野村克也監督との出会いは最悪だった(手前は筆者)/(C)共同通信社

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【山粼武司 これが俺の生きる道】#84

【前回を読む】田尾監督には感謝しかない 電撃解任の際は一緒に辞めるつもりだったけど…

 2006年、野村克也監督が楽天の指揮官になった。名前を聞いた瞬間、「なんじゃそりゃ、最悪だ」と崩れ落ちた。ここにきて、なぜ野村監督なんだ。ほとんど接点はなかったものの、「ID野球」「野球に厳しく選手を褒めない」というイメージが強く、自分とはまったく合わないと信じて疑わなかった。

 そうはいっても、一度は戦力外になったのを田尾安志監督に拾ってもらった身。「まあいいや」とすぐに開き直れたのも事実だが、「俺と監督は絶対にウマが合わない」という予想も見事に的中する。

 迎えたキャンプ初日の2月1日。球場で野村監督のところへ行き、「おはようございます。山粼武司です。よろしくお願いします」と挨拶した。しかし、ウンともスンとも言わない。

「ん? 聞こえていなかったのか?」

 明日は絶対に分かるように挨拶しようと思い、キャンプ2日目の朝を迎えた。監督の目の前まで行って挨拶すると、俺の顔を見てプイ。ああ、これは完全に無視されている。そう確信した。たとえ嫌いでも「おお」くらいは言ってもいいのに、それすらしない。

 ミーティングでは散々「人とはどうあるべきか」なんて説教するくせに、挨拶は無視。心の中で「このオッサン、何言っとんだ」とツッコんでいた。次の日も無視されたら、そろそろ暴れたろうかな……。結局、暴れることはなかったが、3日目も無視され、半月が過ぎた。

 そして2月15日。全体練習が終わり、グラウンドでランニングをしていると、打撃コーチだった池山隆寛さん(現ヤクルト監督)が飛んできた。

「武司、監督が呼んでいるぞ。ベンチにいるから行って来い」

「え、何ですか」

「おまえ、何やったんだ?」

「いや、俺、監督としゃべったことないですよ」

「いいから早く行け」

 そう言われてベンチに行くと、野村監督が座っていた。見上げて俺の顔を見るなり、こう言った。

「おい、おまえ、生意気なんだよ」

 何!? と思った。すると監督はこう続けた。

「おまえ、見栄えが悪いんだよ。人に勘違いされやすいだろ。実は俺も一緒や。俺、無愛想だろ?」

「……はい」

「俺も見栄え悪いだろ?」

「……はい」

「俺と一緒だな。これからはそう思われないように野球せえよ」

 これが野村監督が楽天に来てから初めての会話だった。

 翌朝の16日、挨拶すると、「おお」と反応してくれ、そこから次第に少しずつ話せるように。これこそ野村監督が提唱していた人材育成の極意「一に無視、二に称賛、三に非難」の入り口だったといえる。

 半月もの間、俺を観察していたという野村監督は、キャンプ中のミーティングでも俺の「サボり」を見抜いていて……。
(山粼武司/元プロ野球選手)