5倍の速さで老化が進む「コケイン症候群」を抱える男の子 余命1年…家族の決断は 「わが子は誉れ」懸命に生きた16年の記録

誉君と家族
通常の4〜5倍の速さで老化する「コケイン症候群」を抱える男の子、須知誉(すち ほまれ)君。平均寿命は15歳から20歳、発症は50万人に1人と言われ、希少難病ゆえ治療法の研究は進んでいない。
体力や視力など様々なものを失っていく中、唯一の希望は「“思い出”は生きる力になる」という医師からの言葉だった。楽しい思い出を作ろうと旅行の計画を立てる家族たち。深い愛情に包まれた誉君の16年間の人生とその家族を追った。
■希少難病「コケイン症候群」を抱える男の子
うれしいはずの子どもの誕生日。しかし、年を重ねるたびに不安になる母親がいた。「また誕生日が来ちゃったとか。こんなことができていたのに、これはもうできなくなっちゃったんだなっていう…」(誉君の母・富美さん)
宮城県仙台市に暮らす、希少難病「コケイン症候群」を抱える誉君。会社員の父・充(みつる)さんと専業主婦の母・富美(ふみ)さん、次男の蒼心(そうし)君、三男の柚稀(ゆずき)君の5人家族だ。

誉君(当時6歳)
誉君に出会ったのは10年前の小学校入学を迎えた年だった。この時の体重は、9.1キロ。6歳にして、1歳の体重にも満たない重さで、耳には補聴器をつけていた。
2007年6月に誕生した誉君。名前を決めたのは富美さんだった。「みんなに誉められるような人になってほしい」との願いを込めて名付けたという。「コケイン症候群」が判明したのは4歳の時だった。

母・富美さん
「1歳過ぎた辺りで、みんなつかまり立ちして歩くぐらいの時に、(誉は)おぼつかなかった。インターネットで調べた時に『コケイン症候群』がヒットした。何個か当てはまる所があったけど、『違う、違う』と言い聞かせた。でも(病院で)『コケイン症候群です』と言われた時は、調べていたことがぶわーっと頭によみがえってきて…」(富美さん)

父・充さん
「うちの場合は、病気が分かってゴールが分かってということなので、その(命の)短さにあまり意味を強く感じたことはない。逆にそこまで何をするか、何をしていくかということに意味があると思います」(充さん)
コケイン症候群は、4倍から5倍の速さで老化が進むと言われ、歩行障害、視力障害、腎不全などの症状が現れる。現状、研究は進んでおらず、根本的な治療法は見つかっていない。発症は50万人に1人で、平均寿命は15歳から20歳と言われている。
「(年齢)2桁がボーダーライン…。2桁になった辺りからガクッと機能(低下)というか、いろいろ出てきたりするというのを聞いていて、10歳を超えると気にしていかないといけない」(富美さん)
■病の進行、家族と過ごす大切な時間
誉君と出会って4年、この間に三男・柚稀君が誕生した。この日は、誉君の10歳の誕生日で、年齢が2桁になった。「成長」を喜びながらも「老いていくこと」に不安を感じる年齢だ。

誉君、10歳の誕生日
この頃から、壁に年齢を貼るようになった富美さん。家族で誕生日を迎えられた喜びと「来年も…」という願いからだ。しかし病は、誉君から少しずついろいろなことを奪っていった。「口から食べること」がだんだんできなくなっていき、胃に穴を開け、管を通して、流動食を入れる「胃ろう」で栄養を補っていた。
そして、気になる症状も出てきていた。「自分で家の中を移動していたら、壁にぶつかったり動けなくなって、泣くことが増えてきた」(富美さん)

蒼心君と誉君
2歳下の弟・蒼心君は、お兄ちゃんの病気を理解できるようになった。「走る?」「冒険だ!行くぞ!」と蒼心君が誉君をおんぶして移動しながら2人で遊ぶ姿も。「悲しいことはね、長生きできないこととか。分からないけど、長生きするかもしれないけど…」(蒼心君)
誉君が13歳の誕生日を迎える頃には、「見ること」「歩くこと」がほとんどできなくなっていた。弟の柚稀君は、お祝い事のたびにピアノを演奏する。その音色を聞いて誉君は笑顔を見せていた。
年を重ねて、失ったこと、失われないこと、その狭間で懸命に生きる誉君。「(病院の)先生にもいろいろなことを失っていくと思うけど、目が見えていた時の“思い出”というのは、必ずいろいろなことを失った時の力になると言われて…」(富美さん)

