中野京子「美貌のひと 歴史に名を刻んだ顔」(PHP新書)の表紙カバーは、イワン・クラムスコイ作 (Ivan Kramskoi 1837‐1887)の「忘れえぬ女」

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なぜ私たちは謎めいた女性に目を奪われてしまうのか。たとえば「北方のモナリザ」とも言われる肖像画「忘れえぬ女」。このモデルはトルストイの名著『アンナ・カレーニナ』に登場するアンナではないかという説がある。作中のアンナは悲劇的な不倫の結果、命を落とす。作家で独文学者の中野京子さんは「アンナは架空の女性だが、この2つの作品には多くの共通点がある」と論じる――。

本稿は、中野京子「美貌のひと 歴史に名を刻んだ顔」(PHP新書)の一部を再編集したものです。

■不倫、嫉妬……ドラマティックな「女性」はなぜ美しいのか

並外れた美貌の持ち主には、ドラマティックな人生がまとわりついている――そう感じている人は多いかもしれない。つまり我々の心のどこかに、美貌それ自体が驚異であるからには、人生もまたそれに釣り合う非凡さであってほしいとの、奇妙な期待がある、一方で必ずしも現実がそうとは限らない。しかし絵画においてはドラマティックな人生を歩んだ、さまざまな「美貌のひと」が描かれている。その中から、2018年秋に“来日”する美女をひとりご紹介しよう。

ペテルブルクのネフスキー通りに無蓋馬車が停まっている。背筋をすっと伸ばして座る黒ずくめの女性と目があう。その瞬間、世界に存在するのは彼女ひとりとなり、背景は朝靄の中へみるみる消えてゆくかに思う……。

■不倫の果てに駆け落ちした『アンナ・カレーニナ』のアンナ

この「忘れえぬ女」という名作に描かれている美女には、曰くがある。その内容は、冒頭の一節「幸福な家庭はみな似通っているが、不幸な家庭は不幸の相もさまざまである」(工藤精一郎訳)で知られる、文豪レフ・トルストイ(1828〜1910)の名作『アンナ・カレーニナ』と実に興味深い関連がある。

『アンナ・カレーニナ』は十九世紀後半、帝政も末期に近づいたロシアを舞台にした物語だ。凜々しい青年士官ヴロンスキーは、駅で若い貴婦人を見かける。生き生きした何かが彼女の内部からあふれだし、眼の輝きや微笑に照り返して見えた。彼女の名はアンナ。

すでに夫と子供のいる人妻だった。

ヴロンスキーとアンナは激しく惹かれ合い、やがて結ばれる。アンナは夫に別れを切り出すが、年齢的にも精神的にも干からびたような夫は政府高官という体面上、形式的に妻を演じ続けるよう命じるばかりで、離婚に応じてはくれない。ヴロンスキーは絶望してピストル自殺を図るが一命をとりとめ、ついに若いふたりは駆け落ちする。

長いヨーロッパ旅行を終えて帰国すると、ペテルブルクの社交界は罪深い彼らの前にかたく扉を閉ざしていた。やむなくヴロンスキーの領地である田舎へ引きこもったものの、子供にも会えず、不安定な立場のアンナは次第に嫉妬深くなり、ヴロンスキーを悩ませ始める。

彼の外出が増え、また周囲から「まともな縁談」を勧められているのを知ったアンナは、心理的に追いつめられ、汽車へ飛び込み、短い生涯を終える。二カ月後、ヴロンスキーは自費で義勇軍を募り、セルビアの戦地(一八七七年勃発の露土戦争)へと、半ば死を覚悟して赴くのだった……。

■「忘れえぬ女」と『アンナ・カレーニナ』の興味深い関連とは?

かのレーニンが、表紙がぼろぼろになるまで繰り返し読んだことでも知られるこの「『アンナ・カレーニナ』がこの絵と何の関係が? 実は発表時から車上の女性のモデル探しが行なわれ、多くの人が彼女こそアンナ・カレーニナと信じた。

もちろんアンナは現実の女性ではない。トルストイが頭の中で産み出したヒロインではあるが、しかしアンナ説を全くの荒唐無稽と切り捨てることもできない。なぜなら『アンナ・カレーニナ』執筆中に、トルストイは当時のロシア画壇の指導者イワン・クラムスコイに自分の肖像画をまかせていたからだ。

(当時)もうすぐ五十歳になるこのロシア文学の巨匠は長らく肖像画を拒否しており、クラムスコイから「いくら嫌がっても、あなたの死後、あなたを直接知らない画家に描かれてしまいますよ。それでよいのですか?」と詰め寄られ、ついに承知した経緯がある。

クラムスコイの画力や人間性を気に入ったことも大きかったろう。トルストイ家に滞在中、二人はよく芸術論を戦わせたという。

肖像画と小説は平行して進んだ。画家が作家を鋭い眼で観察していた時、作家もまた同じほど鋭い眼で画家を観察していた。それはすぐさま小説の中に反映され、アンナの肖像を描く画家が登場し、その姿にクラムスコイの特徴がそのままあらわれた。

またトルストイが描写するアンナは、南方の情熱的な血の混入をうかがわせる硬い黒髪で、こめかみ部分がカールしていたとある。まさにこの絵のように!

