日本を代表するフレンチ巨匠4人がリアルに通う店16選!

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これぞ美食リストの決定版!日本フレンチ界を牽引する巨匠4人、『北島亭』の北島素幸シェフ、『ラ・ブランシュ』田代和久シェフ、『ル・マンジュ・トゥー』谷昇シェフ、『コート・ドール』斉須政雄シェフに、普段から愛してやまないレストランを教えてもらった。

豪華絢爛の4名から、どんなレストランが出てくるのか?まずは『北島亭』の北島素幸シェフのおすすめレストランから。

GINZA Kansei(銀座)

食材の味を引き出す絶妙な技がひかるフレンチの名店

つき合いの長いシェフでも、あらためてお料理を食べると感激を覚える、そんな店があるという。北島シェフにとって『GINZA Kansei』はその中のひとつだ。

『GINZA Kansei』は銀座5丁目に佇むスタイリッシュなレストラン。オーナーシェフの坂田氏は北島氏にとってフランス修業時代からの戦友で、かれこれ30年ほどの付き合いになるというが、先日訪問した際に食した「茹でた鮑に胆のソースを添えた料理」が最高に美味しかったという。

「坂田さんは素材の良いところを上手に引き立てるのがすごく上手。先日食べたセップのスープも、素材の良いところを上手に引き出していて流石だなと思いました。自分の仲間がそういう旨いのを作ると嬉しいし、励みになります。俺もこういう料理を作れるようになりたい。もっともっと上達したい、と素直にそう思います」

食材の可能性を最大限まで引き出すことを目指し、常に挑戦を続ける北島シェフ。その姿は多くのシェフに強い影響を与えている。その北島氏をもうならせる『GINZA Kansei』の料理は北島亭ファンならずとも必食と言えるだろう。

懐石 辻留(赤坂)

シンプルで旨い。大切なことに気づかせてくれる懐石の名店

北島シェフが惚れ込む『懐石 辻留』は、明治時代から続く懐石料理の老舗だ。

最初はお客様に連れて行っていただいたのがきっかけだとのこと。
調理方法はシンプルながら、素材の持ち味を最大限に引き出すご主人の技に惚れ込み、その後改めて2度訪れたという。

「たとえばお刺身。素材の味を最大限に引き出すために醤油にもすごくこだわってことがよくわかる。鱒の幽庵焼きだって、すごくシンプルな料理なんだけど、一番美味しい”塊”の状態で出てきて、内側から魚本来の優しい味が滲み出ている。これがものすごく旨くて、ああ、俺が求めていた料理はこれなんだってすごく感動したの」

「正直に言うと、お客様や周囲の声に不安や迷いが感じることもあるんだけど、辻留の料理を食べて、やっぱり“素材の味をシンプルに引き出していく料理が一番美味しい”という自分の考えは間違ってないと、あらためて確信できた。自信がわいたし、すっきりした」

北島シェフにも、料理について迷いが生じることがあるということ自体に新鮮な驚きを感じるが、その迷いを雲散霧消するほどの圧倒的な魅力を宿す『懐石 辻留』の料理に強い興味を抱くのは私だけではないはずだ。

コート・ドール(白金高輪)

大好きなライバル、斉須シェフが率いる総合力No.1のフレンチ

「レストランの総合力という意味では、町場で一番いいレストランだと思う」

北島シェフがそう言いきるのは、この後ご登壇いただく、斉須シェフ率いる『コート・ドール』。

「斉須さんは、テリーヌや鹿のシヴェがすごく上手い。どこか淡いイメージのある味付けなんだけど、肝心なところがビシッと決まっていて、本当に旨い。サービスもしっかりしているし、本当に素晴らしいレストランだと思うよ」

斉須シェフもフランス修業時代からの戦友。同じ境遇を経験した2人だからかもしれない。食材や料理に関する考え方、姿勢には共通するものがある。

「料理ってね、常に発見があるんですよ。食材にもいろんな状態があって、同じ料理でも火加減ひとつで味が変わる。常に最高の状態にもっていくことは簡単じゃない。うちのスペシャリテ“仔羊の塩包み蒸し焼き”を作る時は今でもドキドキします。辛いなと思う時もあるけれど、そういう時が伸びる時だと思うし、そのドキドキが楽しいんだよね、料理人は」

