退任会見に臨む伊原春樹監督(C)日刊ゲンダイ

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【山粼武司 これが俺の生きる道】#75

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 オリックスでは伊原春樹監督と何度も衝突し、気付けば野球が大嫌いになっていた。

 2004年9月5日、チームが最下位を独走する中、二軍行きを命じられ、その理由を聞きに行くと、「使えねえ、いらねえんだよ」と吐き捨てられてプッツン。サラリーマンが社長にキレたらクビになる。それくらいのことは分かっていた。

「どうせやめるんだから何を言ってもいい」

 すっかり自暴自棄になっていた。

「もう野球をやめよう」と心を決め、二軍落ち直後にロッカーの荷物をまとめた。ファームでは練習にこそ出ていたものの、試合にはほとんど出ていなかった。この年の後期、オリックスのファームチーム(00〜05年「サーパス神戸」というチーム名で活動)は優勝争いをしていた(結果は3位)が、自分の中ですでにシーズン終了。「職場放棄」の状態だった。

 このころ、プロ野球界は6月ごろから表面化した球界再編問題の話題で持ち切りだった。9月8日、オリックスと近鉄の合併が決まるも、18日に選手会がプロ野球史上初のストライキを決行。ゴタゴタが続いた。

 結局、23日に選手会が折れる形で合併問題が決着。27日が「オリックス・ブルーウェーブ」としてのラストゲームに決まった。相手は合併相手の近鉄である。

 伊原監督はもともと2年契約だったが、チームは首位と29ゲーム差をつけられる断然の最下位。球界再編の影響もあり、04年限りでの退任が決まった。27日の最終戦を迎えるある日、球団のマネジャーからの電話が鳴った。

「伊原さんが『最後くらい一緒にやらないか』と言っているんですが……」

 野球を続ける気は全くなかった。

「何を今さら……」

 そう言って“丁重にお断り”をして電話を切った。そのやりとりを聞いていた妻は「ひどいね、パパは」と呆れていた。

 内心は「散々チームに迷惑をかけたというのに、最後だけノコノコと顔を出すなんて、虫のいいヤツだ」と思われるのが嫌だった。どのツラ下げてみんなのところへ行けばいいのか。そんな思いだった。

 現役引退後は不思議と会う機会がない。ユニホームを着ていないときは気遣いをしてくれる家族思いの優しい人。現役時代はそのギャップに苦しめられた。でも20年以上経った今なら、仲良く話せるかもしれない。そんな気がする。
(山粼武司/元プロ野球選手)

  ◇  ◇  ◇

 こうして引退を決意したこのオフ、山崎氏は“逃避行”でドイツへ飛んだ。いったいなぜドイツだったのか。飛行機で思わずキレてしまった想定外のアクシデントとは。プロ野球ファンは関連記事【続きを読む】…から要チェックだ。