『九条の大罪』の“リアル”になぜ誰もが惹きつけられたのか 実写だからこその“食”と“犬”
Netflixオリジナルドラマ『九条の大罪』の勢いが止まらない。4月2日に配信がスタートして以来、「今日のTOP10」(日本)で1位をキープし続け、さらに10日以上経った4月16日にはグローバル部門の非英語シリーズで4位に躍り出た。
参考:『九条の大罪』がドラマ化された意義 柳楽優弥、松村北斗らが体現する“リアリティ”
『闇金ウシジマくん』に次ぐ人気漫画家・真鍋昌平の同名コミックスを原作にした本作は、巷で「悪人」とされる依頼人の案件ばかりを引き受ける弁護士・九条間人(柳楽優弥)と、彼の事務所で居候弁護士として働く烏丸真司(松村北斗)を中心キャラクターに据え、真鍋作品に特徴的な、人間の俗で濁った本質をえぐり出すテーマと描写が盛り込まれている。
●あえて過激描写を抑え、人間ドラマに注視させる演出
現実の生々しさに肉薄するがゆえに、地上波ではできない過激さが持ち味のNetflixドラマだからこそ映像化できたとも言える。ただし、題材こそシビアであり、九条と懇意にしている半グレ・壬生(町田啓太)の周囲で巻き起こる凄惨な暴力シーンはあるものの、ストーリーラインも描写も、近年の大ヒットドラマシリーズ『地面師たち』ほどはグロテスクではないと、筆者個人は感じた。
たとえば、世の中のどこにも居場所をみつけられない少女・雫(石川瑠華)が陥る性的搾取のエピソード「消費の産物」では、アダルトビデオ業界や性風俗が舞台になっているが、直接的な性描写はない。
原作の該当回を読むと、雫は幼い頃に周囲の大人から性的虐待を受け、そのPTSDで障害を負ってしまったという、ドラマでは省かれた設定がある。ドラマの中でも母親の彼氏から日常的にレイプ被害に遭っていることがほのめかされているが、よりむごたらしい展開である原作では、性被害者がその後の人生でも搾取に遭い続けてしまう構造が強く告発されているように感じた。
とはいえ実写によるインパクトは漫画や小説以上であり、みなまで描かなくても伝わるものがある。逆に、あまりに具体的な描写は視聴者のフラッシュバックを引き起こしてしまうかもしれない。テーマの生々しさはそのままに過激な描写を抑えることで、ドラマで起きていることの即物的インパクトよりも、キャラクターたちの間で繰り広げられる人間ドラマや感情のやり取りに注目してほしいという意図なのだろう。
●悪徳弁護士の輪郭を立体的にする「食」と「犬」
ドラマの中で描かれた人間らしい営みとして、たとえば毎回丁寧に描写される九条たちの「食事シーン」が挙げられる。
廃墟にも似た格安物件を事務所にしている彼の住まいは、その物件の屋上に設えたテントであるため、彼が口にするのは決して高級料理ではない。しかし、レトルトハンバーグにひと手間加えて食べたり、簡易コンロで燻製ベーコンを作ったりと、食事を実に大切にしていることが見て取れる。これは原作から引き継がれている要素ではあるのだが、真鍋作品はドライなタッチ(無機質さ)が強みであるためか、実写ドラマでは漫画以上に“美味しそう”に見える。
悪徳弁護士と世間から指弾され、「私は法律と道徳は分けて考えている」と語る九条は、ともすれば感情のゆらぎを持たない非人間的キャラクターとして受け取られるかもしれない。そんな彼に、この“美味しそう”という描写が立体感を与えているのだ。
たしかに「片足の値段」のように、子どもが被害に遭うひき逃げ事件を(たとえその後の救済がほのめかされているとしても)加害者有利に導く九条を、人として理解できるとは言い難い。そんな中で「食」という本能的行為だけが、九条の人間としての拠りどころとして機能しているように思う。
そしてもうひとつ、「動物」の存在も重要な要素である。
壬生はかつて「おもち」というパグの愛犬を飼っていたが、対立する半グレの菅原(後藤剛範)の差し金で、自らの手で愛犬の命を奪う状況に追い込まれてしまう。壬生の全身には、「おもち」へのメッセージとその肖像がタトゥーとして彫り込まれており、彼の行動原理には常に愛犬への愛情と後悔、自責がある。
また「弱者の一分」には、依頼人・金本(原田泰雅)の飼い犬としてドーベルマンの「ブラックサンダー」が登場する。最終的に金本が半グレ仲間により殺されたため、九条が引き取ることになる。犬という生き物は、九条の依頼人たちのように自らの理屈で弱者をもてあそんだり、世間のように道徳を振りかざして九条を指弾したりすることもない。彼らはただ生を全うすべく懸命に生きている。食事と同じように、犬が九条たちの支えとなっているのだ。
この要素も漫画から引き継がれているが、「ブラックサンダー」を飼うと決めた九条に対し、壬生が「犬を飼うというのは生半可なことではない」と急に説教しはじめるセリフはドラマオリジナルであるため、原作以上に「犬」という存在を通したキャラクターの性格付けが強くなされていることが分かる。
●現代の「処罰感情」とネット私刑社会へのカウンター
さて、人間洞察に長けた原作のクオリティと、その良さを引き継ぎながらドラマ性にフォーカスした実写、確固たる演技力を持つ俳優陣と、ヒットの理由が揃っている『九条の大罪』ではあるが、本作で九条が弁護を引き受ける半グレなどは、現代社会が最も忌み嫌い、処罰感情を募らせる存在だ。それがここまで支持されたのはなぜなのだろうか。
有名人のゴシップから校内暴力、企業の内部告発をスクープして世間に訴えるのは、以前は週刊誌の役割だった。その後、スマホとSNSが普及し誰もが告発可能な時代になったことで、2017年前後の#MeToo運動のように、省みられることがなかった人々の痛みを社会に訴えられるようになったことは良い流れだった。
だが結果的に、暴露系YouTuberらが不適切な言動や行動の当事者、あるいは事件の加害者とされる人物を「晒す」という行為でSNS上に投稿し、さらにSNSの膨大な匿名アカウントが一斉に拡散・非難する世の中を作り上げたことも否めない。
法的手続きを経ない制裁、いわゆるネット私刑の根幹の一端には、九条を「悪徳弁護士」と蔑むような大衆の道徳感情があるが、そうした正義感や社会通念は容易に揺らぐものだ。社会的に悪人とされる者たちを弁護する九条の存在は、匿名で誰かを罰し制裁するネット私刑社会の危うさを浮き彫りにしている。
そして多くの人々が、こうした処罰感情の横行に疲弊しているからこそ、本作の持つアンチテーゼに惹きつけられたのではないだろうか。(文=荒井南)
