沈黙に耳を澄まして──サヘル・ローズさんと読む『ぼくのこえがきこえますか』【NHK100分de名著】

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悲しみの連鎖を断つには何が必要か――『ぼくのこえがきこえますか』を、サヘル・ローズさんが解説

2026年3月のNHK『100分de名著』は「絵本スペシャル」。子どもから大人まで、世界の広がりを知り、人生の意味を深めるための絵本4作品を取り上げる、春の特別編です。評論家、漫画家、俳優、批評家として活躍する講師陣を迎えて、誰もにひらかれた絵本の魅力を味わいます。

この記事では、第3回で取り上げる『ぼくのこえがきこえますか』について、サヘル・ローズさんによる解説のイントロダクションを公開します。

第3回「沈黙に耳を澄まして――『ぼくのこえがきこえますか』」より

戦争孤児として

『ぼくのこえがきこえますか』は、日本・中国・韓国の絵本作家たちが連帯し、「平和」へのメッセージを込めた作品を発表する「日・中・韓 平和絵本」シリーズの一冊として、二〇一二年に刊行された絵本です。戦争に行き、やがて命を落とす主人公の心の叫びと、残された者たちの悲しみ、そして憎しみの連鎖が、さまざまなイメージを喚起する絵と共に表現された作品です。

 作者の田島征三さんは、一九四〇年に大阪に生まれ、幼少期に戦争を体験した方です。ぽつぽつと紡がれる言葉から響いてくるのは、重たく、深い、魂の訴えです。田島さんは、きっと自分の傷のかさぶたを剝がすような思いで、この物語を書いたのではないでしょうか。戦争を知らない世代に、戦争の残酷さ、虚しさを伝えなければ、という一心で。そんな強い覚悟が、ひしひしと伝わってきます。

 この絵本を初めて読んだときに、私は強い衝撃を受けました。戦争とは何か? 誰に銃を向けているのか? 勝ち負けで語られることに意味があるのか? ふだん私が「戦争」に対して感じ考えていることを、この絵本が代弁していたからです。

 作品の紹介に進む前に、まず、私のこれまでについて、少しお話しさせてください。

 日本で生活するようになって三十年以上になりますが、私は一九八五年に、イラクとの国境付近に位置するイランのホラムシャハルという町で生まれたそうです。自分のことなのに「生まれたそう」と書いたのは、幼少期にイラン・イラク戦争によって孤児になり、出生記録が残っていないからです。顔立ちと使っていた訛り、ホラムシャハルが爆撃を受けた中心地であったことなどから、私の出生地と判断されたようです。サヘル・ローズという私の名前も、生まれたときからのものではなく、後からいただいたものです。両親の記憶もありません。

 いまも世界中で、戦争によって寄る辺ない境遇に置かれている子どもたちが数多くいますが、私は恵まれていたほうです。戦争のさなかに家族を失いましたが、それでも奇跡的に生き延びることができたのですから。四歳のころからはイランの児童養護施設で暮らしていたのですが、七歳のときに養母と出会い、引き取られました。そしていま、サヘル・ローズとして、読者の皆さんに語りかけることができている。私は、幸運だったと思います。

戦争に勝敗はない

 イランの児童養護施設にいたとき、戦争孤児である私に周囲の大人たちは、イラクに対して「隣国は敵だ」「あいつらの起こした戦争のせいで、我が国は傷つき、あなたのような孤児がたくさん生まれたのだ」と繰り返し吹き込み、憎しみの感情を植えつけようとしてきました。しかし、私の養母――つまり、いまの私の母は、これと正反対の考えを持っている人でした。母は、私が幼いころからよくこう言っていました。戦争に勝敗はない、どちらも傷ついているんだよ、と。隣国には、イランの兵士に親を殺されて孤児になった「向こう側のサヘル」もいる。彼らも、あなたと同じように苦しんでいる。だから、戦争を善悪や白黒だけで見てはいけない。自分たちの置かれた立場からだけではなく、あらゆる角度から歴史を読み解いていくことが大事。あなたには、そんな中立的な立場で物事を見られる人間になってもらいたい、と――。

 大人になるにしたがって、私は自然と、戦争孤児や貧しい地域の子どもたちの支援をしたいと考えるようになりました。そうした活動に身を投じる中で、自分自身の中の「当たり前」が揺らぎ、崩壊するような体験もしてきました。インドを旅したときは、洋服を着ていない貧しい子どもたちが物乞いをし、牛の糞を固めた家で生活をしていました。

 私は、八歳のときに養母と共に来日したのですが、二人で公園に寝泊まりするほど困窮していた時期があります。しかし、そうした生活を経験した私でも、いま日本で生活していて、蛇口をひねればきれいな水が出ることを「当たり前」と思うようになっている。靴を履けていること。地雷を気にせず、走り回れること。それらすべてのことを、いつしか当たり前のこととして受け入れていました。でも、全然そうではありませんでした。

 もし母に引き取ってもらえなかったら、私は物乞いどころか、少女兵として銃を持ち、復讐心を胸に戦場で人を殺していたかもしれません。人生は、どんな人に出会うか、どんな言葉に触れるかで、まるで違ったものになる。そのことを、私は母から教わったのです。

『100分de名著』テキストでは、『100万回生きたねこ』『だれのせい?』『ぼくのこえがきこえますか』『おおきな木』の絵本4作品を読み解きます。

講師

サヘル・ローズ
俳優、タレント。1985年、イラン生まれ。8歳のときに養母と共に来日。俳優として活躍し、舞台『恭しき娼婦』で主演を務め、映画『冷たい床』でイタリア・ミラノ国際映画祭最優秀主演女優賞を受賞。国際人権NGO「すべての子どもに家庭を」の活動で親善大使を務め、公私にわたる支援活動が評価され、2020年、アメリカで人権活動家賞を受賞。2024年、初監督作品『花束』が公開。著書に『言葉の花束 困難を乗り切るための“自分育て”』(講談社)、『これから大人になるアナタに伝えたい10のこと 自分を愛し、困難を乗りこえる力』(童心社)など多数。
※刊行時の情報です

◆「NHK100分de名著 「絵本スペシャル」2026年3月」より
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