“赤いチャーシュー・チャーハン”のロマンに誘われて──映画研究者・三浦哲哉さんの【あの人のチャーハン】

写真拡大 (全10枚)

風味を重視するユニークな自炊入門書『自炊者になるための26週』が広く読まれています。著者で映画研究者・三浦哲哉さん (49)の「心に残るチャーハン」は「赤いチャーシュー・チャーハン」。チャーシューを巡るロマンと思い出を伺いました。加えて、ファミレスやコンビニでおいしいものが簡単に食べられる時代に自炊を提案する理由や、おいしさの「2つ感覚」、決め手になる「匂い」の科学など知られざる最前線についても伺いました。

NHK出版公式note「本がひらく」連載「あの人のチャーハン」よりご紹介。(※本記事用に一部を編集しています)

紅麹を使う本式チャーシュー

紅麹を使い本式のチャーシューを作る /撮影・編集部(以下同)

──今日は家チャーハンを作っていただけるということで楽しみに伺いました。

普通のチャーハンなんですけれど、インタビューのお題「心に残るチャーハン」とからめて「赤いチャーシュー」のチャーハンを作ろうかなと。

──赤いチャーシューって、懐かしい感じがしますね。

ふちのところだけ赤いヴィジュアルを見ると、昭和の中華料理店の名残という感じもしますよね。この赤は、「紅麹(べにこうじ)」という中国の麹を使うことで出ます。紅麹は福建省の特産で、米に菌をつけて発酵させたものです。

──チャーシューの赤は、着色しているのかと思っていました。

食紅で代用している場合もあるそうですが、紅麹を使うのが本式なのだそうです。
小泉武夫さんの『中国快食紀行』によると紅麹菌は日本では培養が難しいらしくて、かつては中華街まで輸入品を買いに行かなければならなかったみたいです。今はネットで買えますけれど。

この匂いを嗅いでみてください。

紅麹は中国福建省の特産

──うわっ。台湾に一気にワープしたみたいな。中華圏のディープな香りがします。

でしょう? 台湾は、近接する福建省と食文化圏がつながっているので、台湾旅行に行くと確実にこの匂いをどこかで刷り込まれるはずです。
自分が好きなチャーハンを振り返った時に、普通さの中に異国の香りがちょっと忍ばされているようなチャーハンに感動を覚えるなと。

大学院生の頃、甲府に住んでいたことがあるのですが、よく通った「三久」という中華料理屋さんのチャーハンがまさにそうでした。「赤いチャーシュー」が入っていて。

──チャーシューが中国の本式の作り方だった?

そうだったんだと思います。ふわっと、独特のいい匂いがしたんですよね。店主は日本人でしたが、鍋さばきがいかにも見事な人で、お店の貼り紙には「要望があれば中国料理の技術を使ってなんでも作る用意があります」と書かれていました。
「この人は達人に違いない」と思い足しげく通っていました。

──何か特別な注文はしたんですか?

いえ、経済的なゆとりがまったくなくて、結局、店主が思い切り腕をふるえるような料理を注文することはできませんでした。常連たちが頼むのも、ラーメンやチャーハンばかり。餃子が売りの、おいしい店だったんですよ。でも貼り紙がちょっと不憫で(笑)。

店主はもうお亡くなりになられたようですが、おかみさんがまだ続けていらっしゃるようです。

ご主人はせっせと町中華の定番料理ばかりを作り続けておられましたが、あの「赤いチャーシュー」にも、本場「中国料理の技術」をマスターした矜持が込められていたのではないかと僕は勝手に想像していて。今日はその遺志を継いだチャーハンを作ろうと。

──店主へのオマージュですね。

「赤いチャーシュー」がつなぐロマン

「赤いチャーシュー」にはロマンがある、と三浦哲哉さん

「赤いチャーシュー」の作り方をネットで調べると、ロマンを感じている人が結構いるようなんですよ。

これは甲府ではなくて松本なんですが、最近、行く機会があって、「おいしいですよ」と紹介された中華料理店に行ったらその店のチャーシューが赤くて。チャーハンもおいしかった。

米粒大くらいに刻まれたチャーシューの歯ごたえと、米のパラパラ感のハーモニーが絶妙で。もちろん「究極」というような大げさな感じではないんですが、普通の中にキラリと光る技を感じました。そして独特の匂いがふわっと立ち上ります。

驪山のチャーハン/画像・三浦哲哉さん提供

──松本の何ていう店ですか?

