絵本編集者・末盛千枝子84歳「絵本に、大人と子どもを隔てる垣根はありません。〈子どもの本だから〉という仕事は絶対にしないと言い聞かせ」
彫刻家・舟越保武の長女、舟越桂、直木の姉として芸術一家に生まれた末盛千枝子さん。絵本編集者を経て、すえもりブックスを設立。たくさんの絵本や、上皇后美智子さまの本などを出版してきました。そして84歳の今、東京から移住した、岩手山を望む家にひとりで暮らしています。そんな末盛さんが歳を重ねてわかったこととは――?大切にしている時間や習慣などを綴った著書『今だからわかること 84歳になって』より、一部を抜粋して紹介します。
【写真】絵本にずっと関わってきたのは、この時のためだった。そう感じたのは東日本大震災のあと…
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好きなことを仕事にして
「人生で自分の好きなことを仕事にできる以上に幸せなことがあるかい?」
M・B・ゴフスタインの絵本『ピアノ調律師』に出てくるセリフです。ストーリーは、こうです。
両親を亡くし、おじいさんに引き取られた女の子が、ピアノ調律師というおじいさんの仕事に魅せられてしまいます。おじいさんは、有名なピアニストの絶大な信頼を得るほど、素晴らしい腕を持っているのです。
でも、おじいさんは、孫にはピアニストになってもらいたい。そのピアニストがおじいさんに向かって言うのが、冒頭のセリフです。
私も同じ思いで、絵本の世界で編集者を続けてきました。私はこういうことを美しいと思う。それを好きな言葉と絵で伝えたい、その一心でした。
「子どもの本だから、これくらいでいいでしょう」という仕事は、絶対にしないと常に自分に言い聞かせながら。

『ピアノ調律師』(ゴフスタイン作 末盛千枝子訳 2005 すえもりブックス)(写真提供:『今だからわかること 84歳になって』/KADOKAWA)
アメリカにシャーロット・ゾロトウという、自分でも本を書いている名編集者がいました。緑色の目をした美しい魔女のような女性で、憧れの存在でした。
不思議な縁で、数年間、私が手がけた新刊を、彼女に英語で語り聞かせる機会があったのです。その度に、「今年は何を見せてくれるの?」と言ってもらえたのは、とても幸せなことでした。
このゾロトウを育てた伝説の編集者が、ノードストロムです。『かいじゅうたちのいるところ』のモーリス・センダックなど、名作を世に出しました。
その彼女は、ある舞踏家の言葉を記した紙を財布に入れて持ち歩き、くしゃくしゃになったそれを作家たちに読んで聞かせたそうです。その一節。
「あなたという人は一人しかいないので、この表現はあなた独自のものです。このエネルギーは他の媒体を通しては存在できないので、あなたがこれを表現しないと失われてしまいます。自分の表現しているものがよいものか、価値あるものか、人の表現と比べてどうなのかと、自分で判断しないことです。自分の持っているものをはっきり、そしてしっかりとらえていればそれでいいのです。」
『伝説の編集者 ノードストロムの手紙 アメリカ児童書の舞台裏』(レナード・S・マーカス編 児島なおみ訳/偕成社)
なんと深い言葉でしょう。年齢や仕事に関係なく、すべての人に向けられる励ましです。
では、私なら、若い編集者に何を伝えましょう?
どういうものを美しいと思うのか、そのアンテナを広げておくこと。
それは年も仕事も関係ありません。生きていくためには必要なことだと思っています。

『今だからわかること 84歳になって』(著:末盛千枝子/KADOKAWA)

『あさ One morning』(絵・井沢洋二 文・舟越カンナ 1985 ジー・シー・プレス)(写真提供:『今だからわかること 84歳になって』/KADOKAWA)
『あさ One morning』
嬉しい知らせが届きました。私が一番最初に手がけた絵本、『あさ One morning』の絵の作者である井沢洋二さんの作品を、フランスの出版社がシリーズで出版したいと言ってよこしたというのです。貴重で、残すべき本だと。
40年も昔の本ですが、考えてみれば、今という時代に再び息づく作品なのかもしれません。
この絵本は、私がジー・シー・プレスという会社で、新たにできた絵本部門を任されて、初めて作った絵本です。
通常の絵本より小さなサイズの判型で、絵はステーショナリー部門の仕事をしていたデザイナーの井沢さん、文章は20歳年下の妹の舟越カンナが担当し、都会に生きる青年と猫の生活を、夜が明けていく情景とともに美しく描いています。
その時、カンナが考えてくれたキャッチコピーが、「まだ、絵本は子どもだけのものとお思いですか?」。
わが意を得たり、でした。
同じ思いで、翌年出版したのが、ゴフスタインの『作家』(谷川俊太郎・訳)です。初めてこの本を見た時に、私が作りたかったものは、まさにこれだ!と思いました。
ストーリーの単純さ、絵の雰囲気、文字の選び方や配置など、すべてが「本は美しいもの」だと、真っ直ぐ感じさせてくれた作品だったのです。
「作家は ソファに座って考えをあたためている」から始まり、「やがて 紙に 言葉をおき、」と続いて、最後は「自分の本が いつか 人々の心に種子となって 蒔かれることを願っている。」で終わります。
大阪の朝日新聞社の編集局長だった男性が気に入って、自分の部下が転勤する時に、プレゼントしていたそうです。成人の日の社説で、絵本について書いてくださったこともありました。
絵本に、大人と子どもを隔てる垣根はありません。
※本稿は、『今だからわかること 84歳になって』(末盛千枝子:著/KADOKAWA)の一部を再編集したものです。
