公立学校もフリースクールも並行で通う「パラレル登校」の良さ…不登校35万人時代に生まれる新常識
不登校の小中学生は約35万人と過去最多を記録。現代の子どもたちには何が不足し、何が必要なのか。
学校とフリースクールを併用する「パラレル登校」という新常識とその実例について、教育ジャーナリストで『フリースクールという選択』の著者・おおたとしまさ氏が、レポートする。
「不登校」なぜ増えているのか
なぜいま不登校が増えているのか--。いまの学校が機能不全を起こしている証拠だと言われることが多いと思いますが、私はそれだけではない気がしています。
たしかにいまの学校に問題が多いことは事実です。カリキュラムオーバーロードといって、いわゆるゆとり教育からの揺り戻しや、時代の変化への対応で、やらなきゃいけないことが増えすぎているという問題。さらに、先生たちが労働基準法違反レベルで忙しすぎて余裕がないという問題……。
中学校については、時代錯誤な校則の問題や、高校受験を見据えた成績や内申点に関するプレッシャーの問題もあります。日本の教育は過度に競争的だと、国連から何度も注意を受けているほどです。
でも、日本の学校がいまになって急に劣化したとは考えにくい。昭和のころのほうがよほど競争的だったり、強制的だったり、人権意識が低かったりしたはずです。
放課後の変化も大きいと思います。小学生でも毎日6時間びっちり授業があって、ただでさえ放課後は短くなっています。さらに、いまどき、学校の裏山や町中の空き地や路地裏では遊べなくなっています。
かろうじて整備された公園には、「ボール遊び禁止」「火遊び禁止」そして「大声を出さない」という看板が立てられ、子どもたちを睨み付けています。
現代に足りない「三間(さんま)」の危機
放課後NPOアフタースクールという団体が2023年に行った調査結果によると、小学生の約7割が「放課後に友達と遊ぶのが週1回以下」と答えました。ほぼ同数が「もっと友達と遊びたい」とも答えています。
思うように遊べない理由は主に「時間がない」「仲間がいない」「空間がない」。いわゆる「三間(さんま)」が足りていないということです。
地域に子どもの居場所がない。さらに世間では「子どものうちからいろいろな体験をさせたほうがいい。そうしないと非認知能力(テストでは測れない「生きる力」のような能力の総称)が十分に育たない。それが将来の収入格差につながってしまう」ということがまことしやかにささやかれています。
そこで、親たちは、子どもたちを習い事や塾通いへと駆り立てます。学校が終わっても、子どもたちは忙しいのです。
「ぼーっとする時間」が必要なワケ
かつては、学校の授業をじーっと聞いているのが少々つらくても、放課後には友達みんなとぱーっと遊べたから、子どもの心は元気を回復できました。ときどきぼーっとする時間もあったから、そのあいだに、心と頭を整理することができました。
人間はときどきぼーっとすることで、本人も知らず知らずのうちに、いろんな不安やモヤモヤとの折り合いをつけているのです。
でも、いまの子どもたちにそんな余裕はありません。
学校に問題があるだけでなく、心を回復するための「時間がない」「仲間がいない」「空間がない」ことが、子どもたちから学校に行く元気を奪っているように思えてなりません。
「パラレル登校」という選択肢
そこで思考実験をしてみましょう。
子どもたちの日常に、心を回復するための時間と仲間と空間を構造的に組み込んでみるのはどうでしょう? 放課後が使えないのなら、週5日間のうち、1日は子どもが選んだフリースクールに通うと決めてしまうのです。
実際、拙著『フリースクールという選択』を書くために訪れたほとんどのフリースクールで、学校とフリースクールを「併用」している子どもに出会いました。
東京都新宿区の「いもいもデイクラス」には、基本的には学校に通いながら週1〜2回だけデイクラスに参加する子どもたちがたくさんいました。それでちょうどバランスがとれて、学校でも頑張れるのだそうです。
『どっちにする?』というプレッシャー
「N中等部」の名誉スクールプレジデントの奥平博一さんは、「籍を置いている中学校とのやりとりで、まだうまくいかないことがあります。
中学校にも通いながらN中にも通う子が多いんです。それで『どっちにする?』とプレッシャーをかけられることがあります。週1回、2回とフリースクールにも行くから普通の中学校でも頑張れるってことがあると思いますから、併用を当たり前に認めてほしいです」と訴えます。
オンラインフリースクールの「夢中カレッジ」ではいま、平日昼間の水族館でのリアルフリースクールを企画中です。普段オンラインで交流している魚好きの子どもたちが平日昼間にリアルな水族館に集まってともに学ぶというものです。
これができるなら、科学館や博物館などでも同様のことが可能になります。不登校でない子が来てくれてもいい。であるならばもうそれは、不登校の受け皿としてのフリースクールではありません。
「夢中カレッジ」代表の辻田寛明さんは「不登校」の代わりに「パラレル登校」という概念を提唱します。複数の学びの場に併行して通うということです。
実例:週2日は公立、週3日はフリースクール
新潟県新潟市の「光の森学園」では、小学校に入学した瞬間から、パラレル登校を選択したという親子に会いました。お母さんに詳しく話を聞きました。
保護者 光の森学園(ヒカモリ)も公立の小学校も事前に見学させてもらって、本人にどっちがいいかって聞きました。正直、私はヒカモリ一本でいいんですけど、まあ、本人はわかんないから「どっちも行きたい」って言ったんです。実際に通ってみて本人が「こっちがいい」って言ったらそのときに一本化すればいいと思っていますけど、いまのところどっちも楽しいらしくて、週2日は公立に行って、週3日はヒカモリに来ています。
「学校の顔」と「別の顔」を使い分ける適応力
おおたとしまさ(以下、おおた) 正直に言うと、ヒカモリでの彼の様子を見ていると、公立の小学校は厳しいんだろうなと勝手に想像してたんですが、違うんですか?
