沖縄出身で東京在住のよしもと芸人「宮川たま子」。3月20日に開幕する「第6回沖縄国際映画祭」では、PR隊長をつとめている。後編では、キャリアや目標について聞いた。宮川大助・花子の下での修業を2年間経験したそうだ。(写真は筆者撮影)

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 沖縄出身で東京在住のよしもと芸人「宮川たま子」。笑いを取って元気を与える芸人になることを目指し、日々奮闘中だ。3月20日に開幕する「第6回沖縄国際映画祭」では、PR隊長をつとめている。後編では、キャリアや目標について聞いた。(写真は筆者撮影)

――芸人を目指したきっかけなど教えてください。

 お笑いに目覚めたのは小学校5年生の頃です。小さな頃からテレビを見ていて、本当にお笑い大好き! 人が笑うのが楽しいし、自分のこと笑われるのがうれしい。ちょっとコケただけでみんな笑ってくれて。ほかの子が転ぶと心配するのに、私は笑われるからそれがおいしくて面白い、と感じました(笑)。

 それで中学校2年生の時に真剣に芸人になりたいと思い、吉本興業の関連本で電話番号を調べて実際にかけました。親に内緒で公衆電話からかけて「吉本に入りたいんです」と伝えると、「ニュー・スター・クリエイション(NSC)」という養成学校があると紹介されました。

 それで大阪の様子を見学したくて、地道にバイトをしてお金を貯めて高校生の時についに行ったんです。2泊3日の予定でしたが都会の人の多さに驚き、1泊2日で泣いて帰りました(笑)。でもくじ引きで1週間後に行われるお笑いライヴのオーディション参加権を当てていたので、また行きましたよ。

 T.M.Revolutionさんの「HOT LIMIT」の物マネ芸で次に進みましたが、恐くなって結局帰りました。その後大阪の大学に行きながらNSCに入りたい気持ちもあったのですが経済的に難しかったので、ホームシックを克服するために沖縄県内の大学に行って1人暮らしを始めたんです。

――大阪へ行くためのリハーサル的な感覚で、進学したのですね。

 はい。楽しい大学生活でしたがやっぱり芸人になりたくて、1年で中退して大阪に行きました。でもいざ行ったらたくさんの芸人がいて、とりあえず人に覚えてもらわなければいけないと思い、1年間ランドセル登校しました(笑)。

 おかしな子ですが、これを貫き通さないと吉本でやっていけないって勝手に決めたんです、よく補導されましたけど(笑)。その後「なんばグランド花月」という劇場で進行係として手伝っている時に、「宮川大助・花子」師匠が見つけてくれて、住み込みの付き人を2年間経験して「宮川たま子」と名乗れるようになりました。

 文化の違いや性格面でも、こんなに怒られるものなのか……と思う位めちゃめちゃ怒られました。沖縄精神を強く通し過ぎたので、後々「怒っても無駄だ」という感じになったと思います(笑)。その頃は『学校へ行こう!』や『欽ちゃん&香取慎吾の全日本仮装大賞』といった人気番組に出演する機会がありましたが、大助・花子師匠から教わったのは畑仕事。

 師匠の家の500坪の畑を開墾して、いろんな作物を育てました。2年位で「やるべき事は全て教えた」と言われましたが、農作業が訓練だったんですよね。精神的な修業を積んだと思っていますし、「天災が起こってもどこでも生きていける」という人生の術と、「芸は盗むものなので自分でがんばりなさい」ということを教えられました。

――養成学校、劇場スタッフ、弟子入りをすべて経験しているのは珍しいのではないですか?

 本当はどれか1つ選んで芸人の道へ進めるんですよね。でも私吉本興業が好き過ぎて、全部やっちゃった(笑)。芸人として売れてやろうというハングリーな方向に行かなければいけませんが、遠回りしても好きなことをやって後悔しないのが私のポリシー。すべて経験した芸人はいないと思います。

――今は東京在住ですが、大阪を出た理由は?