リリカルスクール。メンバーはryuya/mana/tmrw/hana/reina/minan/sayo/malik

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男女混成8人組ラップユニットのリリカルスクール(以下:リリスク)が、2026年4月19日に開催する恵比寿LIQUIDROOMでのワンマンライブで解散する。

「10年代オルタナティブ」の季節

メンバーチェンジを経ながらではあるが、それでも2010年の結成(当時はtengal6 *1という名前だった)から約16年という決して短くない期間を、アイドルシーン、ラップシーン、ポップスシーンをクロスオーバーしながら活動してきたことは、素直に称賛に値すると思う。それと同時に、リリスクが幕を閉じることには、「10年代のオルタナティブの季節」が節目を迎えていることを感じざるを得ない。

リリスクのキャリアを振り返れば、それはひたすらに「オルタナティブとはなにか」「既存のアプローチをいかにフレッシュにするか」という実験を、ユニットとして、そしてプロジェクトとして実践してきた歴史であるといえるだろう。

リリスクは、武蔵野美術大学の学生であったキムヤスヒロ氏を中心としたプロデュースチームが、「"アイドルをプロデュースする"という表現活動」として2010年に立ち上げたプロジェクトを原点としている。それは、AKB48グループを頂点とし、ももいろクローバーZやPASSPO☆などが台頭した2010年付近の「アイドル戦国時代」というムーブメントを切り取り、一種の批評的な「表現活動」として提示する側面があったともいえる。

また、いわゆる「芸能ビジネスのプロが運営しなかったこと」に加えて重要だったのは、「プロデュースチームの若さ」だった。学生を中心にした20代前半の感性を持ったチームが、アイドルを手掛けることで発生する「フレッシュな感覚」が、アイドルシーンの中でリリスクを注目すべき存在に押し上げていく。

ラップという「表現」をポップに取り入れる

フレッシュなアプローチの最たる例が、アートフォームの中心に「ラップ」という表現を置いたことである。世界中のポップグループがラップという表現を取り入れ、J-POPのチャートを見ても「ラップ以降の表現」が入っていない楽曲を探すほうが難しいといえる現状からすると改めて驚くが、16年前はラップのリスナー自体が現在より圧倒的に少なかった。そしてラップを取り入れたアイドル楽曲はあったものの、活動の中心軸にラップを置くという「アイドル」の登場は、非常にエポックメイキングなものとしてリスナーには映った。

また、結成当時のメンバー6人のほぼ全員がラップに詳しくなく、ラップに関しては未経験者ばかりだった。当然、そのラップスキルは未熟であり、はっきり言えば「下手」だった。しかし、その拙さの中にキュートな彩りがあり、同時にキャリアを重ねることでうまくなっていくという過程が見られることは、「成長物語」というアイドルのストーリー性とも合致していた。また、「技術だけでなく声質やキャラクター性も評価に直結する」という「ラップというアートフォームの持つ、属人的で特殊な評価軸」とも、リリスクの活動はリンクしていた。

もう一つの特筆すべき点は、「プロデュース陣の卓越したセンス」である。抜群にセンスのいいロゴやアートワーク、普段着使いもできるようなアパレル、センチメンタルな楽曲の世界観とそれをグループに当てはめる際のコーディネートなど、とにかくリリスクのセンスは当時から光っていた。

それを楽曲面で象徴するのは、tofubeats氏を2011年10月リリースの「プチャヘンザ!」で起用したことだろう。現在ではアーティストとして名前を確かなものにしているtofubeats氏だが、当時は新進気鋭の、特にネットを中心にした音楽リスナーが注目していた段階であり、「プチャヘンザ!」に関わったのは、彼のブレイク作である「水星 feat. オノマトペ大臣」の配信リリース前(2012年6月)である。その意味でも、プロデューサーとして作詞作曲で起用したことは慧眼(けいがん)であると同時に、20代前半の新世代がつながり(事実、tofubeatsへのオファーはSNS経由だったという)、新たな潮流を作っていくという事実を、作品として明らかにしたといえるだろう。

