新型コロナウイルスの影響で自動車業界は危機にある。だが、トヨタ自動車は直近四半期決算で黒字を計上した。なぜトヨタは何があってもびくともしないのか。ノンフィクション作家・野地秩嘉氏の連載「トヨタの危機管理」。第10回は「非常時の支援活動」--。
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インターネット中継での決算説明会で発言するトヨタ自動車の豊田章男社長=2020年11月06日、[同社ホームページより] - 写真=時事通信フォト

■人工呼吸器の生産を断った理由

新型コロナ危機のさなか、政府はトヨタに「部品でもよいので人工呼吸器を作れないか」と打診した。政府の人間の頭にはアメリカのGMが人工呼吸器を作ったという事例があったのだろう。

だが、トヨタは「それはやめておきます」といったん返事をする。

「人の命にかかわることですから、ノウハウもないものにチャレンジして、かえってご迷惑をかけると大変です」

しかし、まったく協力しないわけにはいかない。

「ただし、現在、生産しているところへ行って、品質を上げる、量がたくさん出るようにすることはできます」

そこで、生産調査部は他社も参加した混成チームを編成し、医療向け電子機器メーカー日本光電の富岡生産センタ(群馬県)へ出かけて行った。チームはトヨタ、デンソー、東海理化の3社から8人が参加。4月の末から7月の中旬まで、断続的に指導した。

主査の牛島信宏が先遣隊として現地に入ったのは4月22日のことだった。

■「光栄だしありがたい。だけど……」

さて、トヨタ混成チームが支援する日本光電の富岡生産センタもまた、社会の緊急ニーズにこたえて増産準備を進めていた。

ただし、同生産センタは支援チームに感謝しながらも、当時は直面する問題を処理することに大わらわだったのである。

彼らが直面した事態とは施設内で新型コロナに感染した人間が出て、工場自体を2週間(4月1日から12日)、閉鎖しなければならないことだった。

医療現場がもっとも人工呼吸器を欲しかった大事な時期に2週間、生産ができなかった。そのため、日本光電富岡の責任者、真柄睦はジレンマに陥っていたのだった。

「トヨタさんに来ていただくのは光栄だしありがたいことです。特に当社はトヨタ生産方式を導入して勉強していたところでしたから、ご本尊の方々に指導していただく機会はめったにないことだと思いました。しかし、工場を2週間閉めていた直後にいらしたので、指導を受ける余裕はないのではないかと案じました」

牛島はその時、真柄を安心させることにした。

「私たちは人工呼吸器に関しては素人です。しかし、生産性向上、増産に関してはプロです。ですから、できる限りやります。また、自動車も人の命を預かる機械です。必ずお役に立つことができます」

そう言うと、現場の何人かはうなずいた。誰だって、人工呼吸器を増産して、医療現場のために役に立ちたいと思っている。彼らがうなずいたのは、もっともなことだった。

■車と人工呼吸器では生産方式が違う

牛島は人工呼吸器の増産について日本光電の第二生産部長、五十嵐淳一と何度もやりとりをした。

そこで、あらわになったのが生産方式の大きな違いである。

五十嵐は言う。

「トヨタ生産方式はプル型の生産です。部品を使ったら、後工程へ発注する方式です。一方、私たちが作っている医療器械の生産はプッシュ型なんです。生産計画に従って、発注した部品を揃えてから生産する。

そして、プル型にすればいいじゃないかと言われても事情が違うのです。

まず、足の長い部品が多い。足が長いとは発注してから届くまでに時間がかかることです。たとえば人工呼吸器に使う酸素センサーはドイツのあるメーカーしか作っていません。そこでなければ作れないのです。酸素センサーは3カ月から半年前に発注しておかなければいけないし、発注を止めることはできません。

また、当社の医療器械は製品の種類が非常に多い。多くの種類を揃えていなくてはいけないから部品点数も多いのです。

当時、2週間も工場を閉鎖したので、発注した部品が数多く届きました。その結果、検品作業で滞留が起こり、増産の障害になっていたのです」

牛島と五十嵐は生産方式や増産態勢について、相当、激しくやりあった。しかし、五十嵐が語るように、足の長い部品は発注をストップしようと思ってもすぐには止まらない。結局、牛島は現場の事情を考慮しながら増産の支援を行った。

