電撃ネットワークのリーダー・南部虎弾(71)撮影/山田智絵

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「(パフォーマンスは)いつもの通り、進めていたんですけどねえ。途中から会場の責任者さんの顔色が変わり始めて、『止めてください! 止めてください!』となって……。叱られちゃいました。で、“出禁”となりました」

【写真】18歳年下の妻・由紀さんとのツーショット、俳優の頃の南部がイケメンすぎる!

 こう話すのは、世界に名だたる過激パフォーマンス集団「電撃ネットワーク」のリーダー・南部虎弾(なんぶ とらた 71)。内容はまさに過激なのだが、その語り口はいたって穏やかだ。

電撃ネットワークにとっては通常のパフォーマンス

 騒動は、新年に都内の某会場で行われたイベントで起こった。ドライアイスを口に含む、正露丸を一気飲みする、煮溶かしたロウに顔を突っ込む、尻に挟んだ蛍光灯を割る……といった、電撃ネットワークにとっては通常(?)のパフォーマンスが続いていた。

 終盤になり、「なんでも木槌で叩き潰す」というパフォーマンスが始まった。りんご、玉ねぎにボトルの中の漂白剤が、周囲に思いっきり飛び散ったのだ。会場内の盛り上がりは最高潮だったもののーー。

「実は、“出禁”て、初めてなんですよ。自分たちのパフォーマンスって、もともとこういうものですからね。お客さんはもちろん、会場側も分かっているものだと思っていたんですけど。でも、はっきり“出禁”といわれると、気持ちいいものですね。俺たちのやってきたことって、普通の場所にしてみたらそういうことなんだ、って証明ですから」

 普通の場所の一つであるテレビには、現在、電撃ネットワークはなかなか登場することができない。結成して今年で33年。南部の芸能生活は40年以上になる。古希をゆうに越え、今年は72歳を迎える。

 電撃ネットワークでは最年長でリーダーではあるものの、額に缶ビールをはりつけコップに注ぐというおなじみのものから、耳たぶにホチキスで紙幣を留める、睾丸に物を括り付けて持ち上げるといったものまで、現在でも率先して肉体を酷使し続けている。

「地上波のテレビからは、最近は特にお声がかからないんです。でももともと、自分たちはライブが中心だったから、テレビに出ないと売れていない、という認識とは別の次元でやってきましたからね。

 30年経って、やっと自分たちみたいな存在が当たり前の時代がやってきた、というか。今はインターネットの時代になって、You Tubeなんかがあるでしょう。世界中に発信できるし、実際テレビに出ていないけど有名人だという人が現れましたよね。江頭(2:50)さんなんか、今はほとんどテレビに出ていないけどYouTuberとしてすごい人気でしょう。

 自分たちもYou Tubeをやっていますけれども、やっていることは昔から全然変わらないんですよね。でもずっと自分たちを知っている人はもちろんだし、若い人や、世界中の人が喜んで見てくれていますからね」

昔からのパフォーマンスで同年代に勇気を

 ただ、初期の電撃ネットワークを知っている層は、彼らの芸をまた違った意味で楽しんでいる、とも。

「自分と同じくらいの年齢の人たちが、喜んでくれるんですよね。パフォーマンスに対してというよりも『まだ、やってる!』って。で、勇気をもらえたとかなんとかいうんです。なんか俺と同じくらいの男の人たちって元気がないんですよ。好きなこと、やりたいことをやればいいのに、と思います。

 いい学校に入って、いい会社に入った人って、いい病院で死ぬことが幸せだとされていますよね。それって、自分の好きな場所だったのかというと、どうなのかな、と思います。そもそも、幸せの感じ方なんて人それぞれのはず。
他人の幸せが自分の幸せとは限りませんよ」

 若い頃から周りに合わせることができなかった。

 おそらく南部は、早い段階から自分なりの幸せを探していたのだろう。20代前半でサラリーマンを辞め、つてもないまま渡仏。偶然現地のボランティア団体と知りあい、衣食住の面倒を見てもらうことができた。永住したかったものの、職業がないため半年後に帰国。

 演劇に興味があったので、当時無料で入ることができたロシア音楽舞踊団に所属する。だが、「2年くらいいたのですが、何人かの女優さんと付き合ったことがバレて、クビになってしまいました。でも、劇団員みんなで寝泊まりしているんだし、他に出会いもないわけですからねえ。仕方ないですよねえ」

 その後、黒澤明監督の映画「影武者」(1980年)に出演するなど俳優としてのキャリアも重ねた後、本格的に芸人の道を歩み始めた。また、南部といえば、デビュー当時のダチョウ倶楽部のリーダーだったことでも知られている。

「自分はやりたいことしかやってこなかったし、それで辛い思いをしてきたこともあるけれど、この歳まで生きてこられたわけですからね。いろんな体験をしましたし、いろんな人の人生も見てきましたからね。そのおかげで、どんなことが起きてもそれほど動じない、という免疫力はついたと思います。

 世の中にはいろんな人がいて、いろんな考え方がある。だから、こっちが正しいとか正しくないとか、これが幸せだとか幸せじゃないとか、決められないですからね。確かに、人を騙そうとする小ずるい人はいるんですけど(笑)。それも、免疫力や自分なりの価値観を持てば、最終的にはなんとかなるでしょうね。他人の価値観に振り回されるのは損です。

