朽ちても「地震」伝える 南阿蘇村の震災遺構、旧・阿蘇大橋 橋桁のアスファルトはがれ 熊本地震10年
熊本県は、9つの市町村に点在する震災遺構を保存し『記憶の廻廊』と名づけ、熊本地震の記憶や教訓を語り継いでいこうとしています。
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ただ、中には10年の間にその姿を変えつつあるものがあります。
南阿蘇村にある『熊本地震震災ミュージアムKIOKU』です。
ここには、被災した東海大学の阿蘇キャンパスや、地震であらわれた地表の亀裂などが保存されていて、熊本地震の記憶と教訓を伝承する中核施設として位置付けられています。
熊本地震の発生から10年の節目となるこの日も、多くの人が訪れました。
宮崎県から訪れた親子「土で埋まって車があんなふうになった。現物を見たのは初めてなので息子はびっくりしていると思う。現地の人の大変さが分かった気がします」
ガイドを務める地元の住民は。
震災ミュージアムガイド 藤尾陽子さん「実際に壊れたものを見ると『こうなるんだ』と分かると思います。こうした展示の大切さを感じます」
同じ南阿蘇村にある震災遺構、旧・阿蘇大橋です。
4月16日の本震で崩落し、辛うじて残った橋桁がそのまま保存されました。
ただ、その姿は10年経って、変わりつつあります。
メッセージは不変
これは、地震発生直後の映像です。
橋桁の周りには山肌が露出していました。
6年後の2022年には、辺りは緑に覆われ、保存工事のための足場が組まれました。
そして、これが現在です。
橋桁の表面のアスファルトが、剥がれ落ちています。
管理する南阿蘇村が、こうした変化を把握したのは去年の秋ごろでした。
この遺構は、橋桁全体が横ずれしないようワイヤーで固定していますが、表層のアスファルトは自然にまかせることになっています。
朽ちることは避けられませんが、ここを訪れる人達に伝える「メッセージ」は、変わりません。
神奈川県から訪れた人「亡くなられた方もいらっしゃると聞きました。あまり言葉が出ませんけれど、どれだけすごかったのかというのが分かる」
熊本市から訪れた人「言葉で伝えるよりも実際に見てもらう方が分かりやすい」
そこにあることに意味
5年後、10年後、その先の未来で、震災遺構はどのような姿で地震の記憶を伝えるのでしょうか。
旧阿蘇大橋のように、地震で被災した橋が遺構として残されたケースが、岩手県にもあります。
岩手県一関市の『祭畤大橋』です。
18年前の2008年、岩手・宮城内陸地震で崩壊しました。
その後保存され、遊歩道が整備されたものです。
こちらも表層には手を加えておらず、崩落部分のアスファルトが剥がれ落ちています。
橋が動かないよう固定していたこともあり、東日本大震災では影響はありませんでした。
一関市の担当者は「見た目が変わっても、そこにあることに意味があり、今も防災学習などに役立っている」と話していました。
今後の旧阿蘇大橋について、南阿蘇村は見学に訪れた人が遺構を見られるよう、必要に応じて樹木の剪定などを行う方針です。
