89歳の作業員が“事故死”の衝撃…「65歳以上の働き手が4分の1」を占める建設業界の深刻すぎる“高齢化”
89歳の死亡事故
先日、香川県の建材会社の資材置き場で、作業員がコンクリートミキサーの下敷きになって死亡するという報道に目を疑った。
危険な機材や重機が多い中、筋力や体力を用いての労働を必要とされるブルーカラーの現場では、こうした事故による労働災害が頻発する。今回のような落下物による死亡事故は建設現場では3番目に多く、対策が必要ではありながら、それほど珍しいケースではない。
【写真】身近な「現場」である建設業界の内情はどうなっているのか
それでも今回の事故に、ブルーカラーを取材し続けてきた筆者が過去5本の指に入るほどの衝撃を受けたのは、事故に遭った作業員が89歳という「超高齢」だったことにある。
建設業は、認定されているだけで29もの種類がある大きな産業だ。
それぞれの現場における詳細は、今後追って紹介していこうと思うが、今回は建設業の現状から、「労働災害」の危険性について紹介したい。
建設業従事者の減少と高齢化
先述した通り建設業は、建設業法上において「土木一式工事」と「建築一式工事」という2種類の「一式工事」と、左官や解体、電気工事といった27種類の「専門工事」の計29種類に分けられている。
「一式工事」では、総合的な工事を担うため幅広い知識や経験が求められることが多い一方、「専門工事」では、その工種に対する熟練技術や詳しい知識が必要とされている。
この専門工事のなかには会社規模が小さいうえ、世間からあまり注目されず、地味で目立たない職も少なくないが、このうちどれか一つでも欠けると、我々の今ある生活は成り立たないといっても過言ではない。
しかし、そんな社会インフラでもある建設業の就業者数は、1997年の685万人をピークに年々減り続け、2023年には約30%減の483万人に。現場は慢性的な人手不足に陥っており、建設業界ではかなり早い段階から外国人労働者を受け入れてきた。
そんな人手不足がもう1つ現場にもたらしているのが「作業員の高齢化」だ。
建設業界における年齢階級別技能者数を見てみると、20代以下の若手労働者は11.7%しかいないなか、本来とうに定年を過ぎているはずの65歳以上の割合が25.7%と、どの年齢層よりも多くなっているのだ。
建設業の労働災害
こうした現場の高齢化が進むと懸念されるのが「労働災害」だ。令和5年に労働災害が起きた業種を見てみると、建設業における労働災害での死亡者数の割合は主要ブルーカラーのなかでも最も多い。
建設業の現場には、いわずもがな資材や重機、工具などといった「重量物」や「危険物」が多く存在している。そのため作業員には、体力だけでなく、危険が迫った時のとっさの判断力や反射神経が必要になることは想像に難くないだろう。
当然個人差はあれど、たとえ元気なベテラン作業員であっても、こうした現場能力が若手に勝ることはほぼあり得ない。
実際、厚生労働省が発表した令和5年資料(高年齢労働者の労働災害発生状況)によると、60歳以上の労働災害による事故発生件数はどのケースも20代と比べて高く、特に「墜落・転落」事故においてはその差が約3.6倍もあるとのこと。
ただでさえこれほど危険な現場に、感覚や体力の衰えた高齢者が増え続ければ、こうした死傷者数は増える可能性があるのだ。
セーフティネット化する現場
先の89歳による死亡事故の報道に対しては、
「死ぬまで働き続ける未来。明日は我が身と思うとゾッとする」
「年金だけでは生きられないのが日本の現実」
という声が多く上がる一方、
「89歳でも仕事に生きがいを感じていたかもしれないじゃないか」
「認知症防止としても仕事は体が動く限り続けたい」
という声も聞かれた。当然、定年を迎えた後も働き続けたいと思う労働者は多いだろう。かく言う筆者もそのひとりだ。
しかし、ブルーカラーの現場は、生きがいを感じていればいつまでも仕事ができるほど穏やかな環境でも、認知症の防止のために役立つ ような環境でもない。
ある建設会社の経営者はこう話す。
