この記事をまとめると

■ルノーとアルピーヌは密接な関係にある

■アルピーヌは元々ジャン・レデレが始めたバックヤードビルダー的存在であった

■1995年にブランドが消滅し2017年の復活までの間もルノースポールの下に存続していた

ルノーとアルピーヌの関係性

 今週はル・マン24時間ウィークだが、ここ数年はWEC(世界耐久戦選手権)で上位に食い込みつつ、F1でも毎度話題に事欠かないのがアルピーヌ。いずれにも参戦している珍しいコンストラクター、そういうは易しだが、じつはWRCの初年度チャンピオン(1973年)であり、あらゆるトップカテゴリーを制したことのある名門でもある。

 いまでこそルノー・グループのスポーツ&ハイエンド・ブランドとしてアルピーヌは君臨しているが、ルノー系のチューニングブランドとしてはこれまで「ルノースポール」や「ゴルディーニ」が並列で存在していたことはご存じのとおり。それぞれ、どういう特徴や棲み分けがあったのだろう?

 アルピーヌはもともと、北ノルマンディの小さな街ディエップで1955年、ルノーディーラーであるジャン・レデレが始めた新興のメーカー、いわばバックヤードビルダーに近い存在だった。会社を興す以前から彼はルノー4CVに自らチューンと改良を加え、ミッレ・ミリアでクラス2位でフィニッシュしたほどのドライバーだった。

 一方でパリの名門ビジネススクール出のインテリでもあり、イタリアのカロッツェリアに独自の空力ボディを発注するなどして4CVのポテンシャルを引き出すだけでなく、ニューヨークの見本市に出展して出資者を募る、つまり大量生産ビジネスの可能性を探るなど、野心的なビジネスマンだった。いわば当初からアルピーヌとルノーの関係は深い。

 同じころ、すでにシムカのチューナーやF1チームとして名声を博し、当時の公団ルノーの総裁から白羽の矢を立てられ、ルノーチューナーに転向したのがゴルディーニだ。ドフィーヌやR8、R12、R17などなど、一連のルノー市販モデルのスポーツ版にゴルディーニチューンのエンジンが供給され、アルピーヌもル・マン24時間やフォーミュラマシンでその恩恵に俗することになった。

 かくしてアルピーヌは空力やシャシーバランスといった設計ノウハウに、ゴルディーニはビジネス面の心配なくエンジン設計&チューンに、それぞれの優れたノウハウを公団ルノーの下で展開するという、緩やかな協業体制が続いた。だが、両社とも1970年前後、それぞれの新工場を竣工させて間もなく経営難を迎えた。かくして1969年にゴルディーニが、1973年にアルピーヌがルノー傘下に入った。いまもアルピーヌF1の本拠地であるパリ郊外のヴィリー・シャティヨン、ディエップ競馬場向かいのブレオーテ大通りにある現アルピーヌ工場は、これら合併の直前に建てられたものだ。

 その後はターボ技術を軸に、初代ディレクターにジェラール・ラルースを据え、ルノースポールへの統一が進んだ。とはいえエンジンをゴルディーニのスタッフが、レーシングカーや少量生産車のシャシー設計や組立をアルピーヌが担当するという構図はほとんど変わりなかった。ル・マンでポルシェを下しての総合優勝、F1で初めてターボ技術による勝利、その後のルノー5ターボの活躍は、周知のとおりだ。

復活後も往年のテイストを受け継ぐ

 1978年に経営から退く際、ジャン・レデレは最低15年間、ルノーが工場の雇用を守ることを条件にした。それが経過した1993年からほどなくして、A610の生産が終わり、アルピーヌの名は一時的に消滅した。時のルノー会長、ルイ・シュヴァイツェルが当時、アルピーヌよりもルノースポールの名を採る判断を下したと言われる。20数年後のルカ・デ・メオ現社長の判断とまったく逆コースだったわけだ。

 その直後からミッドシップのルノースポール・スピダー、クリオV6、一連のメガーヌR.S.に代表されるホットハッチが、一時代を築き上げたことは記憶に新しい。そして、クリオ(ルーテシア)3やトゥインゴ2、そしてルノー・ウインドでは、ゴルディーニを名乗る少しレトロな仕着せのスポーツバージョンも用意された。

 いわばブランド名として消えている間も、ゴルディーニとアルピーヌの人材やノウハウはルノースポールのもとに存続し、実質的に生きていたということになる。初代トゥインゴのプロジェクトでとくに引き算を進めたのは、元アルピーヌのレーシングチーム監督でルノーのプロダクト責任者に転じていたジャック・シェイニスだった。

 また、自然吸気V10エンジンでウィリアムズ・ルノーの黄金時代を築いたベルナール・デュドは、元はアルピーヌのエンジニアでヴィリー・シャティヨンに配属され、RS01やA442Bに積まれたゴルディーニV6のターボ化した張本人だ。

 さらにエルフ・モトやプジョー905、次いでトヨタGT-OneことTS020を設計したアンドレ・ドゥ・コルタンツもアルピーヌ出身だったりする。

 アルピーヌはよく、2012年にカルロス・タヴァレスが主導したベンチャープロジェクトをカルロス・ゴーンが承認して、2017年に現A110で市販車として突然復活したブランドのように思われがち。だが、ゴルディーニとアルピーヌのノウハウは、F1のエンジンサプライヤーやホットハッチに姿を変え、連綿と存続し、受け継がれてきたといえる。

 社内だけでなく、たとえば往年のアルピーヌ市販車の外装色は、一部のエンスージャストが記録をつけていたからこそ再現可能になったもので、「ヘリテージ・カラー」の呼称でアトリエ・アルピーヌのなかに息づいている。

 じゃあどうして、アルピーヌF1はメルセデスAMGからエンジンを買うワケ? という疑問が頭をもたげるはずだが、ヴィリー・シャティヨン製のエンジンはどうやらWECで活かされる模様。ある意味、1960年代のゴルディーニーアルピーヌ体制に近い回帰現象ともいえるのだが、「進化していることを信じろ!」とでもいいたげな矛盾だらけのスリリングな展開は、フレンチ・コンストラクターの十八番でもあるのだ。