スポニチ

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 下関が生んだ3学年上のスーパースター、西鉄ライオンズの池永正明投手に憧れていたので、下関商業に進学希望でした。しかし学力が足りず、そのライバル校早鞆高校に進みました。野球好きになっていて、今度は自分の意思で野球部の門を叩きました。新入部員は200人ほどいました。1年生は全員球拾い。「ゴーエー」「ゴーエー」と練習中ずっと声を出しているだけです。ある時1年生が集められ「好きな所で守備に就け」と言われました。中学時代は内野だったのでショートの位置に行きました。初めてノックを受けた硬式球は岩が飛んで来るような感じです。思わずよけたら「お前、外野行け」と言われて、それからずっと外野になりました。

 池永擁する名門・下関商を破って甲子園に行き、早鞆をいきなり準優勝に導いた石井英昭監督は名伯楽として知られていました。その石井監督から「お前らは勉強せんでええ。その代わり野球をしっかりやれ。ちゃんとワシが就職させたる」と言われ、勝手に「勉強免除」のお墨付きをもらった気分でした。しかし、それから1年間で1日しか休みがない野球漬けの生活が始まりました。

 練習もきつかったのですが、練習後のボール捜しも大変でした。先輩が「1個足りない」と言うと、全体責任で見つかるまで暗闇の中を捜すのです。下級生は練習後に部室で先輩のリクエストで歌を歌わされました。知っている歌ばかりではありません。「おい山本、明日は橋幸夫の『恋のインターチェンジ』歌えや」。慌てて自宅近くにあったレコード店「中国電波」に行き、1曲10円のジュークボックスで聴いて必死に覚えました。森山良子さんの「この広い野原いっぱい」もジュークボックスで覚えた歌でした。

 高校2年の時、同級生の幸男に「譲二、好きな女ができた。一緒に見てくれや」と頼まれました。野球の練習をサボるのは大ごとです。なんとか練習を休み、近所の亀山八幡宮の境内で一緒に会うことになりました。「みっちゃん」が階段を上って来て、頭が見え、顔が見えた瞬間、心臓のドキドキが止まりませんでした。同じ早鞆高校女子部の道子さんに一目ぼれしてしまったのです。彼女の顔を思い出すだけで興奮して、夕飯が喉を通らなくなってしまいました。これが初恋です。

 翌日、幸男に「ワシもみっちゃん好きになったけ。しょうがないやろ」と正直に打ち明けました。彼女の弟経由でラブレターを渡すとOKの返事。「付き合おうや」ということになりました。もっとも、鬼のような野球の練習があり、付き合う時間もありません。ケガでもしなければ練習を休めません。苦肉の策で、金づちで膝を叩くと、本当に膝に水がたまっていたので「3日間安静が必要」の診断書が出ました。人目につかぬよう、関門トンネルの地下で初デートしました。加山雄三さんの「夜空を仰いで」を歌うと「本当に歌が上手ね」と言われた淡い思い出があります。

 ◇山本 譲二(やまもと・じょうじ)本名同じ。1950年(昭25)2月1日生まれ、山口県下関市出身の76歳。早鞆高3年の67年、夏の甲子園出場。74年に「伊達春樹」として「夜霧のあなた」で歌手デビュー。北島三郎に師事し、78年「山本譲二」として再デビュー。80年発売の「みちのくひとり旅」が81年にかけてロングヒット、ミリオンセラーに。NHK「紅白歌合戦」に計14回出場。