「教科書を一度読むだけで暗記」 片山さつき財務大臣の「異次元の天才エピソード」 同窓生は「有名進学塾トップで、鳴り物入りで中学に」
【全2回(前編/後編)の前編】
憲政史上初となる女性首相誕生の一方で、片山さつき氏(66)も女性初の財務大臣に就任した。これから新年度予算案が審議入りし、政府の目指す「強い経済」実現のけん引役として、挙動にはいやが上にも注目が集まる。そんな“宰相の右腕”の素顔に、あらためて迫る。
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【写真を見る】「まるでアイドル!」 東大時代の片山さつき大臣 当時は読者モデルも務めていた
片山財務相は1959年5月9日に数学者・朝長(ともなが)康郎氏の一人娘として埼玉県浦和市(現在のさいたま市)で生まれた。5月生まれだから、さつき――分かりやすいが、その伝説的な秀才ぶりは理解不能なほどのすさまじさだ。

同市の高砂小学校で1学年下だった教育ジャーナリストの小林哲夫氏が言う。
「当時は接点がなかったのですが、うわさは聞いていました。1学年上に天才少女がいる、と。兄や姉がいる友だちからも“さつきちゃんという天才がいるよ”と。のちに対談で本人から『一度教科書を読んだら全部覚えてしまうの』と聞きました。それを正確に再現できる上に勉強熱心だったから、ダントツだったわけです」
「異次元の天才」
片山大臣、いわゆる「お勉強ができる」というレベルではなかったようだ。
「一言で言えば、異次元の天才」
そう話すのは小学校の同級生で、地元でスペイン料理店を営む小野保重氏である。
「僕、さつきの通信簿を見たことがあるの。成績はほぼオール5。担任も5が上限だから5にしただけで10くらいつけたかったんじゃないかな。国語や算数はもちろん、音楽と美術の才能もすごかった。合唱コンクールでは必ずピアノ伴奏をしていたし、絵を描かせたら“お前はプロか”という出来だった」
地元には男子校の浦和高校、女子は浦和第一女子高校という名門公立高があるが、
「浦高や一女に行く連中なんか目じゃないってくらい図抜けていた。でもね、体育だけは3。本当は2のはずなんだけど、担任がひいきして3にしてあげたみたいな感じ」(同)
「鳴り物入りで中学に入ってきた」
絵に描いたような神童だったわけで、難なく東京教育大附属中学(現・筑波大附属中学)に合格する。
同校で高校まで同学年だった人物が言う。
「超有名進学塾でもトップだったといううわさで、鳴り物入りで中学に入ってきた印象があります。とにかく、できる子でした。毎年、東大合格者を大勢出す学校でしたが、その中でも筆頭格で、東大に行ったのも、まあ、そうだろうな、と」
軟式テニス部で6年間一緒だった女性も「切れ者だった」と話す。
「成績はずっとトップでした。高校の3年間、一度もその座を譲らなかったはずです。負けず嫌いで、勉強も部活も一生懸命にしていた。ただ、個性の強い生徒が多かったので、彼女が特に浮いて見えることはなかった。テニスの方は……まあまあだったかな」
駿台予備校や代々木ゼミナールの模試でも他を寄せつけなかった彼女は、当たり前のようにわが国の文系最高峰とされる東京大学文科一類に合格する。
しかし彼女はいわゆる「がり勉」タイプではなかったようだ。東大入学後、サッカー部のマネージャーになった彼女は、その傍ら、女性誌に読者モデルとして登場するのである。
一体どんな東大生だったのか。
学業にマネージャー業に読者モデル……
法学部の同期で、卒業後は法曹界に進んだ女性によれば、意外にも「飾らない女性」だったそうである。
「一度、終電を逃した彼女を泊めてあげたことがあるんです。狭くて何もない部屋だったのに気にせずに泊まってくれました。着道楽というか、すごくおしゃれで、その晩もイエローのワンピースを着ていたことを覚えています。知らないブランドでしたが、ずいぶんいい服だったみたいです」
さらに、こう続ける。
「とにかくおしゃれで目立つ存在だったから、中には冷たいと感じる人もいたと思います。でも、そんなことは全然なかった。明るい性格で男子学生からも人気がありましたよ」
学業にマネージャー業、おしゃれ番長、読者モデル……いくつものテーマを抱えた忙しい東大女子だったようだが、在学中に、司法試験よりも難関とされた外交官試験に合格したというのだから驚く。
規格外の才女であり、努力の人でもあり、比較対象がなかなか見つからないが、頭脳の明晰さという点では、ハーバード大→東大法学部→外務省と、これまた王道を歩まれた雅子皇后と双璧かもしれない。
秀才の誉れをほしいままに赤門を後にした若き片山氏は、国家公務員上級試験を突破し、「官庁の中の官庁」と言われた大蔵省(現・財務省)に入る。
「女の子女の子しているタイプではなかった」
「大蔵官僚の初任給は10万円でした」
そう回想するのは1982年入省の同期、田中修・拓殖大学大学院客員教授である。
「お金がないから、役所に近い虎ノ門の『天狗』とかで安酒を飲むわけです。その頃は赤字国債大量発行時代でしてね。赤字国債自体が法律違反だから、毎年、特別法を作って発行するのです。『赤字国債0』を目指すのに必死の時代で、『これからどうやっていこうか』なんて話をけっこう熱くしていました」
片山大臣は、当時から野心に満ち溢れていたのか。
「それはまったく感じませんでした。いまの財務官僚採用者は3分の1くらいが女性ですが、あの頃は何年かに1人、女性が入ってくるような時代だったから、それが逆にプレッシャーだったと思う。偉くなりたいというのはみんなあったけれど、彼女は『女性官僚としてのパイオニアになる』『先例を作る』ということを真剣に考えていた気がします」(同)
大臣の「女性」の部分について「天狗」の飲み仲間たちはどう感じていたのだろうか。
「片山さんは、女の子女の子しているタイプではなかったし、愛嬌(あいきょう)を振りまくタイプでもなかった。見た目が華やかで目立ってはいましたが、『天狗』でも用語や知見の出し方など、言葉の端々に優秀さがにじみ出ていた。できる人だな、と強く感じました」(別の同期)
一方、その並外れた優秀さからくるのか、彼女に対しては「怖い」というイメージもついてまわるようだ。財務省には旧大蔵省時代から続く「恐竜番付」というものがある。早い話、いまでいうパワハラ上司のランキングだが、何事もトップできた片山大臣はここでも上位に位置していたという。
後編では、パワハラ上司としても知られた大蔵省時代のエピソードなどについて詳しく報じる。
「週刊新潮」2026年1月15日号 掲載