キャンプ場での誉君
たくさんの「楽しい思い出」を作ろうと決めた両親は、家族旅行の計画を立てた。家族と一緒にキャンプ場を訪れた誉君は楽しそうな表情を見せていた。
「見えないから、どこまで進んで良いかとか、どこまでがシートの上で、どこからが地面かというのは手で触ってしか分からないので。不自由にはなっているけど、耳からの刺激といろいろ見つけて楽しんでいる」(富美さん)
■余命1年…母の思い「わが子は誉れ」

余命1年を宣告された誉君
みんなで14歳の誕生日をお祝いした9カ月後、厳しい現実が突き付けられる。医師から「余命1年」と宣告されたのだ。
「終わりに向けてというか……最期をどう過ごさせてあげようという。とても幸せだったので、忘れていました。寿命が短いということを忘れるぐらい…いろいろなことを家族で一生懸命やってきた。先生から(余命の)話をされた時も『何でだ、何でだ…1年なんて早い』と思った」(富美さん)
「自分が泣いて、死ぬほど泣いて誉の病気が治るなら、くそほど泣くけど、それで病気は治らないので泣きたくない。泣く時は、変なイメージをしている時だけ。亡くなるとか。それは終わってからでいい、すべてが…と決めている」(充さん)

桜が咲く公園での誉君と家族
桜が咲き誇る公園で、家族みんなで残された大切な時間を過ごす。三色団子を食べながら、楽しそうに春を感じている様子の誉君。「やっぱり外が好きなんだね」と富美さんも嬉しそうだった。
そして余命宣告から3カ月が経ち、15歳を迎えることができた。「にぃに!ケーキ、フーするよ」「おめでとう」と15本のロウソクが並んだ誕生日ケーキをみんなで囲んでお祝いをした。
15歳の冬、「余命2カ月」の宣告をされた両親は、そのことを2人の弟に伝えた。
「『そんなに時間がないみたい』『長いこと(一緒に)いられないみたい』と。柚稀はオイオイ泣いていたんですけど、蒼心は全然泣いていなかった。『楽しく過ごそうね』と泣きながら言ったら、『まず泣くのやめなよ』と(蒼心に)言われた」(富美さん)
間もなく余命を超えて迎える16歳の誕生日。その日、美容院に向かう3兄弟の姿があった。顔馴染みの担当美容師が「周りを幸せにしてくれる。ほまほまは、癒しキャラだよね」と言い、散髪が終わると誉君はにっこりと笑っていた。
16歳の誕生日の日、柚稀君のピアノ演奏に合わせて、家族みんなで「ハッピーバースデートゥユー」を歌い、誉君を祝っていた。

富美さんと誉君
「16歳になったと思った時に、今まで誕生日が来るのが怖いと思っていた時期もあったし、『誕生日が来た、もっと体調管理するぞ』と思っていたけど、けさは家族のそばにいてくれて『ありがとう』と思った。きょう初めて、感謝の気持ちしかなかった。本当に『誉れ高い』、私にとっては素晴らしい子」(富美さん)
■「もう少し一緒に長く生活したかった」

誉君の流動食を作る富美さん
誉君の体調が不安定になってきて、予断を許さない日々が続いていた。富美さんは「すごく頑張っているから…つらくないかなとか、気持ち悪いとか、しんどいとか言えないから、無理していないのかなと心配。頑張ってくれているのは、私たちはうれしいけど…。大丈夫かな、無理しているのかな、しんどいよね…」と胸中を語った。

ピアノ演奏をする柚稀君
みんなで迎えたクリスマス・イブの日、柚稀君が「ユー・レイズ・ミー・アップ」をピアノで演奏していた。その様子を撮影する充さんと蒼心君。富美さんの目には涙が溢れていた。
2023年12月27日、誉君は家族に見守られながら16歳の生涯に幕を下ろした。
「今でも笑顔で楽しく、もし足が動かせるようになって、走り回ってくれていたならうれしい。もう少し…もう少し一緒に長く生活したかった」(充さん)
「もう1回、来てくれないかな。もう1回……。そうはいかないよね。半分では分かっている。もう苦しい思いはしていないよねという思いもあるんですけど…」(富美さん)
「自分ができる限りの全部の力を使って、最期まで生き抜く力を教えてくれた」(柚稀君)
蒼心君は、誉君の遺骨が入ったペンダントを身につけるようになったという。「ここにいるから大丈夫。守っていてくださいという気持ち」(蒼心君)

誉君との思い出を語る家族
誉君の写真と生けられた桜を眺め、みんなで過ごした日々を振り返る家族たち。「ほまは、とにかく出掛けるのが好きだったからね」「公園とか風を感じる所が良かった」「目的地はどこでも良くて」。
誉君との“思い出”を生きていく力に──。
(東日本放送制作 テレメンタリー『わが子は誉れ ~老いてゆく男の子と家族の16年~』より)