鎌田實「日本の医療教育は<助けること>ばかり習って<死>の勉強は少しだけ。人間の心はちょっとしたことで『死は怖くない』と思えるようになる」
東京医科歯科大学医学部卒業後、諏訪中央病院へ赴任し、現在は名誉院長を務める医師・作家の鎌田實さん。長年地域医療に携わる傍ら、難民支援や被災地支援にも力を注いでいます。そこで今回は、作家・ノンフィクションライターの瀬戸内みなみさんが各界著名人の人生に迫った連載を書籍化した『わが人生に悔いなし』から一部を抜粋し、鎌田さんの言葉をお届けします。
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鎌田實は今日もがんばっている
鎌田實は今日もがんばっている。
「家族はさじを投げていますよ。68歳になってもうそろそろおとなしくなるかと思ったのに、最近またなんか元気になっちゃってね」と笑う。
諏訪中央病院名誉院長である鎌田は、今も週に1、2回、地域の患者を往診している。
「半年ほど前の話ですが、ある有名な商社で働いていた男性がわたしのところにやって来ました。現役時代は世界中を飛び回って、日本の製品を売りまくっていたようなひとでね。その彼が前立腺がんになったんです。やがて骨髄にも転移して血液が造れなくなり、毎週大量の輸血を受けていたのだけれど、とうとう東京の病院ではもうできることがない、といわれた。
『わたしは蓼科に山荘を持っている。その山荘で死にたい』と彼がいうんです。うちに2日入院して在宅医療の準備をして、山荘に訪問看護師と理学療法士(PT)を派遣しました。そのPTのセンスが良かったんですよ」
それが彼には嬉しかったんです
PTと患者の間で、このような会話があったという。
『ぼくは何をしたらいいですか。あなたの希望を聞かせてください』

『わが人生に悔いなし』(著:瀬戸内みなみ/飛鳥新社)
『この山荘は、地下に温泉を引いている。地下まで歩いて行って、自慢の温泉に入ってから死にたい』
彼が寝ているベッドは2階。東京の病院で寝たきりになって、歩けなくなっていた。PTはこう答えた。
『わかりました、訓練して必ず歩けるようにします。でも今日、ぼくはあなたを背負っていきますよ。まず温泉に入っちゃいましょう』
そして本当に彼を地下の温泉に連れて行って、一緒に風呂に入った。
「それが彼には嬉しかったんです」
注射よりも彼を元気にすること
「翌日、ぼくは京都大学の医学生を連れて、彼の往診に行きました。諏訪中央病院には日本中から医学生が来るんですよ。死期の迫った患者さんたちがニコニコしているというけど、どうしてそんなことがあるんだろうか、といってね。
以前から僕の本を読んでいたご夫婦は、カマタ本人が来てくれたといってとても喜んでくれました。『これから何がしたいですか?』とぼくが訊くと、
『先生、ぼくの夢は昨日、叶っちゃった。でもせっかく忙しい先生が来てくれたんだから、ぼくの自慢の風呂に入っていってくれないかなあ』
43年間、『住民とともに作る地域医療』を実践してきたけど、さすがに往診先で風呂に入ったことはない(笑)。でも人間は何かをしてもらうより、してあげる方が嬉しいんだとぼくは信じています。ぼくが自慢の風呂に入れば、それは彼にとって大事な喜びになる。それは注射よりも彼を元気にすることなんだ。
『よし、風呂に入るぞ』
医学生と若い総合医にそう言って、3人で地下まで行きました。
すごい風呂でしたよ。峡谷の川沿いに建っている山荘だったんだけど、谷に向かって景色がひらけてて、明るくてね。来るだろうな、と思ってたら、やっぱり奥さんがカメラを持ってやって来た(笑)。3人が気持ちよさそうに風呂に浸かっているところを写真に撮って、2階のご主人に見せたんです。
それ以来、その家ははじけました。元気になって、死の影なんてどこかに飛んじゃったみたいな感じでしたよ。明るい2カ月半を過ごして、彼は亡くなりました。
人間の心ってちょっとしたことで、死は怖くないと思えるようになれるんです。彼が亡くなった後、奥さんからは丁重な、長いお手紙をいただきました」
看とりや死についてアマチュアな医師が多い
これまで日本では、医師も患者も「死」について考えることから逃げてきた、と鎌田はいう。しかし医学がどんなに進歩しても、150年も200年もひとは生きることはできない。
「日本の医療教育では『死』の勉強は少しだけです。助けることばかり習う。じゃあ全部助けられるのかといったら、そうじゃないでしょう。
だから医者でありながら、看とりと死についてはアマチュアなことが多いのです。死んでいくひとは、すごく寂しい思いをしていることも多いはず。『死』から逃げてきたがために、悲惨な死がいっぱいあったと思います」
※本稿は、『わが人生に悔いなし』(飛鳥新社)の一部を再編集したものです。
