「私は崩壊寸前で、すべてが嫌だった」実兄の急死、スピード離婚、「別に」騒動の真相は…俳優業に完全復活した沢尻エリカ40歳の“激しい人生”
これはもう完全復活と言っていいだろう。俳優の沢尻エリカが、休業を余儀なくされた4年の歳月を経て一昨年(2024年)、初舞台となる『欲望という名の電車』で活動を再開したのに続き、今年1月から3月にかけて2度目の舞台『ピグマリオン―PYGMALION―』の公演で全国各地をまわるなか、2月にはじつに7年ぶりの出演映画『#拡散』が公開された。
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沢尻エリカ。2026年2月、映画『#拡散』の初日舞台あいさつにて ©時事通信社
折しもきょう4月8日に40歳の誕生日を迎えた沢尻は、デビューして以来、休業にいたるまでまるでジェットコースターのような激しい人生を送ってきた。(全2回の1回目/続きを読む)
芸能界入りのきっかけは“安室奈美恵”
デビューのきっかけは、小学6年生のとき、芸能事務所主催のオーディションに応募したことだ。当時、歌手の安室奈美恵が大好きで、芸能界に入れば会えると思っていたと、後年テレビのトーク番組で明かしている。事務所に入るとティーン誌のモデルを振り出しに、中学から高校にかけては『週刊ヤングジャンプ』の「制服コレクション2001」準グランプリや「フジテレビビジュアルクイーンオブ・ザ・イヤー2002」などに選ばれ、グラビアアイドルとして活躍した。
2003年に『ホットマン』(TBS系)で連続ドラマに初出演し、翌年には『問題のない私たち』で映画デビューを果たす。俳優として一躍脚光を浴びたのは18歳のとき、映画『パッチギ!』(2005年)で朝鮮学校に通う在日コリアンの少女を演じたことによってだった。
「最近、ショックやったことは?」と訊かれ…
同作のオーディションで沢尻はプロデューサーから「最近どんな映画を見た?」と訊かれ、「う〜ん、最近の日本映画はつまらないものばかりで……」と言い放ったという。その一言に監督の井筒和幸は「それほど自分の意見を率直に言えるヤツなら、素直でやりやすいんじゃないか」と思い、彼女のことが気に入ったらしい。
このオーディションで井筒は、最後に「最近、ショックやったことは?」と訊くと、「兄がバイク事故で死んだことです。まだ引きずってはいますけど、今はようやく吹っ切れかけてます」と彼女が打ち明けたので、グッときたと後年振り返っている。俳優への指導の厳しさで知られる井筒だが、沢尻の演技は的確で、NGもほとんどなく、叱りつけたことは一度もなかったという(『週刊文春』2012年6月14日号)。
『パッチギ!』での沢尻の演技は高く評価され、日本アカデミー賞など主要映画賞で新人女優賞を総なめにする。このあと、難病で若くして亡くなった実在の女性の日記をもとにしたドラマ『1リットルの涙』(2005年、フジテレビ系)に主演し、さらに知名度が拡大した。
「別に女優でやっていこうと思ってるわけじゃない」
ただ、彼女自身は当時、《この先、別に女優でやっていこうと思ってるわけじゃないんです》(『週刊文春』2005年11月17日号)、《私は別に今も自分を女優だとは思ってないし、生きていれば考えが変わることもあるから、将来、全然違う職業に就いていることもあるかもしれない。ただ、今は演技を通して自分が成長したり影響を受けたりすることがすごく面白い》(『anan』2005年11月9日号)という発言をことあるごとにしており、俳優という職業への執着は薄かったとうかがわせる。
それでも演技に対しては、さまざまな作品に出演するうちにどんどん貪欲になっていった。『間宮兄弟』『シュガー&スパイス 風味絶佳』『オトシモノ』『天使の卵』『手紙』と出演映画5作が公開された2006年のインタビューでは、《女優としてのヴィジョンはまだないけど、女としてはいい女になりたい》と言いつつ、《私はこれからも映画でやっていくつもりです。今までにないような役なら、何でもやってみたいですね》と意欲を示した(『キネマ旬報』2006年9月下旬号)。
上記の映画のうち『手紙』では玉山鉄二、山田孝之とともに殺人事件の加害者家族を演じた。出演者3人そろって取材に応えた際には、《私は3つの時代を演じました。演じ分けも楽しかったのですが、外見を作りこんでいく作業も、面白かったですね。監督とは常に話し合って、私の意見も言わせてもらえました》と話している(『CREA』2006年12月号)。
しかし、翌2007年公開の『クローズド・ノート』で教師を目指す大学生の主人公を演じるにあたっては、彼女は次のように語っているように、役へのアプローチの仕方をガラリと変えた。
〈《今回は役作りや私の意見を入れ込む必要はないと感じたんです。自然に現場に入って、行定(ゆきさだ)監督の要望に応えることがベストだと思いました。そういう意味では、これまでのアプローチとは全然違いますね。監督は“このシーンはこういう感じだから、こういうものが欲しい”と非常に具体的な指示をしてくれたんです。ただ、私がそれを自分なりに解釈して芝居を出すものと、監督のイメージには絶対に違いがあるんですよ。でも“これもありなんだな”というお互いに認知できるポイントが、やっているうちに生まれてくる。最初は先が見えていない状態でやりながら、化学変化のようにひとつの表現が見えてくるというのは、演じていて面白かったですね》(『キネマ旬報』2007年10月下旬号)〉
