「500万円持ってこい」元芸能人の男性宅から見つかったのは“誘拐した5歳男児の遺体”⋯「お金持ちの家に生まれた」少年はなぜ殺された?(昭和39年の事件)
幼稚園を名乗る一本の電話から、5歳男児は姿を消した。身代金要求、逆探知、そして現行犯逮捕――だが事件はすでに最悪の結末を迎えていた。
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犯人は元俳優。なぜ彼は誘拐し、命を奪ったのか。日本中を震撼させた事件の全貌に迫る。昭和39年に起きた「身代金誘拐事件」の逮捕劇を、鉄人社の新刊『高度経済成長期の日本で起きた37の怖い事件』よりお届けする。(全2回の1回目/続きを読む)

写真はイメージ ©getty
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謎の電話
1964年(昭和39年)12月21日午前11時20分ごろ、宮城県仙台市花京院(現・同市青葉区)で菅原光太郎さんが営む金融会社「菅原興業」に男の声で電話がかかってきた。
「白百合幼稚園の者ですが、(社長の三男の)智行くん(当時5歳)に伝えてほしいことがあります。実は幼稚園のエミール神父が急遽渡米することになりまして、一緒に記念写真を撮りたいので幼稚園の庭まで来てもらえないでしょうか」
電話を受けた女子事務員は会社からほど近い社長の自宅に出向き用件を伝える。この日、幼稚園は休みだったが、母親は疑うこともなく智行ちゃんを通園服に着替えさせて家から送り出す。白百合幼稚園までは約200メートルの近距離で、智行ちゃんはいつもどおり徒歩で園に向かった。
ところが、17時になっても智行ちゃんは家に戻ってこず、心配になった母親が園に電話をかけたところ、驚くべき答えが返ってきた。
智行ちゃんは園に来ておらず、エミール神父なる人間も存在しないというのだ。事の重大さを悟った母親は直ちに仙台北署に通報。同署は誘拐事件の可能性も視野に入れ、密かに捜査員を菅原家に送り込む。
「500万円を持ってこい」
18時ごろ、犯人から電話が入った。受話器を取ったのは母親である。
「500万円(現在の貨幣価値で約5500万円)を持って花京院通りからレジャーセンターを斜めに下がり、市立病院から真っ直ぐに河北日報社まで進んでください。目印に白いマフラーをかけ、左手に新聞紙を持って歩くように」
20時に指定の場所に行く旨を伝え電話を切った母親に対して、菅原家に張り込んでいた刑事は再び電話がかかってくるまで待つよう指示を出す。もう少しで逆探知に成功しかけていたからだ。
そして20時10分、この日、3回目の電話が着信。内容は「まだ出かけていないのか」と母親をせかすものだったが、彼女が意図的に会話を引き伸ばしたことにより逆探知が成功。発信元は菅原家から直線距離で700メートル足らず、国分町3丁目の仙台市役所前の公衆電話ボックスと判明した。
捜査本部は警察官約950人を当該の電話ボックス近辺や、予想される逃走経路に配置。20時半、犯人を誘き出す囮として、母親が現金20万円を新聞紙に包み警察手配のタクシーで市立病院まで行った後、河北日報社の前まで歩き、そこでUターンして仙台電報局の方角に向かう。
犯人の正体は「元俳優」
21時過ぎ、母親が電報局の前に差しかかったとき、前方から歩道を歩いていた男が母親の持っていた新聞紙の包みを鷲掴みにし逆方向に逃走した。が、四方八方から飛び出してきた警察官に取り押さえられ、その場で現行犯逮捕。
男の名は車興佶(同29歳)。かつて天津七三郎という芸名で多くの時代劇に端役として出演経験のある元映画俳優だった。車はすでに智行ちゃんを殺害し、遺体を自宅の物置小屋に放置していた。
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5歳男児の父親は激怒ーー男はなぜ子どもを殺したのか? そして裁判長の「異例の判決」とはーー。
〈《懲役は⋯》「刑を重くすべきではない」裁判長の言葉に父親は激怒⋯5歳少年を殺害した元俳優にくだされた『驚きの判決』(昭和39年の事件)〉へ続く
(鉄人ノンフィクション編集部/Webオリジナル(外部転載))
