永遠に叶わない、白金出身のお嬢様。大人になって港区に住み始めた者が抱える負い目とは
港区であれば東京の頂点であるという発想は、正しいようで正しくはない。
人口約25万人が生息するこの狭い街の中にも、愕然たる格差が存在する。
港区外の東京都民から見ると一見理解できない世界が、そこでは繰り広げられる。
これはそんな“港区内格差”を、凛子という32歳・港区歴10年の女性の視点から光を当て、その暗部をも浮き立たせる物語である。
港区内で頂点を極めた者に与えられるキングとクイーンの称号。クイーンとなり、港区女子を卒業した凛子は、“ギャラ飲みする女性”と、港区データバンクの存在を知った。

「ここって、住所は何になるの?」
美奈子が、リビングのソファーですっかりくつろいでいる。
珍しく彼女が「凛子の家に行きたい」と連絡をよこしてきたため、我が家に招くことになったのだ。
凛子は、ローズヒップティーを淹れながら、リビング越しに見える大きな窓を眺める。
窓から見える有栖川公園の木々は、昨日の雨をたっぷりと吸い込み、より一層綺麗に見えた。
「住所は元麻布よ。東京都港区、元麻布。」
はぁ、と美奈子がわざとらしく大きな声で溜息をつく。
「同じ都内でも、この辺りで育った子たちって何か違うのよね...」
美奈子の発言を聞き、先日出会った紗江のことを思い出した。母親が有名なアパレル会社を営んでいる紗江の実家は白金台にあり、この界隈では有名な一家だ。
「そうなのよね...東京出身と一言で言っても、全然違う。」
紗江を見ていると、歴然とした格差を感じずにはいられなかった。
白金、麻布、松濤、田園調布、成城、広尾...都内でも屈指の高級住宅街と呼ばれる地域出身の人たちからすると、下手な地方より、都内の他の地域の方が“田舎”だと言う。
そして港区内でも、実家が港区にある人と、大人になってから港区に住み着いた人では、雲泥の差があった。
どうやっても買えないのが、“育ち”というもの
大人になってから港区に住み始めた“後発組”の負い目
紗江と出会ったのは、凛子の婚約者である雅紀の元同僚が開催したホームパーティーだった。
その会には雅紀を含め男性3名、女性は凛子と紗江、そして百合子がいた。
百合子は5年前に結婚し、現在は白金高輪のタワーマンションに住んでいるとのことだった。
彼女が持っている物はすべて主張の強いブランド物。そして執拗に、“白金に住んでいる”ことを連呼していた。
「凛子さん、ご出身はどちら?」
東京で生きていると、何万回も耳にするこの質問。
特に港区では港区外で育ってきた人が大半を占めるため、この質問はもはや初対面の挨拶代わりのようなものだ。
凛子はいつもと同じように「神戸です」と答えた。
「地方出身の方って、東京で成功したい!という欲が強いでしょ?だから港区が好きなのかしら。そんなハングリー精神が私たち東京出身者にはないから、羨ましいわ。」
こういう類の人間には何度も出会ってきたが、このセリフを言う人に限って、実は本人が一番ハングリー精神に溢れている。
また、言葉には出さないがコンプレックスが強く、異様にブランドにこだわる。
「百合子さんは、どちらのご出身ですか?」
「私は都内でも少し上の方なんだけど...」
出身地を聞かれた途端に歯切れが悪くなる百合子を見て、更に彼女が抱えている負い目を覗き見た気がした。
面倒な人に出会ってしまった...そう思っていた時に、横から柔らかな声が聞こえた。
「あら、凛子さんは神戸ご出身なんですか?上品で、街並みも綺麗で、とても素敵な場所ですよね。」
後ろを振り返ると、紗江がにこやかに微笑んでいた。

白金台4丁目出身者の余裕
紗江は艶のある美しい髪に、切れ長の目が印象的な美人だった。
数年ニューヨークで働いた後に帰国し、現在は母親の会社に入社。母親譲りのビジネスセンスがあり、頭角を現している、と何かのビジネス雑誌で見たことがある。
「百合子さんの方こそ、そんなこと言える立場でもなくってよ。」
一目で良家出身だと分かるオーラをまといながらも茶目っ気たっぷりに百合子を諭す紗江は、天真爛漫という言葉がピッタリだったが、気品が漂うのは育ちのせいだろう。
「凛子さん、お紅茶でもいかが?」
円滑に会話を進める器用さ、細やかな気遣い。これは一朝一夕で身につくものではない。
紗江の所作を見ていると節々から、幼い頃から培われてきたであろう知性と教養が垣間見える。
そんな紗江の肩越しには、悔しそうな顔をしている百合子が見えた。その二人の違いが可笑しくて、凛子は一人で笑ってしまったのだった。
これが港区の頂点?!彼女たちが生まれた時から身につけるもの
港区出身者の想い、変わる港区
何となく凛子と紗江は気が合い、家も近いとのことで、雅紀と3人でタクシーに乗り込んだ。
その間に話を聞いていると、大学はニューヨークのコロンビア大学へ行き、インターンとして入ったコンサルティング会社で正式に働いた後、2年前に東京へ戻ってきたそうだ。
「紗江さん、発音綺麗だからずっと向こうに住んでいたのかと。」
「英語だけは、ね。幼い頃から夏休みになるとアメリカのサマースクールに送られたし、高校でも1年間留学していたから。」
その時ちょうど、タクシーが麻布十番にさしかかった。
「この辺りなんて、昔は本当に不便で、今ほど人もいなかったのに...最近すっかり変わっちゃって、ちょっと寂しいの。」
そう呟く紗江にとって、港区はただ大切な“実家のある場所”だった。

それから紗江の幼少期の話や、毎年夏になると避暑として軽井沢の別荘に家族で行く話などをしていると、あっという間に紗江の家の前に着いてしまった。
-白金台四丁目。
その中でも目立つ厳かな門構え。綺麗に手入れされた花と植物が、更に華やかさを添えている。
「実はまだ実家暮らしで...早く家を出ないと!と思いながら、居心地がよくって。タクシー代、大丈夫かしら?」
そう恥ずかしそうにはにかみながら両脚を揃えてタクシーを優雅に降りていった紗江の柔らかな残り香は、暫く車内に残っていた。
麻布台が実家の友人もいるが、彼女と紗江の共通点は、実家の場所を言いたがらないことだった。
「都内出身です。」
ただそれだけ言うが、その先は言いたがらない。それが当たり前であり、何故他の人たちが港区ブランドにこだわるのか、理解の範疇を超えているのだ。
「何だか今日の紗江さんと百合子さんって、対照的だったね。」
人のことに関して普段は無関心の雅紀が、珍しくつぶやいた。
港区に憧れて、港区に住む人がいる。その一方で、そこで生まれ、育ってきた人たちがいる。
彼女たちからは人に対する敵対心や嫉妬心は微塵も感じられず、悠々と自分たちの世界で楽しく生きている。そこに見栄などは一切ない。
タクシーが出発し、遠くなる紗江の実家を見ながら、何をしたって買うことはできない”育ち”に関して、考えずにはいられなかった。
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港区でタワマン、オワコン説。
