東京から1時間半…常磐線「ときわ」の“ナゾの終着駅”「勝田」には何がある?
常磐線では、いまでは珍しいのかどうなのか、新幹線でもないのに特急列車が八面六臂の活躍をしている。ほぼ終日、1時間に2本ほどの特急が走っているのだ。
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常磐線特急のひとつが福島県のいわき駅、さらには遠く仙台まで走っている特急「ひたち」。上野を出たらノンストップで次は水戸という、なかなかの快足ぶりだ。ちなみに、水戸までは1時間ちょっとだが、仙台となると4時間半。新幹線に乗れば1時間半なのだから、さすがにやっぱり遠い。
で、もうひとつの特急が「ときわ」だ。こちらは上野駅を出てからも、柏や土浦、石岡などにこまめに停まる。そしてその先でもいわきや仙台には行かずに茨城県内止まり。大半が、勝田駅で終点だ。
……勝田? それはいったいどこなのか。

常磐線「ときわ」の“ナゾの終着駅”「勝田」には何がある? 撮影=鼠入昌史
ナゾの終着駅「勝田」には何がある?
特急列車の終点といえば、行ったことはなくてもだいたい聞きなじみのある駅、つまり大都市ばかりだ。それが、勝田駅。まあこちらが無知なだけ、ということもあるので地図を見る。すると、県都のターミナル・水戸駅のひとつお隣ではないか。
水戸駅が終点ではなくひとつ先の勝田駅まで。まあ、その理由はどうせ車両基地があるからだ。それでも特急「ときわ」の終点、勝田駅。どんな駅なのだろうか。
そういうわけで、東京駅からおよそ1時間30分、勝田駅にやってきた。水戸駅と勝田駅の間には那珂川が流れている。雄大な大河の河川敷には田園地帯。
それを渡った先の市街地の中に、勝田駅がある。
駅前に降り立つと…
いくら特急の終点といったところで、勝田駅はそれほど大きな駅ではない。なにしろお隣が水戸駅なのだ。
水戸には立派な駅ビルもあるし、黄門様もいるし、ドトールもある。勝田駅にしてみれば、都会的なムードはそちらに譲ります、といったところだろうか。
勝田駅のホームは2面4線。そのうち1線は、ひたちなか海浜鉄道が使っている。だからJR常磐線としては実質2面3線。やっぱり規模は小さめだ。
それでも、駅舎は立派な橋上駅舎。改札を抜けた自由通路には、カフェや土産物の売店などが並んでいる。
そしてあたりを見渡すと、バスケやバレー、陸上チームのポスターが目に留まる。どれも日立製作所の関連チームのようだ。勝田は、スポーツの町、そして日立の町ということなのだろうか。
スポーツはともかく、日立の町であることはすぐに答え合わせができた。自由通路から駅西口に出ると、駅前広場の向こう側に木々の生い茂る一角が見える。その中は、日立製作所の工場なのだ。
駅前に、駅にほとんど隣り合うように日立の工場。さらに線路沿いを北に進むと、駅構内から古びたレールが道路に向かって伸びてくる。
そのまま道路を跨ぎ、工場の脇をずっと先まで続いているようだ。いまでは使われていない、工場への引き込み線の跡である。
調べてみると、もともとこの日立の工場では、鉄道車両を製造していたという。引き込み線は、製造した車両の搬送などで使われていたのだろう。
さらに、日立の工場で働く人のための、工場内に続く通勤専用列車まで走っていたのだとか。家の前から職場の前まで電車かバスが行ってくれたらいいのにな、などというのは誰もが夢見ることのひとつ。まるでそんな夢が叶っているような、そういう職場なのである。
などといっても、まあ実際にはそれほどたくさんの人が働いていたということの裏返し。勝田駅側にも通勤専用列車のためのホームが設けられていた。
が、1990年代には廃止され、専用のホームも撤去されていまは駅前広場などの一角に飲み込まれている。
勝田駅の西口は日立のゾーン。では、東口はどうなのだろうか。
昭和の雰囲気ムンムンの東側
だいたい大規模な工場があるような町は、それだけ働く人も多い。ついでにいえば、出張で遠方からやってくる人も少なくない。となれば、やっぱり駅前の市街地はそれなりに栄えているに違いない。
さっそく東口に回ってみると、駅前広場からまっすぐ東に一直線の目抜き通り(昭和通りという)。
道沿いにはビジネスホテルや飲食店などが建ち並んでいる。そして、駅前広場の北と南には、ちょっとした歓楽街ゾーンがあった。
南側は粋泉通りという通りを中心に、スナックなどが集まっていて、夜の町の色が濃いゾーン。北側にはスナックなどというよりは、ラーメン店ややきとり屋などが並んでいて、奥にはビジネスホテルも見える。
出張でやってきた人が、地元の人とこのあたりで酒を飲んで親交を深める。ひとしきり飲んだあとには御用達のスナックなぞに繰り出して。どことなく昭和の香りが漂うような、そんな出張の夜の風景が目に浮かぶ。工場の町ならではといったところだ。
勝田駅を訪れたのは平日のお昼前。まだ11時にもなっていなかった。が、駅のすぐ近くのラーメン店にはすでに行列ができていた。