そんな沢尻を監督の行定勲は、《俳優は立場上、どうしても受け身になってしまうものですが、彼女には人任せにしないところがある。それは、自己主張をするということではなく、全体をきちんと見渡して行動するということ。そういう意味で、彼女は女優ではあるけれど、むしろクリエイターに近い視点をもっているんだと感じました》と評している(『THE21』2007年10月号)。
実際、彼女はカメラが回っていないときでもずっと気を抜くことなくテンションを維持しながら、スタッフの動きをよく見ており、スタッフのほうもそんな彼女の様子を見ることで、信頼関係が生まれてきたという。沢尻はまた、撮影がひと区切りついたときにクッキーを焼いて持参したり、クランクアップを迎えるとシャンパンを開けて祝ったりと、スタッフをねぎらうことを忘れず、監督を感激させている。
大バッシングされた「別に」発言の真相
そんなふうにスタッフとよい関係を築きながら完成させた映画にもかかわらず、このあと沢尻はそれが無に帰すような行動をとってしまう。公開前日、PRのためゲスト出演したテレビの生番組では、司会の中山秀征と目も合わないまま、いくら話を振られてもまともに応えようとせず、スタジオの空気を凍りつかせる。公開初日の舞台挨拶でも終始不機嫌で、大勢のファンが集まるなか、司会者から何を訊かれても「別に……」「特にないです」としか話さなかった。これを各メディアが一斉にとりあげると批判が続出する。
なぜ、あのような態度をとってしまったのか? 後年、当時を振り返って、次のように告白している。
〈《もともとあの作品が終わったら、ロンドンに留学する予定だったんです。その頃の私は崩壊寸前で、感情が欠落していて、全てが嫌だった。自分が自分をコントロールできなくなっていて、日本を離れて立て直さないと、これ以上は無理だと思っていました。あの舞台挨拶の日も、もういっぱいいっぱいの精神状態だったんです。そしてそのまま海外に行ってしまったから、逃げたように見えたかもしれないし、もう日本では仕事はできないだろうと覚悟もしてました。21歳ぐらいの頃かな。あの時期はどん底だった。本当に苦しかった》(『Numero TOKYO』2019年10月号)〉
20代前半の彼女は、求められる「沢尻エリカ像」はこうなんだと、自分で作り上げたフェイクになり切ろうとするあまり、精神的に追い詰められてしまったのだという。
渡英・休業→クリエイターと結婚→離婚
語学留学のため予定どおり渡英して以来5年ほど、沢尻はほぼ休業状態だった。公私ともに波瀾が続き、2009年にはデビュー以来所属した事務所から解雇を具体的な理由は公表されないまま通告される一方で、クリエイターと結婚。しかし、翌年には離婚に向けて協議に入り、2013年に成立している。この間、2010年にはエステのCMに企画段階からかかわり、絞り込んだボディを披露して復活を謳ったが、結局、この時点で本格復帰は果たせなかった。
それでも、水面下では、蜷川実花監督が岡崎京子のマンガ『ヘルタースケルター』を映画化するにあたり、主人公・りりこの役をオファーされていた。りりこは全身整形してトップモデルとなるという役どころで、蜷川は映画化の権利を得たときから、沢尻がいいと思っていたという。造形的に美しい顔を持ち、かつ演技力があることに加え、《あんなに歓声と罵声を浴び続けた彼女の位置からしか見えない世界が、必ずある。この映画のプラスになると思った》というのがその理由だ(『キネマ旬報』2012年7月上旬号)。それが撮影に入る2年ほど前で、出演を打診されるや沢尻はぜひやりたいと乗り気になったという。
“全てをさらけ出した”熱演
沢尻はもともと普段の生活にまで役を引きずるタイプだったが、本人に言わせると、りりこには特にのめり込み、周りの友人にも役になりきったまま怒ったこともあったようだ。それでものちに振り返ってみると、《あの作品に出合えて、偽っていた自分が壊れました。私の全てをさらけ出すことができたし、素のままでいいやと思ってから、ずいぶん楽になりました》と語っている(『Numero TOKYO』前掲号)。
ただ、監督の蜷川によれば、撮影中の沢尻は《控え室にいた時もずっとりりこだった。思い返してみると、撮影の現場でもほとんど誰とも喋っていない。例えば共演者とも、常に距離をとってやっていましたね》といい、いちどだけ彼女と飲んだときには、《本当は皆ともっと話したいし、こんなにいいスタッフとキャストとできて幸せだと伝えたいけど、今、私はこの役をやっているので和気藹々とできない》と打ち明けられ、悲痛さを感じずにはいられなかった。それ以外にも《自分の中の感情と闘いながら彼女はやってたんだなあって思うことがたくさんあります》と蜷川は振り返る(以上、引用は『キネマ旬報』前掲号)。
こうして『ヘルタースケルター』は完成し、2012年7月に公開された。これと前後して、同年2月には動画配信サイトの連続ドラマ『L et M わたしがあなたを愛する理由、そのほかの物語』(BeeTV)、4月には地上波の単発ドラマ『悪女について』(TBS系)と主演作があいつぎ、沢尻は約5年ぶりに俳優業に復帰したのだった。そこからしばらく順調な時期が続いたものの、やがて彼女はさらなる試練を味わうことになる。(つづく)
〈薬物で逮捕、「女優復帰は考えていない」と明言していた沢尻エリカ(40)の活動再開を後押しした相手とは《7年ぶり映画出演、成田凌とは現場で…》〉へ続く
(近藤 正高)
