現役最年長・福浦和也を支える亡き母の言葉 「今でも忘れない」
8日放送、テレビ東京「追跡LIVE!SPORTSウォッチャー」では、千葉ロッテマリーンズの福浦和也に密着。来年、現役最年長となる26シーズン目を迎えるベテランのモチベーションに迫った。
村田修一、新井貴浩、松井稼頭央など、球界を代表する面々が現役に別れを告げた。同い年では、松井以外にも、高橋由伸がすでに引退、上原浩治も自由契約となっている。そんな中、今年2000本安打を達成し、名球会入りも果たした福浦は、来年もユニフォームを脱がない。
もともと、大きな期待を背負ってプロ入りしたわけではない。高校時代は甲子園出場経験なし。ドラフト候補に名前が出ることはなく、本人も「そこまで力があると思っていなかった」と認める。
それでも、1993年のドラフトで、福浦はロッテから7位で指名された。全指名選手中、最後の64番目。当時の担当スカウトだった伊達泰司氏は、千葉に移転するにあたり、オーナーから地元への配慮があったと明かす。
年俸400万円(推定)、背番号は「70」と、期待されての入団ではなかった。だが、1年目の夏、のちに監督となる2軍打撃コーチ、故山本功児氏の思いつきから打者に転向したことが転機に。4年目で1軍に初出場すると、定位置を確保した。
福浦のバットのグリップには、家族の名前が手書きで記されている。その一人が、「共働きしながら3人兄弟全員、野球をやらせてもらったことを感謝している」という母・千江子さんの名だ。
1軍に上がって3年目の23歳、ようやくプロとして活躍し始めた1999年、その千江子さんが病魔に冒されてしまう。球場にも出向けず、闘病生活を送る母を元気づけたい――福浦は2000年のオールスターに出場する姿を見せたいと願った。「足りないものを補おうとしていた」。
松井秀喜、松坂大輔、イチローといったスターと一緒に、福浦はオールスターのグラウンドに立った。だが、その1カ月前、千江子さんは46歳という若さで他界。母の応援する姿、病と闘う姿を忘れないという想いで、福浦はバットに千江子さんの名を刻んだ。
福浦は「2005年も優勝したし、2010年も優勝したけど、涙は流さなかった。おふくろの亡くなった時が最後の涙かな」と振り返る。
6年連続で打率3割を記録し、首位打者も獲得した福浦だが、30代半ばからは度重なるケガに悩まされ、ここ数年は成績も上がらず、ベンチスタートが続いた。かつて1億8000万円だった推定年俸も5000万円を切り、同期入団で残る選手は数名となった。
それでも、引退は考えなかった。走れる限りは走り切ると母に誓ったからだ。福浦は「病気で入院しているときに、こちらが支えなければいけないのに、見舞いに行ったときにいつも言ってくれたのが、頑張ってという言葉。今でも忘れないし、その言葉があったからここまでこられた」と明かす。
史上52人目となる2000本安打を達成した福浦は、亡き母への想いを胸に、来年も現役最年長となる26年目のシーズンに臨む。
村田修一、新井貴浩、松井稼頭央など、球界を代表する面々が現役に別れを告げた。同い年では、松井以外にも、高橋由伸がすでに引退、上原浩治も自由契約となっている。そんな中、今年2000本安打を達成し、名球会入りも果たした福浦は、来年もユニフォームを脱がない。
それでも、1993年のドラフトで、福浦はロッテから7位で指名された。全指名選手中、最後の64番目。当時の担当スカウトだった伊達泰司氏は、千葉に移転するにあたり、オーナーから地元への配慮があったと明かす。
年俸400万円(推定)、背番号は「70」と、期待されての入団ではなかった。だが、1年目の夏、のちに監督となる2軍打撃コーチ、故山本功児氏の思いつきから打者に転向したことが転機に。4年目で1軍に初出場すると、定位置を確保した。
福浦のバットのグリップには、家族の名前が手書きで記されている。その一人が、「共働きしながら3人兄弟全員、野球をやらせてもらったことを感謝している」という母・千江子さんの名だ。
1軍に上がって3年目の23歳、ようやくプロとして活躍し始めた1999年、その千江子さんが病魔に冒されてしまう。球場にも出向けず、闘病生活を送る母を元気づけたい――福浦は2000年のオールスターに出場する姿を見せたいと願った。「足りないものを補おうとしていた」。
松井秀喜、松坂大輔、イチローといったスターと一緒に、福浦はオールスターのグラウンドに立った。だが、その1カ月前、千江子さんは46歳という若さで他界。母の応援する姿、病と闘う姿を忘れないという想いで、福浦はバットに千江子さんの名を刻んだ。
福浦は「2005年も優勝したし、2010年も優勝したけど、涙は流さなかった。おふくろの亡くなった時が最後の涙かな」と振り返る。
6年連続で打率3割を記録し、首位打者も獲得した福浦だが、30代半ばからは度重なるケガに悩まされ、ここ数年は成績も上がらず、ベンチスタートが続いた。かつて1億8000万円だった推定年俸も5000万円を切り、同期入団で残る選手は数名となった。
それでも、引退は考えなかった。走れる限りは走り切ると母に誓ったからだ。福浦は「病気で入院しているときに、こちらが支えなければいけないのに、見舞いに行ったときにいつも言ってくれたのが、頑張ってという言葉。今でも忘れないし、その言葉があったからここまでこられた」と明かす。
史上52人目となる2000本安打を達成した福浦は、亡き母への想いを胸に、来年も現役最年長となる26年目のシーズンに臨む。