義父からの虐待、実父の愛人からの暴言…「もう家族はいらない」そう思った直後に卵巣がん宣告。“メイド歴18年”女性の壮絶な半生
◆多くの大人に囲まれて育った幼少期
はかせ:そうですね。母は22歳のとき、いわゆる“未婚の母”として私を産みました。母、伯母、私で暮らしていましたが、出産後すぐ仕事を再開したといいます。そのため、近くに住んでいる母の親友も含めて、みんなで私を育ててくれた感じです。母は私からみてもかなりの美人で、女性としての魅力にあふれた人です。男性に困ったことがなく、デートで家を不在にすることもしばしばありました。
――やがて、お母様はご結婚される。
はかせ:そうです。私が7歳のとき、母は結婚しました。戸籍上は初婚ですね。ただ、私はその男性が好きになれませんでした。
――なぜでしょう。
はかせ:幼いながら「この人は小さい子が好きだ」ってわかるんですよね。母にも伯母にも「結婚しないでほしい」と懇願しましたが、聞く耳を持ちませんでした。実際、一緒に暮らすようになってみて、お風呂で身体を洗われたりしました。くわえて「君はお母さんに比べて可愛くないね」なんて暴言も吐いたんです。直接関係ありませんが、義父はのちにギャンブル依存症で自己破産をしました。
◆ワイン瓶で殴られ、裸足で逃げた夜も
――しかしお母様はその男性に夢中だった。
はかせ:忘れもしないのは、2人の結婚式です。私は嫌だったのですが、2人は小さなウェディングドレスを作って、式当日はそれを私に着せました。結婚式の新郎挨拶のとき、義父が「小さなお嫁さんももらって幸せです」みたいなことを言ったんです。それが本当に嫌でした。式の最初から最後まで、私は笑っていません。写真にも笑顔で写っていないはずです。
――家庭人としては、どんなお義父さんでしたか。
はかせ:働きにも行かず、昼間からお酒を飲んでいました。大柄で、たぶん185センチくらいあったと思います。私は学校に馴染めず、家で自分で勉強していることが多かったのですが、酒を飲んだ父から「学校へ行け!」とワイン瓶で殴られました。そのため裸足で逃げたこともあります。手足を縛って暴行されることもありましたね。
――義父との暮らしはいつまで続きますか。
はかせ:私が15歳のときだと思います。私は中学受験をして、共立女子中学校に通うようになりました。みんな非常に真面目ななかで、数少ない不真面目な生徒だったと思います。
◆美術品に熱中する風変わりな実父
――高校生になって、初めて実父と会ったようですね。どんな再会でしたか。
はかせ:はい。高2のときだと思います。これまで一度も会ったことがなく、母も会いたがらないような人でした。実父は実業家で、さまざまな事業を成功させていました。そもそも父と母の出会いも、父の経営する会社にアルバイトで入ったのが母だったようです。2人は20歳近く離れています。父はほかに複数のお妾さんがいました。再会は「元気してたか? 大きくなったなぁ」みたいなものを想像していきましたが、ぜんぜん違いました。「おう、久しぶり」と言ったかと思えば、当時実父が熱中していた美術品の話を延々としていました。「これは◯◯円で落札したんだ」みたいなことです。
――変わった方ですね。
はかせ:正直、変わり者だと思います。けれども、なぜか私は馬が合いました。成人してからも、気軽に「今日、誕生日なんだけど、なんかご馳走してよ」みたいなことが続きました。私が学習院大学に入学すると、父は一緒に飲みに行った先でいろいろな人に自慢げに話していました。実業家としてかなり優秀でしたが、中卒だったことが少しコンプレックスだったのかもしれません。