「斉須シェフは、負けたくない、大好きな友達」

フランス料理の世界に入って30年を超し、いまや大御所といわれる2人のシェフ。2人をさらなる挑戦へとかきたてるのは、トレンドや時流ではなく、他ならぬお互いの存在なのだ。

■プロフィール
きたじま もとゆき 1951年福岡県生まれ。六本木『レジャンス』入社後、1977年に渡仏。『トロワグロ』『ジョルジュ・ブラン』『アルケストラート』『ラ・マレ』などを経て1982年に帰国。『ドゥ・ロアンヌ』『パンタグリュエル』のシェフを務めた後、1990年に四ッ谷に『北島亭』をオープン。

続いては、『ラ・ブランシュ』田代 和久シェフのお薦めレストラン!

『ラ・ブランシュ』田代シェフが愛する究極の“うまいもの屋”はこのレストランたち。

霞町 すゑとみ(広尾)

最高の食材と職人技がひかる霞町の名店

「一言でいうと、うまいもの屋」
田代シェフは『霞町 すゑとみ』をこう紹介してくれた。

先方の店主が『ラ・ブランシュ』に来てくれたことから交流がはじまったという『霞町 すゑとみ』は「忙しくてなかなか外食をする機会は多くはないけど、うまい日本料理を食べたいと思った時に思い浮かぶ店。」だという。

「なんていうのかな、料理に勢いがあるんだよね。最高の食材と料理人の技、それに感性が加わって、うまい料理になる。それを感じられる場所だね」

ひとたび訪れればきっと田代氏が気に入る理由が見えてくるはずだ。

分とく山(広尾)

最高の料理とサービス。和食の“原点”とも思える名店

お気に入りの和食店として『霞町 すゑとみ』に続いて紹介してくれたのは、広尾の人気店『分とく山』。野崎洋光料理長とは同郷(福島県)で、共通するものがあるという。「東日本大震災後の復興支援でもご一緒させてもらったんだけど、野崎氏の熱い想いとエネルギッシュな活動は本当に素晴らしいですよ。」と語る。

「インパクトはありつつ、素材を知り尽くした野崎さんならではの自然の美味しさと日本の旬を感じさせる素晴らしい料理。それに野崎さんの笑顔。いつでも最高のもてなしで迎えてくれる店です」

普段は方言を使わない田代シェフだが、野崎氏と会えば自然に東北弁が口をついて出てくるとか。きっと野崎氏も同じだろう。「東北弁に『こでらんに(最高)』とか『までいに(丁寧に)』っていう表現があるんだけど、二人で話をしているといつの間にか方言になっていて、なんだかほっとするんですよね」

数多くの美食家に多くのファンを持つ『分とく山』。和食の基礎理論をベースとしつつ、その時代に合わせた美味しさを表現する野崎氏の確かな技と温かなもてなしは、田代シェフの心もしっかりとつかんで離さない。

きく(銀座)

ほっとしたい時に最適な“同級生の店”

仕事が終わった後、田代シェフが“ほっとしたい時”に訪れるのが、銀座で30年以上も小料理屋を営む『きく』。

シェフのお気に入りは、今や『きく』の代名詞になりつつある「小アジフライ」だそう。

「『きく』は河豚や煮つけなど、他のものも美味しいんだけど、 “あの小アジフライを食べたいな”と思ったらすぐ行きますね。」

聞けば、店主とは料理学校時代の同級生だという。田代氏がフランスに修行に行っている間に『きく』の店主が店を出し、店の写真をフランスに送ってくれたことで、「よし俺も頑張ろう」と大きな刺激を受けたという。

以来、30年近くも訪れているという“同級生の店”は、田代氏にとって束の間のやすらぎをくれるまぎれもない名店なのである。

ボンシュマン(学芸大学)

こだわりの食材と花澤シェフ独自の感性が生み出す唯一無二の料理

『ラ・ブランシュ』を卒業した花澤シェフが2002年に開いたのが五本木の『ボンシュマン』だ。

「彼はうちで働いていた時よりも、独立してから更に磨かれている。常に築地に出向いて最高の食材を探すという姿勢も含め、料理に対する探究心と熱い想いは際立っていると思います。」と賛辞を惜しまない。

「食材の特性を引き出しつつ、花澤くんならではの感性を加えていて、どの料理も決して誰かの真似ではない彼オリジナルの料理に仕上がっている。そういうところが本当に素晴らしいと思っています」