こういったリリスク初期の動きを整理すると、そこに通底するのは「文脈を変化させる」という意思だろう。リリスクは決して既存のカルチャーの文脈を破壊したり無視したりはしないが、一方で過剰に寄り添うこともしない。「ラップ」「アイドル」「ポップミュージック」「アート」「ネット」「ライブ」など、 様々なカルチャーにそれぞれ存在する文脈を交差させ、距離感を確認し、エッセンスを加える。それによって文脈に新たな変化を加え、オリジナルな価値観を生み出し、「オルタナティブ」を成立させていくというスリリングな展開が、リリスクの特筆すべき点だった。そしてその意識には、様々な文化へのリスペクトも感じさせられる。

ヒップホップ的「現場」の外で…

これは、6人組で活動を展開した結成期だけではなく、通称「LS5」として5人組で活動を展開した第2期、男女混成の8人組として再編され、プロフィルなどに見られるユニットとしての自己定義からも「アイドル」という言葉がなくなった現在の「LS8」である第3期でも同様だ。端的に分析すれば、第2期は「ラップの"ノリ"をそもそも身体に内包している」世代が加入したことでラップスキルを向上させ、ラップシーンとも明確に接続を果たした。第3期では男女混成グループとして再構築するなかで、楽曲自体のバリエーションを増やすと同時に、より「今っぽい」楽曲を通して、現在進行形の音楽の流行と自身たちのアプローチの結びつきを深めていった。

また、先述の「オルタナティブ」という文脈では、リリスクの結成と同じ年に、多摩美術大学の出身者で構成されたラップグループ:TOKYO HEALTH CLUB*2が結成されたことも、共時的な反応として非常に興味深い。彼らもリリスクと同じように、ラップがほぼ未経験のメンバーで結成され、いわゆる「既存のラップシーン」とは紐(ひも)づかない形で活動をスタートさせ、フリーダウンロードやYouTubeなどを通して注目を集めたという、シーンに対してオルタナティブな存在だ。

ヒップホップは、ライブハウスやクラブといった場所を「現場」と呼び、その場所こそがフロントラインであるという意識を、特に2010年近くまでは共通認識として持っていた。同時に、精神性や行動原理が近しい人間が集まり「クルー」*3を形成することや、ある種の派閥を形成することが普通の光景だった。

もちろん、「現場」という概念を共有することで生まれる当事者意識や、クルーの形成が全く悪いことではない。むしろ、「現場主義」から派生する、ポップフィールドというシステムに対するアンチテーゼや、活動する上での「しきたり」や作法を伝えるといった精神的な伝達、またリリースに至るまでの流れを先輩が後輩にレクチャーするなど実務的な面*4でも、そのメリットはあった。しかし一方で、それは「上下関係」「人間関係」ともつながり、そこにコミットできない人間や、同調圧力に耐えられないアーティストはシーンからパージされたり、「よそ者」として文脈外に置かれることも少なくはなかった。

しかし00年代後半から、ニコニコ動画を中心にした「ニコラップ」*5シーンや、ミックステープやフリーダウンロード音源のネットリリース、DTMでのレコーディングや個人でのMVの制作など、「現場」という概念がライブハウスやクラブという局所的なコミュニティから、ネットへと拡大していった。つまり「シーン」や「現場」にコミットしないといけなかった状況から、より自主的なアプローチで、"実力のみ"で注目を集めることが可能になり、「誰でも、どんな人間でもラップ表現に携わっていい」と、ラップへの門戸が一気に拡大した。そういった音楽状況と、アイドルシーンの状況が交差したことが、リリスクという存在が生まれ注目された背景にはあるし、その門戸の開放を実践してみせたといえる。

