『武藤章』(川田 稔) 武藤章は、東京裁判でA級戦犯として死刑判決をうけた軍人として知られている。 彼は対米開戦時の陸軍省軍務局長で、開戦に至る国策決定において重要な役割を果たした。 満州事変(一九三一年)以降、日本は陸軍がリードするかたちで国策を進めていくようになる。そして、一九三五年(昭和一〇年)頃から、その陸軍で主導権を握ったのが、いわゆる統制派だった。武藤はその統制派における理論