<後妻業の女>筧千佐子死刑囚が面会で見せた涙の理由。「私はこんな罪を犯しましたけど。今もあの両親は尊敬しています」
死刑判決が確定し未執行の死刑囚は、2026年4月8日時点で101人となっています。事件関係の取材や執筆を行うノンフィクションライター・片岡健さんは、面会や手紙で多くの死刑囚を取材し、その素顔に迫ってきました。今回は、片岡さんの著書『実録 死刑囚26人の素顔』より一部を抜粋して、死刑囚の素顔をお届けします。
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最初から子供はいなかったと思うようにしています
筧千佐子はどんな人生を辿り、「後妻業」と言われる犯行をするようになったのか。
1946年11月、千佐子は長崎県で生まれた。だが、母親は未婚だったため、生後すぐ福岡県北九州市の夫婦に養女に出されている。
勉強はできたようで、高校野球の名門としても知られる福岡有数の進学校・東筑高校に進学。卒業後は都市銀行の地元の支店に就職したが、旅先で知り合った大阪府の男性と交際し、24歳の時に結婚。そして大阪で結婚生活を営み、1男1女をもうけた。
「最初の旦那さんとは、結婚して良かったと思いますか?」と聞いてみた。千佐子は「最初のうちはね」と言った。
「結婚して、生活がかかってきたら、相手が好きかどうかより、食べていかんとあかんから。子供が産まれたら、育てんとあかんしね」
ちなみに人生で一番幸せを感じたのは「子供を産んだ時」だったそうだが、現在、子供たちは面会に一切来ていないという。
「エエことして捕まったわけやないから当然です。最初から子供はいなかったと思うようにしています」
再婚を考えた事情
人生の分岐点になったのは、最初の夫の病死だ。千佐子は当時47歳。子供らは大きくなっていたが、夫婦で営んだ印刷会社を女手一つで切り盛りせねばならなくなった。
「工場を建てるのに借りたお金が1千万とか2千万とかありました。それを返すのに“必死のパッチ”です」

『実録 死刑囚26人の素顔』(著:片岡健/宝島社)
だが、バブル崩壊の影響で2001年、印刷会社は廃業。千佐子はこれ以降、複数の結婚相談所に登録し、見合いを重ねるようになった。
再婚を考えた事情を尋ねると、千佐子はこう答えた。
「生活のためです。仕事は続けなあかんし、借金は返さんとあかん。それが第一。商売してたら、男の人の手も必要ですからね」
――そのために好きでもない男性と結婚していたのですか?
「好きじゃない人とは結婚しませんよ。でも、そこそこの経済力がある人というのが条件でしたね」
筧勇夫さん以外の3人の被害者は体が弱く、自分が経済的に支えていたという話と矛盾しているが、千佐子は無自覚のようだった。
ちなみに千佐子が犯行に用いた青酸化合物は、印刷会社で印刷の失敗を消すために使っていたものだったとされている。
罪の意識を感じていない
では、どうやって男性たちを次々籠絡したのか。何かテクニックがあったのか。そう質すと、千佐子は「そんなん一切無いですよ」と笑い、こう続けた。
「私はいつも自然体です。結婚できたのは、私が誰にも陰日向なく接して、炊事や洗濯、掃除という女としての仕事もできたからやないですか。体も元気やからセックスもできました。だからベッピンじゃなくても、男の人らは80点くらいに評価してくれたんでしょう」
千佐子は何ら悪びれることなくそう話すと、こう付け加えた。
「私も相手の良いところを見るようにしていました。再婚やから、理想を高く持ったら結婚できないから」
――被害者とされる4人の男性にはどんな良いところがあったのですか?
「真面目なところですね。末広さんにしても、本田さんにしてもほんまに優しい、エエ人やったですよ」
笑顔でそう語る千佐子は、人を殺めたことに罪の意識を感じていないように見えた。
自分は両親の実子じゃない
そんな千佐子が面会中に一度、感情をあらわにしたことがある。「育ての両親」のことに話が及んだ時だ。
「私は自分が養女だと知らなかったんですが、ある日突然、産みの親やという人から手紙が届いたんです。それで自分は両親の実子じゃないとわかったんです」
――それで産みの親に会ったんですか?
「育ての親が死んでから会いました。育ての親が生きているうちに、産みの親に会ったりしたら裏切ることになるやないですか」
――産みの親に会ってみて、どうでしたか?
「向こうは喜んでましたね。私はシラけてましたけど」
――やっぱり育ての親のほうが大事なんですか?
「育ての親が大事です。今でも……」
「育ての親」への特別な感情
そこまで話した時だった。千佐子は目から涙をポロポロこぼし始めた。そして嗚咽しながら、こう続けた。
「いい両親やったから。あとで知ったけど、お母さん、子宮の病気をしたみたい。子供が産めないんで、私をもらい子したみたいやね。本当にいい親で、私の子供も『おばあちゃん良かったな』と言ってましたから」
千佐子にとって、育ての親は特別な存在らしい。
「育ての親は、模範にしたい人でした。私はこんな罪を犯しましたけど。今もあの両親は尊敬しています」
私は話を聞きながら、出自を知ったショックが千佐子の人格を歪めた可能性もあるように思えた。だが、それ以上のことは調べようがなかった。
その後、千佐子は2019年5月24日に大阪高裁から控訴棄却、2021年6月29日に最高裁第三小法廷から上告棄却の判決を受け、死刑が確定。
死刑執行を待たず、2024年12月26日、収容先の大阪拘置所から病院へ搬送後、病死した。
78歳だった。
「『後妻業』の女」が次々に男性を籠絡できた理由
筧千佐子と面会中、こんなことを言われたことがあった。
「やっぱり若い男の人はいいですね」
男として関心を持たれたのかな? と感じたが、単なる勘違いのような気もした。その後、複数の男性取材者が本や記事で、千佐子と面会中に気の引くようなことを言われたと書いているのを目にし、やはり勘違いではなかったのだと思うようになった。
千佐子は手紙にも私に好意があるようなことを臆面もなく書いてきた。おそらく金目当てに結婚したり、交際したりして殺害した男性たちにも同じようにしていたのだろう。そして思うに、千佐子は金のためだけに男性たちに近寄っていたのではなく、根っから男性が好きだから、あれだけ次々に男性の心に取り入れたのではないだろうか。
実は鳥取連続不審死事件の上田美由紀も男性のストライクゾーンが広く、自分から様々な男性に好意を寄せて次々と積極的にアタックしていたのではないかと思えるフシがあった。これは男たちを次々に騙し、金を奪って殺すような女性殺人者に共通する特徴のような気がしており、今後、取材で検証したいと思っている。
※本稿は、『実録 死刑囚26人の素顔』(宝島社)の一部を再編集したものです。
