5月19日に上岡龍太郎さんが亡くなられ1ヶ月。6月22日放送の『つボイノリオの聞けば聞くほど』では上岡さんとゆかりが深く、講談師として活躍する水谷ミミさんがスタジオで上岡さんの思い出を楽しく語りました。上岡さんの奥様と親しかった水谷さん、意外な上岡さんの姿を知ることになりました。つボイノリオと小高直子アナウンサーが貴重な話にミミを傾けます。

もう会えないのか…

上岡さんが亡くなったことが発表された後、マスコミがたくさん大阪の家に押し寄せることが予想されました。
そこで上岡さんの妻は、死去発表直後の4日間、名古屋のホテルで水谷ミミさんと過ごしたそうです。

その4日間、映画を観たりしながらふたりで過ごしたそうです。

かつては、奥様がミミさんを見つけると、横で上岡さんが手を振って後からついてくるのが常でした。
今回は奥様がひとりきり。

「あ、ひとりなんだ、もう会えないのか」と、寂しさを実感したと言うミミさん。

「講談やれ」

ミミさんが講談師となった動機は、実は上岡さんのひと言がきっかけでした。

老後の話になった時、ふと上岡さんがミミさんの顔を見てこう言ったそうです。

「お前の老後どうするんだ?ひとりだぞ。こどももおらん、孫もできん、旦那もおらん。淋しい老後が待っとるぞ」

上岡さんから言われたことをそのまま受け止めたミミさん、自身で「淋しいな、老後は」と思ったそうです。

そこで上岡さんが「講談やれ」と提案。
最初は「できるかな?」と戸惑ったそうですが、そのひと言が講談師へのきっかけとなったそうです。

講談を聞いてもらって

自分で講談を作ったり、新しい作品を覚えたミミさんは、決まって上岡さんの家で3日ほど泊まり込み、上岡夫婦に聞いてもらっていたそうです

ミミ「私は食卓の腰掛けに正座をして、上岡さんは目の前で、奥さんは台所を掃除しながら」

上岡さんにとっては初めて聞く話です。

ミミ「びっくりしたのは『あの、はじめのくだりの、ここのところのこれは、こんな風にしたらどうや?』と、1回聞いただけで全部言うんです。メモもなく、腕組んで聞くだけで。『はい、はい』と私が聞く。

すると横で奥さんがテーブルを拭きながら『ミミちゃん、そのままでいいよ』と」

つボイ「2人で言うことが違う(笑)。その時はどっちの言うことを聞くんですか」

ミミ「奥さんに決まってますよ(笑)」

上岡さんの妻はこう言っていたそうです。

「そのままでいいよ、ミミちゃんの講談好き。なんでか言うたら、短いし、中身がわかりやすい。ミミちゃんがレベルが低いから(笑)それでいい」

翌日もアドバイスを

ミミさんが一番嬉しかったのは、次の日に上岡さんにお礼をした時のこと。
上岡さんが玄関で靴を履きながら「あのなー、考えたんやけど、あそこのとこな、こんなんでやった方がええわ」と。

ミミ「寝ている時に考えてくださったということが、本当にありがたい。うれしかったです」

つボイ「関西でそんな付き合いしている芸人さんっておらんのとちがう?」

ミミ「週刊誌に『いっぱい後輩の面倒を見ていた』という話が出ていましたけど、奥さんがすごい優しいですから」

ご夫婦とも人望が厚かったことがよくわかるエピソードです。

スタイリストも

つボイ「上岡さんは関西でトップの人やと思ってたら、その上に奥さんがいた」

ミミ「東京で『上岡さんのスタイリストは誰?』と人気になった。それは全部奥さんがやっていました。
服が大好き。上から下まで、次の日に着ていく格好を、ちゃんと順番にベッドの横に置いておくわけ。お父さん(上岡さん)は靴履いて出ていくだけ」

小高「結構好みとか厳しそうやけど」

ミミ「そんなん抵抗したらどうなっているか」

上岡さんは奥様には敵わなかったようです。

上岡龍太郎を凌駕する人?

ミミ「芸も奥さんに磨かれましたよ。3歳から日舞をやっていて、芸事はすごく厳しい人だった。
その代わり、食事は必ず11品目入っていた。料亭の娘さんだから。本当にすごい」

小高「お互い大好きなんだね」

ミミ「今は奥さんは『新しく生き直そうね、しょっちゅう行き来しようね』と言っています。女の人はすごいね。私は上岡龍太郎を世に出したのは奥さんだと思っています」

つボイ「それ講談にしたらいいね、『関西の芸能界に君臨する上岡龍太郎だが、その上岡龍太郎を凌駕する人物、それは果たして誰であろう!』」

上岡さんの奥さんへの愛情の深さという意外な一面が見えました。
(みず)
 

つボイノリオの聞けば聞くほど
2023年06月22日11時09分〜抜粋(Radikoタイムフリー)