フレンチの大御所を魅了しつづけるその確かな腕は、今なお進化を続け、今宵も多くのゲストに感動をもたらしている。

北島亭(四ツ谷)

料理人をして“職人”と言わしめる情熱の人、北島シェフの技を体感できる場所

「とにかくすべてが男前で熱いひとですよ。」田代シェフがこう語るのは、『北島亭』の北島素幸シェフ。料理に対して常に真摯でストレートなその姿勢は、昔も今も変わらないという。

「以前いただいたイサキの味は今でも記憶に残っています」

今でも毎日築地に通う北島シェフの食材に対する徹底したこだわりと、もっと料理を極めたいという情熱家の料理は、美食家のみならず、多くの料理人をも魅了している。

■プロフィール
たしろ かずひさ 東京で修業後、’79年渡仏。『バリエルニュイ』『ルーランデ』『ギー・サヴォワ』などを経て’82年帰国。銀座『レザンドール』のシェフを務め、’86年に『ラ・ブランシュ』をオープンした。

続いては、『ル・マンジュ・トゥー』谷昇シェフのお薦めレストラン!

『ル・マンジュ・トゥー』谷昇シェフのお薦めはこのレストランたち!

いづもや(日本橋)

疲れているときは、やっぱり鰻

谷シェフが最初に挙げてくれたのが日本橋の鰻屋『いづもや』だ。

「最近すごく仕事が忙しくて、少し疲れ気味なんですよね。そんな時に欠かさず行きます。 本店もすぐ近くにあるのですが、僕の店と同じ日曜定休なので、日本橋三越のイートインによく伺います。」

「ここは、僕の奥さんが子供の頃から通っています。今住んでいる家からも近いし、辛めのタレも好みに合う。基本的にみりんを多用した甘い系のタレが苦手でして。」

谷シェフが毎回必ず注文するのが、「うな重の松の大盛り」だそうだ。

「料理人というのは、肉体労働者なので沢山食べます(笑)本当は日本鰻(より皮が柔らかく、希少)を使った昔ながらのうな重が食べたいのですが、残念ながら、いつも僕が行く夕方には売り切れてるんです。」

『いづもや』の鰻の魅力を谷シェフはこう語る。

「とにかくふわっふわ。なんでこんにふわふわに蒸し上げられるんだろうってくらい。一連の作業工程がまったく分からないからこそクセになる。また、お重の中で鰻とご飯を箸で切ってすくいあげる動きの中で、まったく鰻が動かないのもすごい。初めて行ったときにびっくりしました」

多い時は月に2回訪れるという。3週連続で行こうとした時は、さすがに奥さんに止められたそうだ。それほどまでに、『いづもや』の鰻は谷シェフの胃袋を掴んで止まない。

桃の木(三田)

今までと全く違う、「軽やかな」中華

『桃ノ木』を知ったのは、対談本の書籍の打ち上げで、出版社の編集者が連れて来てくれたのがきっかけだという。

「僕は中華が大好きなんですが、ここのお料理は今までいただいいてきた中華とまったく違った。すぐに家族を連れて再訪したら、みんなも大好きになってしまいました」

一体、今までの中華とは何が違うのか。

「軽いんですよ。とろみのあるような料理がない。ほとんどつないでないんです」

料理人の小林さんの姿勢にも心打たれるという。

「彼の仕事中の後ろ姿を見ていると、まるでバレリーナみたい!頭の動線がまったくブレないんです。凄い!と思いましたね」

「脇についているセカンドとの会話を小耳に挟むと、また「今の皿出すタイミング、1秒遅いよね」なんて、すごい精巧なんです。それでいて腰が低く、大好きな料理人ですね」

味わいの違いだけではなく、きめ細かな接客姿勢も谷シェフには興味深く映る。
たまには一味違う中華を味わいに、三田まで足を運ぶのもよいだろう。

布恒更科(大森)

もう蕎麦は、ここ以外愛せない

大の蕎麦好きを自認する谷シェフ。年越し蕎麦は30年以上『布恒更科』で毎年家族で食べているという。

「蕎麦が大好きで、平日にお店を閉めることがあると行きます。僕はグルメじゃないから、自分で店を探さないんです(笑))知り合いが連れて行ってくれたのがここを知ったきっかけ」

