幻冬舎社長 見城徹氏

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短期間で大成功する人は私たちと何が違うのか。
努力量はほぼ一緒、学び方の小さなコツに秘密があった。

■血肉化してこそ勉強だ

知識を増やすだけの勉強には意味がない。血肉化されて初めて役に立つ。血肉化とは、文字通り、その学びを自分の体の一部にするぐらいの吸収をするということだ。学生時代に習った微分積分や三角関数が、君たちに血肉化されただろうか。生きるうえで、切実なものとして、何かの役に立っただろうか。

私は上辺だけまねるやり方が大嫌いだ。もっと自分の深いところを見て、変えようとしなければダメだ。小手先じゃなく、自分の方法を自分でつかみ取らなくてはならない。だから私はセミナーや講演に行ったことは一度もない。

私にとって血肉化されたものとは、吉本隆明の『転位のための十篇』という詩集がそうだ。私は仕事で不可能だと思えることに決然と挑戦しようとするとき、この吉本隆明の詩集を読むことにしている。私にとっては戦いのためのバイブルだ。

学生時代、今回のデモでは逮捕されるかもしれないと思うとき、自分を奮い立たせるために涙しながら読んだ。こんな矛盾のある世の中は間違っている。貧富の差をなくしたい。この社会を根底から変えなければいけない――。世界を変革したいという想いで、ヘルメットとゲバ棒で突撃していくのである。

そのときはやはり怖い。でも、俺は俺の意志を貫き通す、俺の信じている正しいことをやり通すんだ。そのときに立ちはだかる様々な困難、風圧をはね除けるために、この吉本の詩を読むと勇気が出た。

幻冬舎を創業するときもそうだった。まず99%新しい出版社なんて立ち上がらない。立ち上げてもすぐ潰れる。100人が100人、絶対に失敗するという大合唱の中で始まった。出版は斜陽産業であり、ずっと市場がシュリンクしていた。その中で、戦って勝って成長していくというのは、倒産と常に隣り合わせの賭けに次ぐ賭けだった。

でも、リスクがなければ得るものはない。リスクが高い、最も難しい道を選んで圧倒的な努力をする。リスクがあるものをやらない限りは、鮮やかな成功は手に入らないからだ。私には人がそんなバカなということを選び、やり続けてきた自負がある。

起業家としてビジネスをしていると、後発の自分たちはこんなに不利なんだということを思い知らされることがある。今あるルールとは既存の勝者がつくっているものだからだ。だから、それも突破していかなければならない。そのたびに夜も眠れぬ日が続く。圧倒的努力をしてなお、恐怖と戦う日々が続く。そんなとき、吉本隆明の詩を読むと、戦い切ろうという気になってくるのである。

吉本隆明の詩は決然とした意志に満ちている。彼はアカデミシャンではなく、市井の思想家だ。著作はすべて自分の生き方、事情から生まれたものだ。つまり、生きるということにおいて、血肉化されているということである。書かなければ救われない、生きていけないというレベルで書かれたものだ。だから胸に迫ってくる。

例えば、こういうフレーズがある。「ぼくを気やすい隣人とかんがえている働き人よ、ぼくはきみたちに近親憎悪を感じているのだ、ぼくは秩序の敵であるとおなじにきみたちの敵だ、きみたちはぼくの抗争にうすら嗤(わら)いをむくい、疲労したもの腰でドラム罐(かん)をころがしている、きみたちの家庭でぼくは馬鹿の標本になり、ピンで留められる、ぼくはきみたちの標本箱のなかで死ぬわけにはいかない、ぼくは同胞のあいだで苦しい孤立をつづける」(ルビは編集部)

これは絶対的孤独の中で一人も味方がいないということだ。わりの合わない困窮を受け止めている人々のために、社会の仕組みが変だ、経済の構造が変だ、と命を懸けて戦っているのに、バカの標本としてピンでとめられてしまう。だから僕は秩序の敵であると同時に君たちの敵だと言っているのである。

この吉本隆明詩集を暗誦しながら、私は、不可能を可能にしようと生きてきた。この詩集は、私の中では紛れもない本質的なアジテーションである。私にとって、これほど血肉化されたものはない。自分の生き方=ビジネスであり続けた私にとって、勉強とは、自分の血を湧き立たせるコンテンツを探す旅でもあった。吉本隆明の詩集は何百回と読み返しても、そのたびに燦然と輝いている。

■圧倒的努力をせよ

成功している起業家とは3万人のうちの1人だ。頭角を現さなかった2万9999人は消えているから、歴史に残らない。成功した人たちだけが残っているから、成功した起業家がいっぱいいるように見える。だが、その背後は死屍累々の有り様で、成功した起業家になるのは奇跡に近いことなのである。

苦しまないところに結果はついてこない。難しい道を選ばない限り、結果なんかない。だからこそ、自分で七転八倒して、自分の勉強法を見つけることに意味がある。それは自分でつかみ取るしかない。

圧倒的努力というのは、人が寝ているときに寝ないことなのである。人が休んで寛いでいるときに、自分は仕事や勉強に取り組む。さらに言えば、人が諦めてしまうものを諦めないということだ。それをやるかやらないか。しかも決然と決意できるかどうか。仕事にしろ、勉強にしろ、結局は覚悟の問題だ。

私が幻冬舎をつくったとき、何もなかった。何もないから、何をするべきか。最初に決めたのは、年末の12月25日から1月5日まで毎日5人に手紙を書くことだった。作家の作品やミュージシャンのアルバムを全部読み、聞き込んで、自分の感想を伝える。四谷の雑居ビルに代々木の自宅から歩いて通い、昼に弁当を買う以外は、朝9時から夜中の12時まで1日5通、10日間で50人に手紙を書いた。

「うちに書いてくれ」と依頼をする手紙だ。それには、新しい発見や刺激がなければならない。私と仕事をしてくれれば、あなたにとって、もっとすごい結果が出るというふうに思わせる手紙を書かなきゃいけない。それは容易なことではない。だが書いた手紙は、ことごとく実を結んだ。それは、すぐに実を結んだものもあれば、10年後に実を結ぶものもある。詰まるところ、自分が七転八倒して悪戦苦闘したものが、実を結ばないことなんてないのだ。

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幻冬舎社長 見城徹(けんじょう・とおる)
1950年、静岡県生まれ。静岡県立清水南高校卒。慶應義塾大学法学部卒業後、廣済堂出版に入社。75年、角川書店に転職。93年に退職し、幻冬舎を設立。豊富な人脈をもとにベストセラーを出し続ける。著書に『編集者という病い』(集英社文庫)など多数。

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(國貞文隆=構成 市瀬真以=撮影)