多様な業種は、緩やかな共存関係を築いていた。例えば、古着商人が集まる路上には古着の修繕を担う仕立て屋が自然に集まり、大型の電化製品を扱う路上商人が集まる路上には、荷車引きが集まっていた。なじみの古着商人が別の路上へと移動すれば仕立て業者もついていくし、その逆の動きも生じる。

同時に自身の商売地に古着商人が参入すれば、靴磨き業を辞めてアイロンがけ業に転業するなど、共存相手の転職に応じて自身が転職することも頻繁に生じる。このようにインフォーマル経済従事者が自生的に築き上げてきた都市空間をそのまま再現したソーシャルメディアでは、個々人は各グループページを自由に参入退出し、リンク機能を駆使して連携する相手を自在に変化させていく。そこでは特定のプラットフォームを協同で管理し運営していく「組織」「コミュニティ」を基盤とするのとは異なる、ネイバーフッドエコノミーが創出されている。

融通ではなく「変容」のエコシステム

専門分化を前提とする現代のシェアリング経済は、モノやサーヴィス、情報あるいはトークン等のデジタル通貨の融通を目的化している。だが上記で述べたプラットフォームが基盤とするのはインターネット機能を通じた異業種間の偶発的連携であり、共通目的があるとしたら、その都度の危機や状況に適合するように「ともに変容する」こと、偶然のイノヴェイションの促進である。

例えば、コロナ禍により経営不振となった輸入品店主は、社会不安を見越して警備員派遣業を始めた。彼女は、なじみの仕立て業者に正規警備会社の制服とそっくりな制服を20着ほど注文し、同業の商店で店番として雇用されていた若者に着せ、数時間から数日単位の臨時の警備員として派遣する仕事を始めた。派遣依頼は、商店主同士で築いたグループページ上で募集し、商店主らに派遣する若者の身元保証をさせた。商店主たちはコロナ禍で店番に給与が支払えなくなっていたので話に乗った。警備員派遣業を始める商店主はすぐに増加した。

彼/彼女らは「変転する政治経済状況においては何が正解かは不明」であり、話し合いによって事前に解決策を見いだすことには限界があると語る。それ故、各人がばらばらに動き、異なるグループを出入りすることで創出される「カオス」に合理性を見いだす。誰かと誰かの連携が偶然に生まれ、誰かの試みが成功してそれまでのビジネスが組み替えられ、新たなチャンスが生まれることに賭けるのだ。そこには持続的なメンバーシップもトークンなどの融通を促進する仕掛けもない。それでも参入退出の自由、連携相手の組み替え自由、模倣の自由、他者のビジネスへの不干渉と「ついでの互助」を暗黙のルールにするエコシステムを機能させることで、巨大企業のE-Commerceが浸透するなかでも自律的な経済領域を保持し続けているわけだ。

小川さやか|SAYAKA OGAWA
立命館大学先端総合学術研究科教授。1978年生まれ。京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科一貫制博士課程指導認定退学。博士(地域研究)。主な著書に『都市を生きぬくための狡知─タンザニアの零細商人マチンガの民族誌』『チョンキンマンションのボスは知っている─アングラ経済の人類学』『「その日暮らし」の人類学』など。