「蕎麦に関して一切ここ以外浮気しません。30年以上年越し蕎麦はここで。年越し蕎麦は予約を取らないので、家族全員で1,2時間寒空の下で並ぶこともあります」

同じ名前でご子息が銀座で新店を開いたという。銀座店も谷シェフも気になるところだ。

初めて行った時はまだ更科蕎麦を谷シェフは知らなかったという。

「真っ白な蕎麦を知らなかったので、驚いたんです。で、おやじさんに聞いてみると、蕎麦のことを話し始めたらもう止まらない。素敵な人だなと思いましたね」

谷さんの店紹介では最後まで、料理だけでなくシェフ、料理人への愛情あふれるコメントが尽きなかった。レストランを訪れた際は、シェフや料理人と会話を楽しむことでより一層食事が味わい深くなることを谷シェフの取材から窺い知れた。

■プロフィール
たに のぼる 六本木の「イル・ド・フランス」からフレンチの世界に入る。1976年、1989年と2度フランスへ渡り、アルザスの3つ星レストラン「クロコディル」や2つ星レストラン「シリンガー」などで修行をする。帰国後、六本木の「オー・シザーブル」などでシェフを務めたあと、1994年に「ル・マンジュ・トゥー」をオープン。

最後は、『コート・ドール』斉須政雄シェフの愛するレストラン!

『コート・ドール』斉須政雄シェフのお薦めはこのレストランたち!

L’AS(表参道)

センスあふれる実力派若手が供するカジュアルフレンチ

「(『L’AS』のシェフである)兼子くんはうちの卒業生なんですよ。」と、少し嬉しそうに微笑む斉須氏。

「彼はとてもセンスのよい子で、本当はクラシックのテクニックをきちんと体得しているんです。でも、今の時代にうまくマッチングするよう、考えに考えた上であの店のスタイルを作り上げたのです。もしかするといろいろな意見があるかもしれないけれど、彼はすべてわかった上で敢えてあのスタイルが最善だと判断したのです」

言葉の端々に兼子シェフへの愛情をふくませながら、斉須氏は言葉を続ける。

「『L’AS』は、彼のバックボーンを知っていればなおさら理解が深まるいい店だと思います。僕も3回行ったけど、実力は折り紙つき。ポロシャツで頑張っている彼を見ながら、頑張れっていつも心の中で応援しています」

青山の奥地にひっそりと佇む『L’AS』は、そのカジュアルなコンセプトで多くの食通を魅了し、今や押しも押されぬ人気店となっている。

しかし、兼子シェフのバックボーンを顧みれば、もはやカジュアルフレンチという枠組みには収まりきらない無限の可能性を秘めているのかもしれない。

ラ・マティエール(神楽坂)

斉須シェフがコスパ最強すぎて心配する『ラ・マティエール』

純粋でひたむきなシェフの姿勢があらわれた コスパ最強の神楽坂の名店
「最初は知人に誘われていったんですよ。そこで、僕の好きな型を持ったシェフだと分かり、すごく気に入って、そこからよく行くようになったんです。先週も行きました」

そう斉須シェフが語るのは、神楽坂の『ラ・マティエール』だ。

「彼は何を食べさせたいのかをストレートに表現するタイプのシェフ。だから、お客さんも今日何を食べたのかが、すごく強く印象に残るのです。金儲けとは原点が違う、純粋にお客さんに美味しいものを食べさせたいというひたむきな姿勢が感じられて、同業者の僕から見ても、とても好感がもてます」

帰り際には、厨房から半分窓をあけて挨拶してくれるという少しシャイなシェフ。
さりげない行動ひとつにもその人となりがあらわれているかのようだ。

「使っている食材や味の品質、ボリュームを考えると、価格はかなり控えめ。リーズナブルすぎるくらいです。本当は僕はもう少し値をあげてもよいのではないかと思っています」

フレンチの巨匠が通うというのだから味は折り紙つき。コスパが良すぎると斉須氏が心配するほどの店だ。なかなか予約が取りづらくなっているというが、是非一度訪れてみたいものだ。

GINZA TOTOKI(銀座)

斉須シェフが陰ながら見守る『ギンザ トトキ』

食材の可能性を最大限に引き出す自然派レストラン
26歳の時、斉須氏が休暇で日本に帰ってきた際に、『銀座レカン』の料理長だった城さんから「若いやつがフランス行きたいというから話をしてやってくれ」と言われて話をしたのが最初の出会いだったという。

