インディーズバンド電気ウナギ「曲に対する評価は大衆に任せるべき」
インディーズ音楽の本場である弘大前のソウル麻浦区(マポ)区延嬉洞(ヨニドン)で生まれた唯一の女性メンバーであるベースのキム・ナヨンは、7歳でピアノを始めた。「小学校2、3年生の時、ポップソングと歌曲が好きだった父が楽譜を買ってくると、私がそれを弾いて父が歌うことがよくありました。当時、私はザ・ビートルズのバンド音楽もピアノの伴奏曲だと思っていました。高校生になって初めて原曲がギター音楽ということを知りました。しばらくの間、楽器を演奏するチャンスがなかったんですけど、大学に入ってある先輩が酔っ払った私を音楽サークル“トラス”に連れて行きました。それで、もう一度、することになりました。ピアノを弾けるという理由で最初はキーボードを担当しましたが、ギターが面白くてギターを弾くなど、色々しているうち、結局、ベースを弾くことになりました」
全羅南道(チョルラナムド)光州で生まれ、生後6ヶ月でソウルに上京したドラムのキム・ミンヒョクの家庭は、街中にあるカラオケにさえも行かないほど、音楽と遥かに遠い雰囲気だった。小学5年生の時、ソ・テジの音楽に魅了され、父親にねだって携帯用のカセットプレーヤー、マイマイ(カセットプレーヤーのブランド)を買ってもらった。中学生の時、ポップソング部に入ってザ・ビートルズやカーペンターズなどのポップソングを聞き、密輸されたビジュアルロックバンドのX JAPANやGLAYなど日本の音楽もたくさん聞いた。高校卒業を控え、自分でも演奏をしたいと思い楽器教室に行った。だが、楽器を買うお金がなくて「スティックさえあればできる」と聞いたドラムを選択し習った。大学でバンドサークルの“ソウルズ”に入った彼は、メタリカやメガデスなどハードな音楽を演奏した。
彼は除隊した後、2005年に光州で4人組のインディーズバンド、レモニ マカロニ(サルラン)を結成し、2〜3年ほど活動した。レモニ マカロニ(サルラン)は光州唯一のモダンロックバンドだった。当時、光州の市内にクラブはコクスとNEVER MINDの2ヶ所しかなかったという。そこにNell、Delispice、オンニネイバルグァンが来て行った合同コンサートを見て、音楽をちゃんとやってみようと思った彼は無条件に上京した。それが2008年のことである。上京生活は、京畿道(キョンギド)一山(イルサン)注葉洞(チュヨプドン)でドラムレッスンをしたり楽器を売ったりしながら、しばらくの間、弘大を行き来していた。そして、2011年、知り合いのルームメートだったキム・ナヨンを通じて電気ウナギがドラマーを募集しているという話を聞き、オーディションを受けてバンドの5番目のドラマーとして2枚目のEPアルバムに合流した。