リリスクが作り上げたもの

「リリスクがヒップホップだったのか」といわれれば、完全に首肯することは難しい。なによりも「プロデュースされる存在である」という時点で、「自らのイズムを自ら表現する」というヒップホップ的な要請からは離れてしまう。しかし、様々なカルチャーをミックスし、新しい価値観を創出し、メインストリームに対して周辺的でオルタナティブな存在として刺激を与え続けたという意味において、リリスクの根底には確かにヒップホップ的なイズムが宿っていた。その意味でも、リリスクやTOKYO HEALTH CLUBが登場しなかったら、現在のシーンはまた全く違ったものになっていただろう。

2010年代的なオルタナティブは、確かにすでに効力は失いつつあるかもしれない。しかし、それは普遍的なものになったということであり、現在の音楽シーンの確かな礎になったからに他ならない。その浸透に大きな役割を果たしたリリスクに、大きな賛辞を贈りたい。

追記

ここまでの文章を書き上げた後に、最後のリリース楽曲となる「GOODBYE」が発表された(4月1日)。そのMVはJ-POPやソウル、そしてヒップホップなど、リリスクがこれまでの作品でインスピレーション源とした作品のジャケットをオマージュする構成となっていた。とりわけ印象的なのは、RUN-D.M.C.やDE LA SOUL、Pete Rock & C.L. Smoothなどの80s〜90sのUSヒップホップ、そして日本ではスチャダラパーやライムスターのジャケットがモチーフとなっていたことだ。それらの作品は、ヒップホップがオルタナティブでありカウンターカルチャーであった時代を象徴し、現在のシーンの礎になったクラシック作ばかりだ。そしてその映像は、前述の「プチャヘンザ!」のジャケット写真のセルフオマージュで閉じられる。それは、リリスクもそういったレジェンドたちに名を連ねたというセルフボーストでもあるだろう。そして同時に、本来はメンバーが写っていたその写真には、ラスト写は誰も映っていない。それはリリスクという物語の完結をここで宣言しているといえるだろうし、リリスクが提示してきたオルタナティブな表現は、一つの「器」としてこれからも残り続けるといった意思と寓意も感じさせられる。寂しさは尽きないが、未練を残さない清々しい決着を感じさせるMVと楽曲だ。

プロフィル

高木"JET"晋一郎 1978年生まれ。スポーツ新聞記者、音楽誌編集など経てフリーに。主に音楽やカルチャーを中心に執筆。R-指定(CreepyNuts)「Rの異常な愛情」(BUBKA)、木村昴「HIPHOP HOORAY」(ヤングジャンプ)、Chelmico「キスがピーク」(TVブロス)など構成。共著に『ラップのことば』、構成単行本に『ジャポニカヒップホップ練習帳』(サイプレス上野著)、「JAPANESE MC BATTLE PAST>FUTURE」(KEN THE 390著)など。

編集担当注

*1…セクシャルウェルネス用品会社「TENGA」がスポンサーとして参加していたため、この名前で活動していた。なお、作品にアダルト要素は皆無。

*2…代表曲に「CITYGIRL」「supermarket」など。メローでチルな曲調が特徴。当時のトレンドど真ん中の曲調はシーンで話題を集めた。

*3…「仲間」とほぼ同義。ラップグループの場合はDJやMCだが、近年、緩い友達のつながりなどもクルーと表現されることが増えてきた。ざっくりとした世界観は、千葉雄喜「チーム友達」(2024)のMVを参照のこと。

*4…ヒップホップ業界はかつて「体育会系」であることがもっぱらだった。Young zetton,Watson共作「暗い部屋」(2023)には「昔怖い先輩電話くるリンリン」というリリックがある。地元のしがらみ≒怖い先輩は長年、日本語ラップで歌い継がれてきたイシューでもある。

*5…ニコニコ動画にラップ楽曲を投稿する配信者がいた。アーティストとして現在もシーンで活躍する人も多く、代表的なラッパーにJinmenusagiなど。