Silent Siren 日本一のガールズバンドを目指して未来へ!
撮影/平岩亨 取材・文/黒豆直樹 制作/iD inc.
ニューアルバム収録曲はすべて「A面」
――昨年は日本武道館公演に始まり、これまでにまして濃い1年だったのではないかと思います。
ひなんちゅ:1月に武道館があって、その後もシングル3枚にアルバム1枚、DVD2枚をリリースして、台湾、香港とインドネシアでもライブをやって…毎月、何かしらのことが起きてる濃密な1年でした。
すぅ:いつも「毎年、濃いね」って話してるんだけど、さらに濃い1年でした。
――リリースだけでなくライブをこなすことで、バンドとしての地力も養われたのでは?
すぅ:やっぱり武道館が大きかったですね。周りにも武道館の話をすごくされます。それだけすごい場所だったんだなぁと感じるし、そこまで行けるバンドになったんだと思います。アルバムを出して曲も増えてきたし、サイサイの色がついてきたなぁって。
――実際、武道館以前と以降でバンドとして変わった部分はありますか?
すぅ:急激に何かが超変わったわけじゃないけど…。デビューしてからあそこまで、すごい団結力でたどり着いたし、終わっても「武道館が終わりじゃない!」という意思がひとりひとりに根付いたと思う。あとは、自分たちよりも周りの反応かな? 武道館と『Mステ』(テレビ朝日系)はすごい!
――やはりTVの影響力はすごいですか?
あいにゃん:誰でも知ってるからね。『Mステ』で新しいファンも増えたし、小さい子からおじさん、おばさんまで知ってくれるしTVの力ってすごいよね。
ひなんちゅ:飲食店に入って「バンドやってるんです」って話したら「あらそうなの? 『Mステ』に出られたらいいわね」って。「いや、実はもう出たんです」と言ったら「一緒に写真撮りましょう」って言われたりね(笑)。
――年末に行われたライブでは横浜アリーナを含むライブツアーの開催も発表されましたが、これに先駆けて新アルバム「S」が発売になります。
ひなんちゅ:「ハピマリ」「八月の夜」「alarm」「チェリボム」というシングル3曲と先行配信した「secret base〜君がくれたもの〜」(カバー)も入っていて、それだけでもかなり色のあるラインアップになってます。
――それ以外の収録曲も楽しみです。
ひなんちゅ:他の曲も、シングルのために作った曲ばかり。もともと、カップリングのための曲作りはしたことがなくて、すべてがA面、収録曲の分だけシングルを作ったつもりです。「チェリボム」と最後に録った「nukumor」は同じバンドと思えないくらい色が違っていて、1枚のアルバムでいろんな面を楽しんでもらえると思います。
――「チェリボム」の歌詞はどのようなイメージで書いたんですか?
すぅ:サウンドがポップなので、歌詞は普通のかわいらしいキュンとした感じにしたくなかったんです。デビュー当時の「Sweet Pop!」よりも、大人になった魅惑的な女性をイメージして、刺激的な内容や解釈によってはセクシーな部分もあります。
――ライブで楽しめそうな曲ですね。
すぅ:振り付けもあるし、コール&レスポンスも曲自体に入っているので、まさにライブを意識して作った曲になっています。年末の東京体育館でのライブでも、すごい一体感があって、これからライブで化けていく曲になるんじゃないかと楽しみです。

▲すぅ(吉田菫/Vo&Gt.)