「驪山(れいざん)」です。
調べてみると、松本の名店「竹乃家」の系譜だということがわかりました。作家・池波正太郎が愛したことで知られる店で、「竹乃家」のチャーシューも赤かったようです。

池波正太郎が「食」の思い出を綴った『むかしの味』/撮影・石田かおる

──池波正太郎は「竹乃家」について『むかしの味』にこう書いていますね。

上高地の帰りには松本へ出て、近くの浅間温泉へ泊る。
そんなときに、斎藤さんが、
「とても旨いから、寄ってごらんなさい」
と、教えてくれた[竹乃家]の中華料理を、はじめて口にしたのだった。
そのとき、印象に残っていたのは、自家の竈(かまど)で焼いた叉焼(チヤシユウ)だった。

中国、あるいは台湾から伝来してきた紅麹の風味を用いたチャーシュー作りが継承されていって、その匂いに惹かれて店に通う人たちがいる。池波正太郎もそのひとりだったわけですが。

「匂い」が人の心を動かし、連綿と続くそのつながりに「赤いチャーシュー」を巡るロマンを感じるんですよね。

「匂い」を食べている

三浦家の人なつっこい愛犬 /撮影・編集部

──「匂い」について、『自炊者になるための26週』では科学的な知見も紹介しながら「おいしさ」に占めるその比重の大きさを伝えています。私たちは「匂い」を食べていることに衝撃を受けました。

人はものを食べる時、鼻先でクンクン嗅ぐ「匂い」と、口に含んだ時に舌で感じる「味」がありますが、それだけではないんです。
食べものをかみ砕いた後、喉の奥を逆流して鼻に抜ける「匂い」もある。その「匂い」が「味」と一体になって「おいしさ」を感じるのです。

匂いと混じり合った味を英語で「Flavor(フレイバー)」といいますが、日本語では「風味」と訳された。「風の味」って、実に本質を射抜いたいい訳語だなと感心します。「風味」の大半は匂いでできていて、それは鼻腔で感じているものなんですよ。

──人がその「匂い」を感知する能力が犬並みというのも驚きました。

近年の科学研究で明らかになったことですが、口中から鼻腔に逆流してくる「匂い」が「味」と一体になった「風味」、その違いを判別する人間の能力は非常に優れていて、犬並みであると。

舌が感じるのは「甘味」「塩味」「酸味」「苦味」「うま味」の5つの味だけですが、匂いについては5千種とも1万種ともいわれています。研究者によってはその何桁も上と主張しています。

風味に導かれた自炊を提案する入門書/撮影・石田かおる

──風邪をひいて鼻が詰まっている時に味がしなくなる、というのはこの原理によるものなんですね。

オレンジジュースとグレープフルーツジュースを鼻をつまんで目隠しして飲むと、ほとんどの人が違いがわからないという有名な実験があります。

かき氷のシロップも味の成分は全部一緒で、香料を変えているだけなんですよ。香料によってレモン味とかメロン味とかの違いを出している。

──私たちは「おいしい」という言葉を日常的に使っていますが、「C感覚」と「F感覚」の2つに大別されると書かれていますね。それがごっちゃ混ぜにされているとも。

アメリカには「Comfort food(コンフォート・フード)」という言葉があります。甘みやうまみが強く満腹感をもたらす、ほっとする味の食べものです。
ファストフードやファミレス、コンビニの惣菜などがこれに当たります。規格品の「同じ味」が安定的に提供されるのが特徴で、僕はこれを「C感覚」と呼んでいます。

その対義語に当たるのが、風味を重視する「F感覚」です。英語の「Flavor」の「F」で、こちらは鼻で感じる「嗅覚」よりの感覚です。「違い」を楽しみ、「違い」によって感動する、というベクトルですね。季節や土地柄によって絶えずゆらぎ、変化する「風味」を楽しむという場合は「F感覚」です。