「89歳の作業員はかなりレアだと思います。労力としてもやはり劣ります。警備員は高齢の方もいますが、それでも80歳以上は滅多に聞きません」
また、別の建築業界経験者からもこんな言葉が聞かれた。
「建築現場は、不整地、不陸、段差などが存在し、作業上の移動すら危険なところだらけ。高齢者の場合、少しの段差でもつまずき骨折する恐れが高い。どんな業務であれ、89歳の作業員が建築現場の労働で得るのは 、賃金などのメリットよりも怪我などによるリスクのほうが極めて大きい」
89歳の従業員に対して「生きがいを感じていたのでは」と言える人たちはおそらく、上皇や上皇后とほぼ同じ年代の労働者が、危険な重機や機械が至る所に存在する現場で、かつ従業員という誰かの指示のもと仕事をする現実を想像できない人なのだと思う。
万一、本当に生きがいを感じていたのだとして、その現場で亡くなることほど、皮肉なものはない。
高齢化が加速する昨今、国は「生涯現役」を謳い、「高齢者でも“働ける”」政策を積極的に進めているが、それと「高齢者でも“働かなければならない”」とは線引きを明確にする必要がある。
特にこうして肉体を酷使する仕事であるにもかかわらず、年金だけでは生活できない人たちのセーフティネットにすらなっているブルーカラーの現場においては、高齢労働者の救済こそ、現場の労働災害を減らす最大の近道な気がするのだ。
現場から姿を消すニッカポッカ
最後にもう1つ、違う側面から現場の危険にまつわる話を紹介したい。
中高年世代に「建設現場の作業服はどんなものか」と問うたら、その多くが「ニッカポッカ」をイメージするのではないだろうか。
ニッカポッカとは、建設業のなかでも鳶職など高所で働く作業員が好んで着ていた、裾がヒラヒラしているズボンのこと。ちなみに語源は英語で「Knickerbockers(ニッカーボッカーズ)」というゴルフなどでよく着用されていたズボンの名前だとされている。
このニッカポッカは、昔から日本の工事現場における定番の「制服」だった。
諸説あるが、あの「ヒラヒラ」は高所で風の向きや強さを読んだり、障害物に触れる感覚で危険を予測したりするためのデザインだと言われている。しかし昨今、そんな定番の作業服が、多くの現場で着用禁止になっているという。
その理由の1つは、「ヒラヒラしていて危ないから」という、皮肉なもの。
冒頭の表からも分かる通り、建設業界をはじめとするブルーカラーの現場では「挟まれ・巻き込まれ」による事故がよく起きる。その巻き込まれるものの代表格が、作業員の衣服だったりするのだ。
こうしてニッカポッカのヒラヒラは、昔の「危険予測の道具」から、「危険因子」という真逆の解釈がなされるようになり、徐々に姿を消しつつあるのである。
ちなみに、このニッカポッカが禁止されるようになったもう1つの理由が「ガラが悪く見えるから」というまさかの「見た目」。
これでいうと、同じ「見た目」の理由からブルーカラーの現場では一部「日焼け防止として半袖の制服の下に長袖を着ること」を禁じているケースがある。その「下に長袖」という着用の仕方が、「入れ墨やタトゥーが入っていていると勘違いされるから」だという。
ブルーカラーは門戸が広く、多様な人がいることは間違いない。なかには本当にタトゥーが入っている人もいる。しかし、「入れ墨が入っているから、ガラが悪く見えるから悪人なのでは」という、外野の勝手な決めつけによる現場の行動の制限は、結果的に現場の労働環境を悪化させたり、人手不足を加速させたりするきっかけにすらなる。
こうした声を聞くたびに、実は現場が対峙している一番の危険因子は、こうした世間からの偏見なのかもしれない、と思うのだ。
橋本愛喜(はしもと・あいき)
フリーライター。元工場経営者、日本語教師。大型自動車一種免許を取得後、トラックで200社以上のモノづくりの現場を訪問。ブルーカラーの労働問題、災害対策、文化差異、ジェンダー、差別などに関する社会問題を中心に執筆中。各メディア出演や全国での講演活動も行う。著書に『トラックドライバーにも言わせて』(新潮新書)、『やさぐれトラックドライバーの一本道迷路 現場知らずのルールに振り回され今日も荷物を運びます』(KADOKAWA)
デイリー新潮編集部