かつて横浜F・マリノスなどに所属した天野貴史【写真:本人提供】

写真拡大 (全2枚)

【元プロサッカー選手の転身録】天野貴史(元横浜FMほか)後編:恩師の言葉を胸に自動車業界でトップ営業担当を目指す元Jリーガー

 世界屈指の人気スポーツであるサッカーでプロまでたどり着く人間はほんのひと握り。

 その弱肉強食の世界で誰もが羨む成功を手にする者もいれば、早々とスパイクを脱ぐ者もいる。サッカーに人生をかけ、懸命に戦い続けた彼らは引退後に何を思うのか。「Football ZONE web」では元プロサッカー選手たちに焦点を当て、その第2の人生を追った。
 
 今回の「転身録」はかつて横浜F・マリノスなどに所属した天野貴史。横浜の下部組織時代は年代別代表にも選ばれ、トップチームでは中村俊輔(現・横浜FC)や松田直樹、中澤佑二ら日本代表選手たちともプレーした。その後、ジェフユナイテッド千葉、AC長野パルセイロを経て2017年のプレーを最後に引退を決意。その後はピッチから離れ、自動車業界の営業職という道を選択した。チームメートやファンから愛された、かつてのムードメーカーは今、日本一の営業担当を目指している。後編は引退後の生活をお届けする。(取材・文=藤井雅彦)

   ◇   ◇   ◇

 現役を退いた天野貴史がセカンドキャリアとして選んだ仕事は『車屋さん』だった。

 自動車販売(新車・中古車)、自動車の修理・車検、各種保険業務といった車に関するすべてを担う。正式な名称がないため職業を聞かれた時に「親しみを感じてもらえるように」という思いも込めて、そう答えているのだという。

 Jリーガーの多くは引退後もサッカー関連の仕事に就くことが多い。最もポピュラーで受け皿が広いのは指導者で、最近では活躍の場をグラウンド以外にも広げて強化部や広報としてクラブスタッフになることも珍しくない。タレント活動や解説者になれるのは輝かしい実績を残したほんのひと握りの選手だ。

 天野にアカデミーやスクールといった部門の指導者として声がかからなかったわけではない。その道を選ばなかったことには彼なりの考えがあった。

「指導者になることをまったく考えていなかったわけではないですし、ありがたいことにそういったお誘いもいただきました。僕自身、2015年に指導者ライセンスのC級を取得して、漠然と『いつか自分も指導者になるのかな』と想像した時期もありました。でも引退した瞬間、新たな世界に足を踏み入れてみたいという気持ちの自分がいました。サッカー以外の仕事でもサッカーのおかげで学べたこと、築けた人脈を生かせると思ったんです」

 引退を決断する以前から、現在勤めている株式会社INTEREST(インテレスト)の社長である堀田洋治さんから連絡をもらっていた。堀田さんは天野がプロ1年目の19歳の時に初めて自動車を購入した際の担当者で、以降も定期的に連絡を取り合う関係になっていた。

 そして2017年シーズンを最後にAC長野パルセイロを契約満了となり、年を越して1月に入った頃にセカンドキャリアの一つとして会社への誘いを受けた。

順調に伸ばす販売台数「元Jリーガーという肩書きだけではダメなんです」

「選択肢の一つとして声をかけてくれたんです。『サッカーを続けられるなら続けてほしいですけど、頭の片隅に置いてください。私は待っているので、いつでも連絡ください』と言ってもらえて、素直に嬉しかった。もしプロサッカー選手を続けられなかった時は、そういう道もあると教えてくれました」

 プロサッカー選手を引退する。それは天野が車屋さんとして新たな人生をスタートさせるホイッスルとなった。

「自分は人と関わるのが好きで、人と話すことが好きで、そもそも人が好き(笑)。それは自分の良さでもあると思うので、何か自分の特徴を生かせる仕事はないかなと考えていました。社長は“つながり”を大切する方で、その考えにすごく共感したんです。自動車を通じて、人とつながりたい。保険や車検、買い替えといった場面で携われることがモチベーションですし、自分の良さを生かせると思いました。仕事を通じて人とつながっていられることが僕の幸せです」