ただ、この時のやりとりは「プル型のトヨタ生産方式が危機に対応しやすい」方式だという証明になったと言える。

写真=iStock.com/dusanpetkovic
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/dusanpetkovic

■ミッションは、6倍の増産態勢を作ること

牛島は次に他の問題についても訊(たず)ねた。「何か、困っているところはありませんか」である。

困っている問題を解決することは自らの存在を相手に認めさせることにつながり、ひいては、先方との協力関係を深めることができる。

そして、日本光電から出てきた課題はベッドサイドモニタ(生体情報モニタ)を増産することだった。それは人工呼吸器使用時に不可欠な患者の容体をモニタリングする同社の主力製品で、日本光電としては増産したかった製品だった。

牛島は「わかりました。それ、お手伝いします」と請け合った。以後、両者は緊張関係から協力関係へと踏み出した。

さて、人工呼吸器の増産に話は戻る。

それまで、ひと月あたり48台が実績だった。それに対して、政府からの要請は月に300台である。6倍もの増産だった。

果たして、牛島たちは3カ月で結果を出すことができたのだろうか。

■専門外でも“トヨタ流”は生かせる

牛島は言った。

「結果的には達成しました。でも、私たちがやったことは具体的にはそれほど難しいことではないのです。

まず新しいラインをひとつ作りました。次に作業の平準化です。毎日、一定の数を作ることを徹底しました。ある日はたくさん作って、ある日は少ししか作らないといった状況を変えたわけです。また、その際、海外からの部品で手に入りにくいものが出てきて、そこがネックになっていました。それに関してはうちの調達に動いてもらって、手に入れることができました。

同時に、平準化のための勤怠管理というか……。毎日ちゃんと15台ずつ作りましょう。何かの都合で遅れたりしたら、その日に残業もやりましょうと提案して実行しました。むろん、それまでも残業はしていたのです。しかし、その日の朝、『今日は残業できますか?』と聞いてから初めて残業の生産計画を考えるといった具合でした。残業できないと言われたら、仕事は翌日に持ち越しになってしまうのです」

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■ムダをしている当事者が気づいていないという問題

「トヨタみたいに毎日30分ずつ残業してちゃんと決まった数を必ず作るためには、残業計画は前から決めておかなくてはならない。そして、突然、残業できなくなった人のためのリリーフ要員まで用意しておくことが必要です。こうした細部までの気配りを行って増産を達成しました」

ここにあるように、支援の場合に必要なことは、何が困っているのかを聞く。困っているところを改善する提案をする。了承してもらって改善作業に入る。支援した先が自らやる気にならなければ、いくらトヨタ生産方式を活用しても、結果は出ない。

3カ月で生産性を6倍上げると聞くと、「それは無理」と思ってしまうが、実はムダを省いて、平準化するだけで生産性は上がる。問題はムダをしている本人はそれをムダと思っていないことにある。ムダは他人から指摘してもらわなければなくならない。

※この連載は『トヨタの危機管理』(プレジデント社)として2020年12月21日に刊行予定です。

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野地 秩嘉(のじ・つねよし)
ノンフィクション作家
1957年東京都生まれ。早稲田大学商学部卒業後、出版社勤務を経てノンフィクション作家に。人物ルポルタージュをはじめ、食や美術、海外文化などの分野で活躍中。著書は『トヨタの危機管理 どんな時代でも「黒字化」できる底力』(プレジデント社)、『高倉健インタヴューズ』『日本一のまかないレシピ』『キャンティ物語』『サービスの達人たち』『一流たちの修業時代』『ヨーロッパ美食旅行』『ヤンキー社長』など多数。『TOKYOオリンピック物語』でミズノスポーツライター賞優秀賞受賞。noteで「トヨタ物語―ウーブンシティへの道」を連載中(2020年の11月連載分まで無料)
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(ノンフィクション作家 野地 秩嘉)