もっとも、二人の本性を放棄させることに解決策はない。肝要なのは、それらを「秩序」の内に収めることだ。誰か(例えば、監督という職を預かる者)が、どこから攻め、誰が誰を補完し、いつ一方が他方の守備を肩代わりすべきかを決定せねばならない。そして、それを遂行せぬ者を、そう――ピッチから去らせる勇気を持つことだ。

 過去10年間の偉大なるマドリーは、単なるスターの集積ではなかった。そこにはモドリッチとクロースによって統制された、外科手術のような精密さを誇る「空間の分配」が存在したのだ。「7番」は「9番」が然るべき位置にいると信じ、「8番」と「10番」の奏でる静寂が、混沌を秩序へと変容させていた。

 今、ヴィニとエムバペは、一枚の「ドリアン・グレイの肖像」を共有している。若さという仮面の裏で真実が腐朽していくその絵画のごとく、二人の若々しき才能がもたらすはずの化学反応の影で、憐れなギュレルは、すでに36歳のような老いと疲弊を背負わされているのである。

文●マヌエル・ハボイス(エル・パイス紙ジャーナリスト)
翻訳●下村正幸

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