▲ひなんちゅ(梅村妃奈子/Dr.)
サイサイへの参加 それぞれの覚悟!
――ここから、メンバーおひとりずつのサイサイ以前のお話ついてもうかがっていきます。そもそもみなさん、音楽を始めたきっかけ、サイサイに加わった経緯は?
あいにゃん:私は兄の影響で高校のとき、ベースを始めたんです。兄のバンドを見にライブハウスに行って、そのときに「この心臓に来る低音は何だ!?」って。CDの音源では感じられない魅力を感じて、ベースがやりたくて地元でコピーバンドを組みました。
――どんなバンドをコピーしてたんですか?
あいにゃん:ACIDMANのサトマ(佐藤雅俊)さんのベースが好きで、それからGO!GO!7188、チャットモンチーとかもやっていました。でも、そのころは音楽が仕事になるなんて1ミリも思ってなかったし、どうやってなれるのかも知らなかったんです。
――そこからどんな転機が?
あいにゃん:大学3年の就活の時期に、同じカフェのバイトでひなに出会って、そこでバンドに誘ってもらって「やりたいな」って思ったんです。そのころは、とりあえずみんなで集まって「ライブやりたいね」って感じで…。
――そこから本格的にバンドとして活動しはじめ…
あいにゃん:「ライブしたい!」という気持ちだったのが、実際にライブをしたら「もっとうまくなりたい!」って向上心が芽生えて。でも最初、事務所に入るか入らないかってところで、すごく抵抗したんですよ。信用できなくて(笑)。でも話を聞いて「やってみよう」って思えて、そこからみんなでデビューを目指して意識してやるようになりました。
――ゆかるんさんは、他のメンバーと違い、メジャーデビューの際にサイサイに加わったんですよね?
ゆかるん:私は子どものころ、姉の影響でクラシックピアノをやってたんですけど、それもせいぜい2〜3年で、その後は家にピアノがあったのをときどき弾くくらいだったんです。ずっとスポーツに打ち込んでて…。
――それがどうしてサイサイに?
ゆかるん:大学のとき、まだみんながインディーズでやってたころに、ライブを見に行ったんですよね。その後に偶然、あいにゃんに会って「キーボードの子が辞めちゃって、いま探してるんだよね。一緒にやらない?」と誘われたんです。
――偶然の出会いから加入が決まったんですね。
ゆかるん:私はもともと、すごく熱心にいろんな音楽を聴くタイプじゃなかったけど、初めて見に行ったのがサイサイだったし、すごく好きになったんです。だから、誘われてすごく嬉しかったし「やりたい!」って思いました。ピアノが好きでというよりもサイサイが好きだから、そこで弾かせてもらうって感じで…
――メジャーデビュー直前に加入するという点について不安やプレッシャーは?
ゆかるん:メチャクチャありました! 最初は98%くらいが不安でした。迷惑もかけるだろうし、冷静に考えて不安しかなかったです。私は動く前に結構、考えちゃうので、普段ならそこで「やめとこう」って思うんだけど、そのとき、サイサイの「All Right〜“今”を懸ける〜」という曲を聴いたんです。「今駆けるの〜」って…
一同:「今叫ぶの」ね!(笑)
ゆかるん:あ、「今叫ぶの」です(苦笑)。
すぅ:すごくいい話してたのになぁ…(笑)。
ゆかるん:それを聴いて、冷静に考えたら無理だしやめとこうって思うけど、自分の「やりたい」って気持ちを素直に信じようって思って飛び込んだんです。曲に背中を押されるってこういうことなんだな、サイサイっていいなぁって心から思えました。

▲あいにゃん(山内あいな/Ba.)

▲ゆかるん(黒坂優香子/Key.)
――すぅさんがボーカル&ギターを始めたのは?
すぅ:私も兄弟の影響でバンドは好きで、お兄ちゃんが聴いてたブルーハーツを聴いて、お姉ちゃんの影響でギターを始めたんです。ELLEGARDENやGOING STEADY、銀杏BOYZ、Green Dayとか聴いてかっこいいなぁって思って、高校で初めてバンド組みました。文化祭限定だったんですけど。
――そこでバンドに目覚めた?
すぅ:正直、そのときはあまり趣味が合わずに楽しくなかったんですよ(苦笑)。バンドって、ヌルッと始めてもいいけど、やっぱり「このメンバーで!」と感じられることが大事だなと思ってて、ちょうどひなと出会ったとき、そう感じたんです。「これだー!!」って。
一同:これだー!!(笑)
すぅ:これに賭けてみようって思いました。それまでヘラヘラ生きてきたけど…
ひなんちゅ:運命だなって思った?
すぅ:運命だと思ったよ!
ひなんちゅ:結婚するんだなぁって?
すぅ:結婚するってこんな感じなんだなって思ったよ、ホントに。ひなも「なんとかなるっしょ」ってノリだったし、「うちらならイケるっしょ?」って感覚だったんです、私も。好きな音楽もバッチリ合ったし、やっぱりこれだー!!って(笑)。
あいにゃん:ここ太文字でお願いします(笑)。
すぅ:これだーっ!!(笑)
――ひなんちゅさんがドラムを始めたきっかけは? そもそもドラムって始めるのにハードル高そうですけど…。
ひなんちゅ:親の仕事の関係でインドネシアで育ったんですが、中学の音楽室にピアノがなくてドラムがあったんです(笑)。教室で女子同士で群れるのが好きじゃなくて、ひとりでいたくて音楽室でドラムをたたいていました。それからバンドをやりたくなって、日本に帰国するときに軽音部のある高校しか受けず、そこでバンドを組みました。
――中心になってサイサイのメンバーを集めたのはひなんちゅさんですが、最初からプロを目指そうと?
ひなんちゅ:そう思ってたわけじゃないけど、このメンバーでバンドを続けたいなって思うようになって自然と上を目指すようになりました。当時大学生で、進路を考えるとそれなりの成果を出さなきゃいけなかったけど、かといってオーディションを受けまくるってわけでもなく、このメンバーできちんとやっていけば何かにつながるだろうと思って…。
――そこから事務所と契約をして、プロになると覚悟を決めた瞬間は?
ひなんちゅ:親に反対されたときですね。小学校からお受験をしていましたし、就職は商社や銀行に入らなきゃ! みたいな教育方針のもと育てられていたんですよ。それに反発して、家出したんです、東新宿の中華料理屋に(笑)。
――東新宿の中華料理屋? 住み込みのバイトで?
ひなんちゅ:じゃないんですけど(笑)。でも、そのときに「親がいなくても生きていかなくちゃいけない」って思ったし、自分のやりたいことをやって、親を見返そうって、バンドで生きていく覚悟を決めました。19歳のときですね。