 免疫力がないと、100万円くらいの借金で首を吊ってしまう人がいる。でも、何億円もの借金を抱えても死なない人もいる。そういうことだと思います」

リーダー南部虎弾の幸せ

 自分なりの幸せを探し続けてきた南部の幸せ。そのひとつは、紛れもなく30年以上連れ添う18歳年下の妻・由紀さん(53)の存在だろう。二人が知り合ったのは、南部がダチョウ倶楽部時代、妻がライブを観に来たのがきっかけだった。

 電撃ネットワークの結成とほぼ同時期に結婚。当時南部は37歳、由紀さんは19歳。電撃ネットワークの歩みは、南部夫妻の歴史とそのまま重なる。

 額に缶ビールをつけるという、南部の代表芸も、実は由紀さんが先に“成功”したのだとか。

「電撃を始めたころにある集まりに妻と行ったんですが、そのときそこにいた外人さんが、おでこに缶ビールをはりつけてみせたんですね。すごいねー、なんて妻と二人で感動して。そこで家に帰って、そのまま注げるかというので風呂場で二人で実験したんです。そうしたら奥さんのほうが上手で、俺はなかなかできなかったんですよ。

 でもがんばってやっとできるようになりましてね。持ちネタにしてからは、醤油やワインの瓶、一升瓶までできるようになりました。結婚式で披露すると“くっつく”ということでとても喜ばれるんですよ」

 しかし、長年の過激な肉体芸と不摂生は、南部の身体にやはり負担ではあったようだ。2011年に2型糖尿病を発症。症状の悪化による腎機能低下により、医師から再三人工透析を勧められるようになる。

「でも透析を選択したら、週3回は受けなくてはならない。地方営業や海外ツアーができなくなるわけです。投薬でなんとかならないかと、逃げていました」

 だましだましで過ごしていたら、身体がついに悲鳴を上げた。糖尿病の悪化により自宅で倒れ、一時期は心不全の状態に。そのため心臓バイパス手術を受けた。なんとかこの世に留まることはできたものの、腎機能は低下の一途だった。

「医師に『生体腎移植がある』といわれたのですが、自分は血液型がRHマイナスで、同じ血液型でかつ適合しそうなのは弟くらいしかいませんでした。でも弟とは離れて暮らしているし生活もあるので、頼みにくい。どうしようかと思っていたところ、妻が『私のをあげる』って。

 妻とは血液型が違ったんですが、検査結果で適合したため移植が可能でした。
それ自体が奇跡なのですが、長年連れ添った夫婦の場合、奥さんが旦那さんに腎臓を提供するのって、かなり珍しいらしいんです。旦那さんが奥さんに、というケースならまだあるらしいんですけど」

妻から「腎臓返してよ!」

 由紀さんの腎臓のおかげで、現在はかなり体調が安定しているという。

「普段から身体を温めるようにするのと、水を2リットルくらい、たくさん飲むようにしています。本当はお酒をやめるのが一番いいんですけどね。

 妻は俺に腎臓を提供する際、タバコをすっぱりやめたんです。で、『あなたもお酒をやめなさい』といわれているんですけど、どうしてもやめられないんですよね。だから最近は『腎臓返してよ!』なんて言われてます(笑)。

 年齢が離れているからなのか、お互いに理想を押し付けないのか、これまでいさかいは数えるほどしかなかったですね。病気もあるから、あと10年一緒にいられたらいいですけどね。でも、人にも人生にも、あんまり期待はしないほうがいいです。何か起きたら考えればいい」

 電撃ネットワークも、その精神でここまで続けてきた。

「うちは、“リハーサルをしない”“反省会をしない”“何事も30%でいい”っていうのをモットーにやってきたんですね。うちの芸はリハーサルしたらおもしろくないし、各自でネタは考えてきてはいるんですけど、いつもぶっつけ本番。

 この前も“毒のある生きたサソリを食べる”という芸のために持ってきたサソリが死んじゃっていて、急遽スコーピオンソース(最高級に辛いタバスコソース)を飲むことにしました。そんな自分たちが反省会なんてする意味ないですからね。

 あと、何事も完璧なんて目指す必要はなくて、半分どころか30%できたら上出来だって考えるようにしています。

 人間関係もそうですよ。ちょっと触れ合う程度だから30%くらいの関係性でいいし、相手のことを知るのも30%くらいでいいんです。世の中や人に、自分を完全に合わせようとしないことが大切なんじゃないかと思いますね」

 東京・渋谷センター街の人混みにいても違和感のない見た目。それでありながら、決して埋もれることのない南部の風格の重みに、「ラスボス」や「主(ぬし)」という言葉が口をついた。

「ラスボス? いいえいいえ、中間管理職くらいですよ。中間管理職くらいでい続けたいです。そのくらいのほうが、自分が好きなものが好きでいられるんですよ」

【プロフィール】
南部虎弾(なんぶ・とらた)
1951年、山形県鶴岡市生まれ。保険会社営業を経て渡仏。帰国後ロシア音楽舞踊団、劇団事務所を経てお笑いの道へ。ダチョウ倶楽部の初代リーダー。1990年に電撃ネットワークを結成。1992年には「TOKYO SHOCK BOYS」の名前で海外進出。言葉が通じなくてもわかる過激パフォーマンスで人気を博す。

<取材・文/木原みぎわ>