 まったく違う世界へのチャレンジに不安がなかったといえば嘘になるが、与えられた課題に全力で取り組むことは得意だった。たとえチームの列の最後方だとしても、ガムシャラな姿勢で先輩の背中を追いかける。ゼロからのスタートはとにかく新鮮で刺激的だったが、やはりプレッシャーもあったようだ。

「会社の役に立つにはとにかく知識が必要で、勉強することがたくさんありました。それに会社に属してお給料をいただいている以上は、会社に利益をもたらさないといけないのは当然です。ノルマなどはありませんが、人とのつながりあっての仕事だと思っています。名刺の裏に『1台からはじまる出会いを大切に』と書いてあります。それは自分自身の生き方とまったく同じ。天野貴史という人間を信頼して車を買ってもらえるようになるためには、元Jリーガーという肩書きだけではダメなんです」

 自宅から会社のある五反田まで電車に揺られて1時間弱。始業が9時30分で定時は18時30分だが、繁忙期に残業をしていると帰宅が22時を過ぎることもしばしば。休日は日曜日と祝日のみだが「お客さんに休みは関係ないので電話がかかってきます」と笑う。業務中はスーツとネクタイ、それから革靴で身を包み、主にデスクワークに励んでいる。

 引退から3年が経ち、同時に車屋さんとしてのキャリアもちょうど3年になった。その間に自動車保険の資格を取得し、自身が担当する顧客は80人を超えた。販売台数は1年目に17台、2年目が27台、そして3年目が約40台と順調な伸びを見せている。

「車を売って終わりではなく、買ってもらってからがスタートです。サッカーをやっていたおかげで知り合えた人から輪が広がっていくので、間接的にサッカーにも携わっている気分になります(笑)。自動車保険は保険会社との間に入る代理店の役割です。仮に事故が起きてしまった時、『0120〜』から始まるフリーダイヤルの番号に電話をして、たまたま電話を取ったオペレーターさんとやり取りするじゃないですか。僕の場合は、僕に直接電話してもらえればいい。顔が見えている関係性なら安心感があると思うし、いろいろなことの手配は僕に任せてもらえれば大丈夫ですから」

偉大な先輩や仲間、恩師との出会いが第2の人生の糧に…「マツさんからはハートの部分を学んだ」

 右も左も分からないところからスタートしたセカンドキャリアだったが、現在は言葉から頼もしさすら漂う。まったくの畑違いに見えなくもないが、Jリーガーとしての経験が生きたこと、生きる場面はあるのか。

 天野は間髪入れずに答えた。

「やっていることは一緒だと思います。僕はサッカー選手として試合に出られない時間が長かった。練習についていくのも必死で、毎日100%でやるのが当たり前でした。それが体に染みついています。今の仕事になってからも100%でやることに変わりはありません。車の相談をもらった時は100%のパワーで調べます。洗車するサービスもやっているので、その時は自分の車だと思って全力でピカピカにします。岡田武史監督が『勝負の神様は細部に宿る』と言っていました。だから見えないところでもキレイにしておく。お客さんが気づいた時に感動してもらえたら、僕もすごく嬉しいです」

 自動車という媒介を通して、人と触れ合う。仕事を上手に回していくためには処世術も重要だが、その点において天野の右に出る者はいない。偉大な先輩たちに可愛がられた経験がここで大きな意味を持つ。

「僕はたくさんの先輩にお世話になりました。例えば、マツさん(故・松田直樹)はサッカーが大好きで、熱い闘志やハートの部分を勉強させてもらいました。ジローさん(清水範久)には見えないところでも努力するカッコ良さを、(河合)竜二さんは男としてどう在るべきかの姿勢を教えてくれました。シュンさん(中村俊輔)からサッカーに対しての探求心を学び、(中澤)佑二さんからはストイックに頑張ることの重要性を感じました。たくさんの先輩たちを見てきたことで、いろいろな局面に立った時にいろいろな人の考え方に置き換えて物事を考えられるようになりました。先輩だけでなく同期の選手や後輩も含めて、人との出会いが自分自身の貴重な引き出しになっています」

 サッカーの世界から離れても、人と人のつながりが天野の原点にある。愛されキャラだからこそ巡り合えた現在の仕事は、セカンドキャリアで見つけた天職なのかもしれない。(文中敬称略)(藤井雅彦 / Masahiko Fujii)