移設に反対する市民らの激励に応える翁長雄志沖縄県知事。(時事通信フォト=写真)

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沖縄県知事が辺野古の埋め立て承認を取り消したことに対する代執行訴訟が始まった。国が勝てば、知事に代わって承認取り消しを撤回する。12月2日の第1回口頭弁論では、翁長雄志知事自ら出廷し、正当性を訴えた。

しかし、この裁判は最初から国が勝つと決まっていると言っていい。もともと米軍基地や原発などの国策訴訟は、国側が勝つ場合がほとんどだからだ。しかも今回は、裁判を担当する福岡高裁那覇支部の裁判長(那覇支部長)に行政寄りの裁判官が任命されている。

裁判長を務める多見谷寿郎氏(57歳、司法修習36期)は、代執行訴訟が提起されるわずか18日前に、東京地裁立川支部の部総括判事(裁判長)から慌ただしく福岡高裁那覇支部長に異動している。

この転勤が普通と違うのは、多見谷氏の立川支部の部総括判事の在任期間が1年2カ月と妙に短いことだ。裁判官の異動は通常3年ごとである。高裁の陪席判事と違って、現場の指揮官である地裁の裁判長を急に動かすと現場が混乱する。多見谷氏は、立川支部の前は東京高裁の陪席判事(約4カ月)だったため、本来なら立川支部を経ずに那覇に持ってくるのが自然だ。また、前任の須田啓之氏(修習34期)もわずか1年で那覇支部長を終えて宮崎地家裁の所長に転じており、これも妙に短い。

最高裁は、「今回の異動は、他県の裁判所で退職者が出たことに対応する人事」だと説明している。たしかに、宮崎地家裁所長の市川正巳氏(62歳、修習30期)が退職し、福岡高裁那覇支部長だった須田氏が後任になり、その後任が多見谷氏という玉突きになっている。市川氏が、年収2千数百万円という地家裁所長の職をなげうって、定年(65歳)前に退官するのは、公証人になるためだろう。公証人は、働く公証役場の場所次第だが、地家裁所長に匹敵する収入を得られ、定年は70歳だ。しかし、63歳までにならなくてはいけないという慣行がある。

市川氏の退職理由はいいとして、須田氏の後任が多見谷氏しかありえなかったかというと、そうでもない。多見谷氏と同じ修習36期で裁判官に任官したのは59人。そのうちすでに辞めたり、死亡したりした者が17人、地裁所長や同等の職位にある者が10人強で、ここからさらに刑事裁判官や直近に異動した者を除くと、15人程度が須田氏の後任になりうる。その中には多見谷氏よりも長く現在の職場にいる者が8人ほどいる。さらにいえば36期だけでなく、34、35、37期にも適任者はいるはずだ。

■意図的なら危険沖縄の裁判官人事

多見谷氏は、平成22年4月から同26年3月まで千葉地裁の裁判長を務め、行政(およびそれに準ずる組織)が当事者となった裁判を数多く手がけているが、新聞で報じられた判決を見る限り、9割がた行政を勝たせている。その中には、国営の成田国際空港会社が反対派農民の土地明け渡しを求めた国策色の強い裁判もある。

過去、国策裁判で意図的な裁判官人事が行われたと見られる例がいくつかある。昭和45年に新潟地裁で始まり、自衛隊の合憲性が争われた小西空曹事件では、東京地裁から藤野英一裁判官が送り込まれた。札幌地裁が1審判決(昭和48年)で自衛隊を違憲と断じた長沼ナイキ訴訟では、控訴審の裁判長として小河80次横浜地裁部総括判事が札幌高裁に送り込まれ、悪名高い「長沼シフト」が敷かれた。伊方原発訴訟(松山地裁)では昭和52年の結審直前に、訴訟を担当していた合議体の村上悦雄裁判長と左陪席の岡部信也裁判官が2人揃って突然異動になった。もちろんこれら裁判では、国、検察、電力会社の「国策側」が勝っている。

安倍政権下では、安全保障関連法案を成立させるために、内閣法制局長官に集団的自衛権推進派の小松一郎氏を強引に持ってくる人事が行われた。

今回の人事が意図的なものとは断定できない。また法技術性が高い行政訴訟の経験がある裁判官を選ぼうとすれば選択肢は多くなかったかもしれない。多見谷裁判長には疑念を持たれないような訴訟指揮と判決を期待する。

(黒木 亮=文 時事通信フォト=写真)