脳科学者・中野信子が語る「AIと人間」10年後になくなる職業予測が当たらなかった理由
「なぜ、相手や周りの気持ちがわかりすぎる人ほど生きづらいの?」――。
職場や学校で、「空気」という暗黙のルールの中で生きなければならない私たち。さらに今、激変し続ける社会情勢を受け人々の不安はいや増し、空気の圧力は強まるばかりです。
そこで、中野信子さんが日本人の心性と強みを、脳科学・遺伝学・行動科学をとおして初めてひもとき、多くの共感を呼んだ大ベストセラーに、対処法を加筆したのが『新版 空気を読む脳』です。
日本人に特有の「空気を読む」能力を知ることが、賢く生き延びるための武器となります。今、生成AIによって次々と仕事が淘汰され、能力という尺度で見るとAIには絶対にかなわないと思い知らされます。ところが、人類を生き延びさせてきた機能こそAIには備わっていないものかもしれないのです。第1回(後編)はAIにはない脳の機能を探っていきます。
当たらなかった「AIによってなくなる職業」
さて、本記事は、2020年に刊行された『空気を読む脳』に加筆修正したものです。
当時からは予測のつかなかった出来事、社会の変化もさまざま起こりました。コロナ禍は過去のものとなり、もはや忘れ去られつつあります。為替相場の大きな変動もありました。欧米諸国ですでに見られている、外国人に対する排斥の視線の強まりなど、記事の内容に関連するような動きも加速したと感じられます。
大きな変化としては、生成AIの飛躍的な発展にともない、人間の、社会における機能の発露の仕方が否応なしに変化させられるという現実を、私たちは実際に目の当たりにするようになったことでしょう。
人間がこれまで拠り所としてきた、知性、創造性、感性、情動、情緒……などといった資質は、ほとんど生成AIが私たちよりもずっと高い水準で代替できる時代が実際にやって来たのです。10年以上前の2013年に、オックスフォード大学が発表した「10年後になくなる職業」は、残念ながらあまり当たってはおらず、多くの人を困惑させたのではないでしょうか。
この予測が当たらなかった理由の一端については、ロボットや自動運転のインフラなどが十分に整っていなかったため、という解析もなされていますが、コンサルタントやクリエイターなどが、「残る」職業にカウントされていたことには失笑を禁じ得ないという人も少なくないかと思います。なんというバイアス。ふたを開けてみれば、むしろ真っ先に淘汰される対象ではなかったでしょうか。自分の就いている仕事だけは最後まで機械に代替されることはないはずだと、半ば感情的なまでに頑なに現実から目を背け、刀で戦闘機と戦おうとしているようなありさまが目に浮かぶようです。
恥ずかしながら、何ごとも試してみたい気質の私は、さまざまな職業の人に「あなたの仕事はAIにとって代わられるのでは?」という質問を投げかけてみたのですが、高給取りほどその抵抗の度合いが強く、この質問が投げかけられたこと自体さえ許容できないといった激しい、それこそ感情的な反応を見せてきたことには驚き以上に微笑ましさすら感じました。
おそらく普段は、顧客に感情でものごとを判断している姿を見せることは許されないであろう、コンサルタントなどのいわゆる「勝ち組」とされる層のこうした挙動は、次代の研究対象として非常に興味深いものになり得るだろうと思います。逆説的に、彼らのこのような「非合理的」な反応こそが、生成AIにはなかなか真似のできない、最後の人間らしさの砦なのかもしれませんが。
ともあれ、自分自身の存在意義、存在価値を職業に求めていた人々は、その価値基準の変更を余儀なくされる時代に入ってしまったことを、どう受けとめるのか。職業に依存的であった人ほど、これは大きな試練になるであろうことは想像を超えるものではないはずです。
「空気を読む」能力は脳の謎の機能のひとつ
そもそも、私たちは、自らがそう信じているほど頭が良くもなく、冷静でも論理的でも合理的でもありません。AIの発展、汎用化にともなって、それはリアリティをもって実感されるようになったと思います。AIよりもずっと省エネルギーで機能を維持できるというところは素晴らしいのですが、記憶容量そのものや計算速度、能力という尺度で見るとなるとAIにはもう絶対に敵いません。
ひるがえって、私たちが生きのびてきた進化史を考慮すれば、それが単純に脳容積の増大と相関する認知能力の向上によるもの、とばかりも言い切れないのです。認知能力を知能と言い換えてよければ、むしろ知能の高さは突然の絶滅のシナリオの引き金にならないとも限らず、私たち人類にとっては両刃の剣でもあるのです。
そのようなあり方の私たちが、これまでどのように生き延び、歴史を紡いできたのか。その秘密を探るのに私たちの脳をもう一度ひもといてみるのは大きなヒントにつながるはずです。
私たちの脳には、必ずしも合理的な選択や情報処理能力の高さに直結するわけではない機能領域がいくつも備えつけられています。これらは一体何のためにあるのか、なぜ、そんなに余裕があるわけでもない、限られたスペースの頭蓋の中に、一見、合理的な計算の足を引っ張るような機能を司る領域がわざわざ設けられているのか、ずっと謎だったのです。
この、謎の機能のひとつが、「空気を読む」能力です。私たちにとって、この能力は一体何なのでしょうか。この能力を持ったことで、私たちには何がもたらされ、どんなメリットを享受し、またどんな業を背負うことになったのでしょうか。
世界のルールが激変し続ける現代に、この連載がみなさまのこれからを生き延びる力に少しでも資することができれば幸いです。
◇第2回は6月3日公開予定です。
