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元日本テレビアナウンサーで皇室ジャーナリストとして活躍してきた久能靖さんが今月2日に亡くなりました。久能さんは、あさま山荘事件や、昭和天皇崩御などの歴史的瞬間を伝えたほか、皇室ジャーナリストとしても長年精力的に現場に足を運び続けました。

■“マンガの神様”にインタビューも

昭和、平成をまたぎお昼の情報番組のニュースキャスターとして親しまれた、久能靖さん。アナウンサーとして、報道記者として、半世紀以上にわたり歴史的なニュースを取材しました。

その柔らかな語り口で、伝え続けた久能さんは今月2日、老衰のため亡くなりました。90歳でした。

1960年、久能さんはアナウンサーとして日本テレビに入社。若手時代には、“マンガの神様”にもインタビューしていました。

久能さん(当時30)
「今や手塚治虫という名前を知らない子どもがいないほど、大変なマンガブーム」

手塚治虫さん
「マンガブームですね」

■あさま山荘事件「雪食べて飢え渇き抑えていた」

あさま山荘事件では、極寒の中、9時間にわたって現場から実況中継しました。

久能さん
「警察側の情報では、負傷者はすでに4人。私の目の前を通過する負傷者は3人に」

2021年、当時について「弾が飛んでくるということで、弁当も水もこなかった。実は雪を食べて飢え・のどの渇きを抑えていた」と語っていました。

様々なニュースを伝える上で、久能さんが大切にしていたことが、とにかく現場へ行くということです。

久能さん
「自分の目で見て感じたものを言葉にして伝える、これが一番大切なこと。私がスタジオにいて、リポーターが話すことをコメントするのは、正直好きじゃない」

■「あまり原稿に頼るということをしない」

皇室の歩みも、現場から伝え続けてきました。時には、皇族方に単独インタビューも。皇室ジャーナリストとして、令和になっても現場へ足を運び続けました。

久能さん
「私が心がけているのは、自分が理解できないものは、視聴者には分からない。あまり原稿に頼るということをしない。自分で見て自分がそこで何を感じたか、伝えるのがマスコミの責任」

葬儀は、親族のみで執り行われたということです。