「まるで若いころの自分に会っているような感覚で仲良くなったんです」
斉須氏がこう話すのは、『GINZA TOTOKI』の十時亨シェフだ。

「フランス時代も、よく会っていました。日本に帰国してから、彼が『銀座レカン』の料理長になったときもうちの店(コート・ドール)にずっと来てくれました。後に彼も独立することになるんだけど、実は僕はずっと彼に独立をけしかけていたので嬉しかった(笑)。僕自身も、フランスで働いていた時に、自分が働いている店のオーナーのありようを見ていて、自分が理想とするレストランを実現する上では、自分の舞台を持たなきゃと思っていたから、彼にも同じことを話しました」

十時氏は、1992年から11年間『銀座レカン』で腕をふるった後、2003年、自らの名前を冠した店を銀座5丁目にオープンした。コンセプトは“自然派レストラン”。自然から生まれた食材といかに対話をしながら、食材の可能性を最大限に高めることを旨としているという。

食材を大切にし、真摯に、ひたむきに向き合うという姿勢は、斉須シェフとも共通したものだ。
このような自然や食材に対する感謝の気持ちこそが、料理人にさらなる進化をもたらす源泉なのかもしれない。

ラ・ブランシュ(渋谷)

情熱のシェフが織りなす繊細なフレンチ

同じ福島出身ということもあり『ラ・ブランシュ』の田代シェフには以前から興味を持っていたという斉須シェフ。
同店に初めて訪れて体験したのは、同じフレンチでも自分とはまったく異なる料理スタイルだったという。

「彼は僕には持っていないものを持っていると感じて、とても魅かれました。田代さんは、体はとても大きいですが、作る料理はとても繊細で、食材や料理に対する愛情があふれています。彼をみていると僕も良い刺激をもらいます」

『コート・ドール』も『ラ・ブランシュ』もいまでこそ不動の人気を誇る名店だが、開店当初から順風満帆という訳ではないという。

「毎日風にたつライオンのような気持ちでやってきました。田代さんのところもそれは同じ。開店当初は苦労をしたと聞きますが、それでも支えてくれた人たちのお蔭でこれまでやってくることができた。だからこそ僕たちは“もっともっと美味しいものを作れるようになりたい”という気持ちが今でも強いのではないかと思いますよ」

大御所といわれるようになった今もなお創意工夫を重ねながら、日々精進を続けているという斉須氏。『ラ・ブランシュ』はそんな斉須氏にとって共感と気づきを得られる大切な場となっているようだ。

北島亭(四ツ谷)

斉須シェフが神と呼ぶ『北島亭』

フレンチ界の“アポロ神”。 あたたかく豪快な人柄が表れた骨太なフレンチ
北島シェフとは、斉須氏がフランスの『ランブロワジー』で働いていた31歳の時にお客さんとして来てくれたのが最初の出会いだという。

「はじめて会った時、アポロ神のようなオーラを感じました。僕たち東北の人間と違って、九州の人はなんだかパワーがあふれているイメージなんですよね。」と斉須氏。

特にフランスで出会った時に話した内容は今でも強く脳裏に焼きついているという。

「北島さんは、常々“クラシックの骨太さは忘れちゃいけない”と言っていました。クラシックのテクニックは過去にいろいろな人たちの審判をうけて生き残ってきたものなので、ないがしろにしちゃだめだと。決して時代の潮流に流されて、骨抜きになっちゃいけないと。その言葉がいまも強く印象に残っているし、僕の原点にもなっています」

今でも『北島亭』には、その精神を改めて感じるために食べにいくという。

「彼は屁理屈を言わず、まっさきに行動するタイプ。決して器用なタイプではないかもしれないけれど、美味しいものをお客さんに食べさせてあげたいと一心不乱に頑張っている姿を見ると本当に感動しますよ。懸命に打ち込むその姿には愛おしさすら感じます」

出会いから30余年を経てなお、強い信頼と尊敬の念を寄せる同志シェフの存在。
「北島さんは大好きなライバル」といってはばからない斉須氏にとって、北島氏は大きな活力源なのだ。

あらためて、トップランナーはいつでも謙虚に学ぶ姿勢を持っているもの。
料理人たちがお互いを高め合い、東京の食はさらに次のステップへと羽ばたいていくのです!