「風味」に導かれて自炊する

「青菜のおひたしは海のさざなみのよう」と三浦さんは書く。ひとつひとつが違い、ゆらぎ、きらめいている /撮影・石田かおる(以下同)

──家庭では「C感覚」の料理への依存度が高まっています。
ファミレスやコンビニの惣菜などでおいしいものが簡単に食べられるのに「なぜわざわざ自炊するのか」が時代的なテーマになっています。


おっしゃるように、世の中には「C感覚」の料理が溢れています。現代の既製品は高度な技術を駆使しリーズナブルな価格で提供される、それらをけっして否定しません。リスペクトさえしています。

僕自身、サイゼリヤやセブンイレブンをよく使っています。ただ食事の全てを「C感覚」のものにするのでなく、風味を重視した「F感覚」の自炊もしましょうというのが僕の提案です。
理由はシンプルで、ファミレスやコンビニなどでは食べられない「おいしさ」があるからです。

──素材の持ち味を生かした料理ですか。

その通りです。季節の素材の「風味」に導かれて作る料理です。「レシピや献立ありき」ではなくて。
おすすめめしたいのは信頼できる「魚屋」「八百屋」を見つけ、その時々で一番おいしい食材と食べ方を教えてもらうことです。そうすれば献立の悩みや買物の迷いはなくなります。なによりもおいしさへの近道です。

──三浦さんは、新鮮な魚を扱う魚屋を求めて海辺の町に引っ越したんですものね。

「一期一会」を味わう醍醐味

季節の移ろいを食べて楽しむ

──一方、ファミレスやコンビニの惣菜の味で育ってきた人たちの中にはそれと同じ料理が作れた時に「うまくできた」と思い、そうでないと「失敗した」と感じたりしないでしょうか。

そういう傾向があるように思います。気になるのは、そういう人ほど「違い」をおもしろがることが苦手のようであることです。安定した同じ味が好きだから、少しでも違うと、減点法で評価してしまう人がいますよね。レビューサイトで見かけます。それはそれで自由ですけれど、自炊を減点法でやってしまうと単純に辛くなります。

それに、ファミレスと同じタイプの料理を目指すなら、食べに行った方がいいですよね。その方が確実においしいですし。

風味を重視するF感覚の料理は規格品の「画一性」の対極にあります。季節の移ろいや土地柄を映し、味は常にゆらいでいる。今日のトマトと1カ月前のトマトでは味は当然違う。その「一期一会」を味わうことにこそ醍醐味があり、そこにささやかな感動が生まれるのです。

────異質なものとの出合いを「違うもの」として閉じてしまうのか、自分を開いてむしろ「違い」を楽しむかですね。「食の楽しみ」は多様なのに、「安心できる味」の中だけに閉じてしまうのはもったいないですよね。

風味に導かれる自炊は、キッチンの「窓」を通して季節の風に吹かれたり、まだ見ぬ異国の香りにさらされたり、世界の豊かな表情を堪能することだと思うんですよ。

──赤いチャーシューの「紅麹」の風味ひとつとっても、さまざまな物語がありましたものね。
次回はいよいよその作り方を教えてください。


※10月公開予定の後編に続きます。

機能的な台所に置かれていた、レトロなフォルムのコーヒーミル。喫茶店でも使われる高精度なロングセラー /撮影・編集部

プロフィール

映画研究者 三浦哲哉
青山学院大学文学部比較芸術学科教授。専門は映画批評・研究、表象文化論。1976年、福島県郡山市生まれ。東京大学大学院総合文化研究科超域文化科学専攻博士課程修了。著書に『自炊者になるための26週』(朝日出版社)『LAフード・ダイアリー』(講談社)、『食べたくなる本』(みすず書房)、『『ハッピーアワー』論』(羽鳥書店)、『映画とは何か──フランス映画思想史』(筑摩選書)、『サスペンス映画史』(みすず書房)など。

取材・文

石田かおる
記者。2022年3月、週刊誌AERAを卒業しフリー。2018年、「きょうの料理」60年間のチャーハンの作り方の変遷を分析した記事執筆をきっかけに、チャーハンの摩訶不思議な世界にとらわれ、現在、チャーハンの歴史をリサーチ中。

題字・イラスト:植田まほ子