【W杯】異色の経歴の日本人審判員が大会に参加 「じゃんけん負け」で始まった荒木友輔主審 三原純副審は元野球少年
サッカー北中米W杯に、荒木友輔主審(40)と三原純副審(45)が審判員として参加している。日本人審判員の選出は主審、副審ともに7人目。「じゃんけん負け」をキッカケに審判員への道を歩み始めた荒木主審と、サッカー経験ゼロからW杯選出まで成り上がった三原副審。ともに初のW杯選出となった2人の、それぞれのキャリアに迫った。(取材・構成=岡島 智哉)
元野球少年で、サッカーのプレー経験はゼロに等しい。本業は島根・松江市のスポーツ振興課職員。三原副審のキャリアは、少しばかり風変わりだ。
高校時代、98年フランスW杯をテレビ観戦し、サッカーに魅了された。しかし、選手を目指すには遅すぎた。
「遊びでボールを蹴ったりしましたが、全然違う方向に飛んでしまうのでストレスがたまる一方で(笑)」。転機は大学時代、サッカーサークルの紅白戦で審判を務めたことだった。
「なぜファウルなのか、なぜイエローカードなのかが分からなくて、1500円で競技規則を買いました。笛を吹いてみると楽しかったんです。『これだったら自分もサッカーに携われる』と思いました」
スポーツ振興課の常勤職員として、地域のスポーツ振興に奔走する傍ら、試合日にはJリーグの試合会場でタッチラインを上下動する日々。海外派遣がある際には平日でも日本を離れることがあるため「職場の理解もあって、活動が続けられています」と感謝する。
競技規則にのっとった最善の選択をするという点において、サッカー経験の有無は関係ない。「『こういうルールだからこうするべき』とすぐに導き出せるよう、言葉で伝えることを意識してやってきました」と胸を張る。45歳という年齢から、今大会が最初で最後のW杯挑戦になることを自覚している。「4年後はチャンスがないだろうと思ってます。荒木主審をしっかりと支え、次の世代に引き継いでいきたいです」
ジャンケンで負けたところから、荒木主審の人生は大きく変わった。高校時代、サッカー部の1年生から誰か2人が4級審判員の資格を取らなければならなかった。立候補者はなし。ジャンケンで決めることになり、荒木主審は負けた。
渋々、資格を取得した。すると意外な発見があった。試合を無事に終わらせること、懸命にプレーする選手と同じピッチに立ち、試合を裁くことに、充実感を覚えるようになった。ボールは蹴れない。でも、楽しい。
「キッカケは不純だったかもしれませんが…。無事に終えられると、今日も審判をして良かったなって(今でも)思いますね」と笑う。大学時代に全日本少年サッカー大会決勝の主審に抜てきされ、「大きなモチベーションになった。この世界で上を目指そうと思った」と本格的にプロを志した。
選手だけでなく、審判員もプロ契約は狭き門。スポーツクラブに勤務しながら、週末などに審判をこなす生活が続いた。平日深夜の帰宅後も、体力維持のためにランニングに励んだ。18年、念願のプロレフェリーに。32歳の時だった。
「どんなにお客さんが入っていても、どんなに選手が興奮していても、冷静でいられるのが自分の強み」と胸を張る。アジアの公式大会、FIFA主催のU―20W杯で評価を高め、初のW杯選出を果たした。
荒木審判員は今大会、米国―パラグアイ(12日)などで第4審判員を務めた。日本人は過去2大会、主審の割り当てがなく、2014年ブラジル大会の西村雄一審判員以来、笛を吹いていない。史上5人目のW杯主審へ、現地でトレーニングを積みながら「その時」に備える。
◆荒木 友輔(あらき・ゆうすけ)1986年5月2日、東京・青梅市出身。40歳。北多摩高、法大出身。2017年に国際主審に登録され、18年からプロフェッショナルレフェリーとして活動。J1通算159試合で主審を務める。
◆三原 純(みはら・じゅん)1981年6月16日、松江市出身。45歳。2017年に国際副審に登録。松江市役所のスポーツ振興課で勤務。J1通算187試合で副審を務める。