■貴婦人なのか、それとも高級娼婦なのか

北方のモナリザ本作は、『アンナ・カレーニナ』が刊行された6年後に完成した。クラムスコイはタイトルを《見知らぬ女》(неизвестнаяニェイズヴェーストナヤ=the unknown woman)と付け、それ以上のことはいっさい語っていない。

そのそっけなさゆえに、最初は高級娼婦を描いたのではないかといわれ(馬車が無蓋だから貴婦人ではないとの薄弱な理由にすぎない)、不快感を表明する評論家さえいた。

仮にもしアンナを描いたのだとしたら、間違いなくこれはヴロンスキーと出会ったばかりの明るく溌剌とした彼女ではない。恋を知り、罪を負い、心に重いものを抱えた姿だ。社交界から閉め出された頃の、あるいは子供に会わせてもらえなかった時の、恋人との関係が変質した時期の彼女に違いない。

構図はロー・アングルなので、視線はこちらを冷たく見下すかのようだ。その冷たさの感覚は、背景の屋根や軒に溶けずに残っている雪によって強調される。ただし季節は真冬ではない。ロシアの真冬を幌無しの馬車では走れない。とすると極寒でなく、人物もまた冷ややかなだけではないかもしれない。

よく見れば、鮮やかなブルーのリボンをほどこしたマフ(円筒状の毛皮の防寒具)から、手を出そうとしている。あるいは何らかの身振りの後、再びマフへ手を入れようとしている。

いずれにせよそのわずかな動きが、腕に巻いた金のブレスレットを煌めかせ、帽子に真珠のピンで差した水鳥の羽毛を繊細に揺らせている。彼女は不動の姿勢のまま、眼だけを動かしたわけではないのだ。

そう思うと、一見尊大で驕慢に感じられた両の瞳も、濃い睫毛の下で憂いと哀しみに潤んでいるように見えてくる。見つめれば見つめるほど表情は謎めいてくる。

■新タイトル「忘れえぬ女(ひと)」は日本人がつけた

いや、彼女の存在自体が謎めいてくる。美女は謎めいてこそ美女である。「北方のモナリザ」の異名には得心がゆく。

彼女を仰ぎ見、一瞬視線を交わした者は、決して今この時この瞬間を忘れないだろう。《忘れえぬ女》というタイトルは、本作が展覧会に来日した際、どうやら日本人が付けたらしい。そうとしか呼びようがなくて付けた。なぜならこの顔には東洋が感じられる。日本人にとって彼女は――モナリザと異なり――はるかに親近感を抱ける対象だ。数世紀も昔の神秘的なイタリア美女より、現代に近くアジアに近いこのロシア美女は「見知らぬ」のではなく、「忘れえぬ」存在なのだ。

クラムスコイはもしかすると最初は本当にアンナ・カレーニナを描こうとしたのかもしれない。ところが完成してみると、自分の創りだした女性をトルストイの小説という鋳型嵌め込みたくないと思うようになったのではないか。

トルストイの読者は頭の中で自由にアンナを思い描き、アンナは読者の数だけ存在している。同じようにクラムスコイも、それこそ見る者の数だけイメージが膨らむような、「永遠の女性」にしておきたくなった……そんな気がする。それこそが芸術家の夢であるから。

絵画の中の「美貌のひと」には、美を武器に底辺からのし上がった例もあれば、美ゆえに不幸を招いた例、ごく短い間しか美を保てなかった者や周囲を破滅させた者、さまざまですが、どれも期待を裏切らないドラマを巻き起こしている。ここでは伝えきれないエピソードの数々は、ぜひ本書で楽しんでいただければと思います。

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中野京子(なかの・きょうこ)
北海道生まれ。作家、独文学者。西洋の歴史や芸術に関する広範な知識をもとに、絵画エッセイや歴史解説書を多数発表。新聞や雑誌に連載を持つほか、テレビの美術番組に出演するなど幅広く活躍。2017年「怖い絵展」特別監修者。著書に「怖い絵」シリーズ(角川文庫)、「名画の謎」シリーズ(文春文庫)、『ハプスブルク家12の物語』(光文社新書)、『はじめてのルーヴル』(集英社文庫)、『別冊NHK100分de名著 シンデレラ』(NHK出版)、『ART GALLERY第5巻 ヌード』(集英社)など多数。

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(作家、独文学者 中野 京子)