保護者 公立に行ったら行ったで別の顔があるみたいです。45分間の授業中、ちゃんと座ってるんですって。このまえヒカモリのスタッフが学校を訪問して担任の先生と面談してくれました。そうしたら、ヒカモリのみんなが知っているあの子と、学校の先生が知っているあの子がぜんぜん違うってお互いにびっくりしたって。
おおた それぞれの場所でのふるまい方をわきまえているんですね。びっくりです。
保護者 公立の小学校には週2日しか行ってないから勉強の面ではどんどん遅れています。みんなが黒板に向かって授業を受けているときに、うちの子はわからないから、ひとりだけ別のプリントをやらせてもらったりしていて、担任の先生には迷惑をかけていると思います。学年主任の先生からは「テストはどうするんですか? このままじゃ評価をつけられませんよ」って言われました。
おおた それはやさしさなのか、脅しなのか……。
通知表はいらない?「本人のタイミング」を待つ親の覚悟
保護者 評価も通知表もいらないってのが本音なんですけど、そしたら話が終わっちゃうから、「どうしたらいいでしょうか?」なんて聞き返してみたりして(笑)。校長先生からも「どっちかに決めないんですか?」と聞かれました。前例がないだろうし、校長先生も大変なんだろうなとは思いますが、「本人のタイミングで決めさせたいです。これは私が決めることではないから」とお話ししました。
学校の先生たちのリアクションからは、早くどちらかを選んでほしい意図が伝わってきますが、むしろ、それぞれの子のバランスで、学校とフリースクールを併用することが当たり前になればいいのではないでしょうか。そうすれば、学校がいままでとそんなに変わらなくても、不登校は減るのではないかと思います。
不登校になって心が傷ついてからそうするのではなくて、ヒカモリの親子のように、最初から、積極的な選択として、フリースクールも利用するのです。
学校を「社会常識教習所」に格下げしてもいい
さらに思考実験を続けます。
複数の学びの場を併用することを可能にするならば、いっそ「学校」を「社会常識教習所」に格下げしてもいいのではないでしょうか。
公道を走るのに最低限必要な知識と技術を授ける自動車教習所みたいに、現代社会を生きていくうえで最低限必要な常識を子どもたちに授ける機能に限定するのです。そこでは、本当に最低限の常識だけを厳選してできるだけコンパクトに子どもたちに授ければいい。
もっと大きな問いに挑みたいひとは、別のところで学べばよいでしょう。それが原義どおりの「塾」です。松下村塾や適塾のような私塾です。一軒家を校舎にしているフリースクールを見ていると、昔の私塾のはじまりを追体験しているような感慨を覚えます。子どもたちはそこで、社会ではなく、人生を学びます。
たとえば社会常識教習所に週4日午前中だけ通い、給食を食べたら下校。そのあとは、フリースクールや私塾みたいなところで、それぞれの学び方で学びたいことを学ぶ。
家庭的なフリースクールで生活のなかの学びを得てもいいし、農村体験みたいなフリースクールがあってもいいし、武道を基本にした私塾があってもいい。もちろん、教科学習を頑張りたい子は堂々と学習塾に通えばいい。フリースクールも私塾も当然無料です。
「school」の語源は
ギリシャ語の「スコレ(直訳すれば暇、意訳すれば余白)」を語源とする近代以前の意味での「school」という言葉がもしいま日本に輸入されたとしたら、私は迷わず「塾」という訳語を当てるでしょう。
もともと「熟成するところ」という意味があります。現代のフリースクールは、外見的にも思想的にも機能的にもまさにかつての私塾なのです。ちなみに学校の「校」という字にはもともと「足かせ」という意味があります。
やや過激な意見だったかもしれません。でも、決してやけくそや冷笑で言っているわけではありません。極めて前向きで建設的な意見として提案したいのです。
人類が数百年後もまっとうに社会を営んでいるのだとしたら、その社会に暮らす未来のひとたちはきっと「大昔、21世紀のころには、子どもたちは全員毎日『学校』というところに行かされて学ばされていたんだって。びっくりだよね」という会話をしているのではないかと私は想像するのです。
フリースクールという選択
以上、教育ジャーナリスト・おおたとしまさ氏によるレポートをお届けした。
学校に「行けない・行かない」子どもの居場所となっているフリースクール。学校とフリースクールを「併用」する新常識にとどまらず、おおた氏は著書『フリースクールという選択』で、さまざまな形態のフリースクールを取材している。
大きな変化が続くこの現代で、子どもの学びの正解は一つではない。多様な学びのあり方を、子供も大人も受け入れていくことが、不登校が増え続ける社会への処方箋となるはずだ。
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