東京のラーメン屋の行列なら、いかにも大学生風の人が多いようなイメージだ。が、こちらは並んでいる人の様子をみれば、近くで働いている人のよう。地元の人だから知っている名店に違いない。
ちなみに、地図を見ると駅前から日立の工場を挟んだ西側に通っている国道6号沿いには、ちゃんと山岡家もあるようだ。ロードサイドの山岡家。地図でしか出会えなかったけれど、実に茨城県である。
さて、目抜き通りの昭和通りと、駅前広場の周りに広がる繁華街。それに加えて、勝田駅入口交差点から南北にも商店街が延びている。
おや? なにやら人だかりが…
北に向かって進んでゆくと、スーパーやドラッグストアなどの中に、やたらとひとだかりが出来ている一角があった。
近づいて見れば、サザコーヒーの本店らしい。コロンビアに自社農園を持つ、コーヒー好きなら誰もが知っている人気店なのだとか。さっきのラーメン屋とは違って、こちらには観光で訪れている人も多そうだ。
だいたい旅というものは、ウマいラーメンとコーヒーに出会えれば大成功だと聞いたことがある。
行列に並んでまで食べたり飲んだりするものなのか、という無粋な思いも少しは胸に去来するけれど、勝田駅の近くには地元の人が列を作るラーメン店と、遠方からわざわざやってくるようなサザコーヒー。あてもなくこの駅で降りて町をふらふらと歩く旅ならば、かなり満足度が高くなりそうだ。
まあ、今回は仕事……という言い訳はともかく、どちらもあまりにたくさん人が並んでいるものだから、結局中には入っていない。いつかまた、勝田を訪れる機会があるならばそのときにはぜひ行ってみたいものである。
巨大スーパーの跡地を訪ねる
勝田駅入口交差点の南側も、また商店街だ。こちらの方が北側と比べるとお店も多く、いくらかは活気もありそうだ。といっても、どうしても居酒屋が多いような気がしてならない。このあたりも、大きな工場のある町だからなのだろうか。
商店街の東側にはMEGAドンキ。なんでも、ひと昔前まではスーパーの長崎屋だったという。勝田駅前の一等地に巨大な長崎屋。まるで町のシンボルのような存在だったに違いない。
長崎屋は2007年にドンキホーテのグループに入り、店舗が次々にドンキにリニューアルしていった。勝田駅前のMEGAドンキもそのひとつなのだろう。
さらに商店街をまっすぐ南に進んで行くと、マルトというスーパーマーケット。ここには昔、ジャスコがあった。
さらにさかのぼれば、日立の土地を水戸発祥の百貨店・伊勢甚が購入して1983年に店を開いた。それがのちにジャスコに変わり、2010年に閉店したのだとか。
駅ができるまでは何もなかった
長崎屋にしろ、ジャスコにしろ、こうした栄枯盛衰は日本中の地方都市で見られたありふれた歴史のひとつ。勝田は水戸のお隣だから、わざわざ駅前で買い物をしなくても電車に乗って水戸に出かければ良い。
いやむしろ、クルマに乗ってロードサイドの大型店でも便利だろう。そういう事情が栄枯盛衰をもたらし、居酒屋が目立つ駅前風景を作り上げたのだろうか。
ところで、勝田駅が開業したのは1910年のこと。常磐線の駅として開業し、3年後に現在のひたちなか海浜鉄道が開業している。
もともとは水戸藩の農地だったこの一帯、駅ができた頃には特に何かがあるような場所ではなかったという。
ところが、駅の存在が人を引き寄せる。昭和に入ると日立の工場が進出し、あっというまに日立の企業城下町へと変貌していった。
人口も増え、1954年には勝田市に。その後も高度経済成長に乗って工業都市として発展する。そして1994年には、海沿いに広がる那珂湊市と合併し、ひたちなか市となった。
ひたちなか市といえば、茨城県内では大洗と一二を争う観光都市だ。
勝田駅前の昭和通りをずーっとまっすぐ東に行くと、突き当たったところに国営ひたち海浜公園が広がっている。ちょうどいまの季節にはネモフィラが咲き誇る、茨城を代表する観光スポットである。
“ナゾの終着駅”になったワケ
海沿いに広がるひたち海浜公園は、もともと陸軍の施設で、戦後は米軍の射爆撃場。返還後に公園として整備され、2000年代から急速に人気を集めるようになった。
ネモフィラをはじめとする季節の花もそうだし、2000年にはじまった音楽フェス「ROCK IN JAPAN FESTIVAL」によって広く知られるように。いまではROCK IN JAPAN FESTIVALのメイン会場は蘇我に移ったが、代わってLuckyFesが毎年開かれている。
いわば、ひたちなかは音楽フェスの聖地のひとつといっていい。苗場かつま恋か、それともひたちなか。マイカーで常磐道から直行する人もいるのだろうが、勝田駅前からも直行バスのある、国営ひたち海浜公園。
駅前広場には、「ROCK」の文字オブジェが置かれていた。この町は、日立の町、そして音楽の町なのだ。
訪れた3月の半ばは、観光客の姿はほとんど見かけなかった。まだお隣の水戸の偕楽園で梅まつりをやっていたからか。
ネモフィラの咲き誇る頃、またフェスの開催時期などには、勝田駅前もたくさんの人で賑わうに違いない。そんなとき、期せずして“特急の終点”ということが大きな意味を持つことになるのだ。
撮影=鼠入昌史
(鼠入 昌史)
